窓口担当者の憂鬱
阿井上夫
窓口担当者の憂鬱
組合の窓口担当者が対応した組合員からの相談内容で、件数が増加傾向にあるものが二つある。
まず一つ目が、「職務を遂行するために必要な能力が、自分には欠けているのではないだろうか」という、組合員自身の能力に関する悩みである。
私がこの窓口業務を担当するようになってから三十年近くが経過しているが、年々この相談の増加傾向は強まる一方だ。
例えば、先程まで私の目の前に座っていた老人は、過去に数々の華やかな実績をあげた伝説の
仕事の経験回数及び経験年数でいえば最強の部類に入るのだが、それでも今やすっかり萎れてしまって、往年の飛ぶ鳥を落とす勢いは見る影もなかった。
「昔は本当によかったなぁ……」
彼は目尻に目脂が残る両の眼をしょぼつかせて、言った。
「時間をあわせて密かに現場に集合して、出番が来たら力を合わせて
彼は、アルコール中毒患者特有の赤ら顔を輝かせる。
これは、昔話をしている時の彼の癖であり、普段は知り合いすら声をかけるのを躊躇うほどの渋い仏頂面をしていた。
「それを肴に、みんなで祝杯をあげたもんだよ」
コップを持つ形に上げられた彼の右拳は、小刻みに震えていた。
緑色のズボンには、酒を零したらしき跡が無数についている。
業界内で今でも輝かしき伝説として語られる、『靴職人事案』の数少ない生き残り――業界最大の功労者であるはずの彼に圧し掛かる現実は、厳しい。
「それが今や、コンピュータの時代だ。やれ自動制御だ、やれ精密加工だ、と言われても、年寄りの俺達が手を出す余地なんか全然ありゃしませんや。たまに俺にも出来る仕事があったかと思えば、そんなに人手がかからない単純作業でしょう? 手伝っても、相手は俺の仕事だって気がつきもしない。『あれ、無意識のうちに終わってた』ってな具合ですよ。この無意識というやつを発見して、我々の仕事の成果を台無しにした輩は、撲殺すべきです。加えて、最近は仕上がりに妙に煩くて困る。ミリ単位でずれただけでも、手抜き仕事だから金は払えない、なんてぇクレームがくる始末だ。これじゃあ手伝ったことで、雇い主に逆に迷惑がかかっちまう。馬鹿馬鹿しくて何だかやる気がしなくなっちまった。それに、不慣れな仕事に不用意に手を出すと――アレでしょう?」
この「アレ」というのは、昨年発生して有名になった事案のことである。
連日の徹夜仕事に疲れ果てて眠ってしまった事務員のために、義侠心にかられた者がて不慣れな事務作業にも拘らず手伝い、その能力不足から桁を間違えて数字を打ち込んでしまった。
それが、比喩表現ではなく文字通りに、彼の首を絞める結果となってしまったのだ。
この事案は、業界全体に激震をもたらした。
そもそも、日々進化する技術分野の最先端を熟知していないと太刀打ちできない技術系業務について、新たな担い手をどうやって育成するのかが業界の喫緊の課題であった。
それに加えて、知識が不足した慣れない仕事をすることで最終的に雇い主に迷惑がかかってしまうことを恐れ、事務系業務全般の担い手が激減して人材が枯渇した。
いまや、高度な専門知識を有する技術者及び事務員を育成することが急務となっている。
しかし、昔から労働力集約型の請負が中心で、単発案件が殆どの業界である。
最先端の技術に対応出来る高い学識と、柔軟な思考力を併せ持った技術者や、分野毎に専門的な知識が必要で、長年の経験が物を言う事務員を育成できる、適切な指導員を探そうとしても見当たらない。
そもそも数が少ない上に、いたとしても彼らは彼らで殺到する仕事をこなすだけで精一杯だった。
とても後進の指導をお願いできるような状況ではない。
では、先端技術の進歩や専門知識の取得に柔軟に対応できる若手の育成はどうなっているかというと、こちらも全然進んでいない。
業界全体に蔓延る、団体行動を重視する昔ながらの体育会系気質や厳しい上下関係を、若者が忌避する傾向にあるからだ。
実は、組合の窓口に寄せられる相談で増加しているものの二つ目が、「横暴で無能な上司に対する、若年労働者からの不満」だった。
「口先だけで能力のない上司にこき使われるのは、我慢がならないんです」
と、目の前の椅子に座った若者は尊大な口調で言った。
彼は、組合員に支給されるゆったりとした緑色の制服上下を、細身のスマートなシルエットに誂え直して、それをさらに着崩している。
髪型が乱れるからという理由で、組合標準の三角帽も着用していなかった。
「僕は思うんですけどね。彼らは、自分たちの若い頃は仕事自体が単純労働中心で、人手をかけさえすれば何とかなったという事実を忘れているんですよ。頑張ればなんとかなる。力をあわせればなんとかなる。そんな具体的な指示内容が欠けた精神論ばかり語られても、今の若者は誰もついていきませんよ。俺の言っていることが正しいんだから、黙って言うことを聞け――そこまで言われると、マジで『はぁ?』ですよ。どう考えても僕の考えたプランのほうが効率的で、時流に合っているはずなんです。その斬新さを理解できない癖にリーダー面する、無能な彼らには納得できません。これが文化だ、伝統だ――そう言うのは結構ですが、それでは変化の激しい現代社会は乗り越えられません。僕が考える理想的な上司像というのは、新しい考え方に理解があって――」
本人の話を聞く限り、憤りもご尤もに思えるのだが、しかし実際は目の前の若者自身にも問題がある。
私は個人的なルートで、彼の仕事に対する取り組み姿勢を確認していた。
開始時間が指定されている仕事に、平気で遅れてくる。
遅れた理由を尋ねると「プライベートです。個人情報なのにどうして言わなければいけないんですか」と、当然のような顔をして答える。
協調性に欠け、何人かで作業をする時に他の作業者の利便性を考慮できない。
そのことを指摘すると「それは彼の能力が低いからであって、自分は全然悪くない」と開き直る。
指示された仕事しかしない上、少しでも作業内容が変わると応用できない。
「よく考えて仕事をするように」と丁寧な言葉で注意しても、「能力がない」と言われたと理解して逆切れする。
普段は殆ど発言しないのに、突然「自分はこう思う、自分は正しい」と主張することもある。
しかし、その主張が個人的な好き嫌いと事の善悪を混同したものであることに、本人が気づいていない。
今ここでやらなければならないことは何か、という大義や大局から物事を判断できない。
約束した時間が過ぎれば、作業が途中であってもさっさと帰ってしまう。
しかしながら、そんな非常識な行動をいちいち本人に向かって指摘してみても、彼にとっては「ただの老人の繰り言」にしか聞こえないだろうし、理解もされないだろうから、やるだけ無駄である。
小言は今日び、何の意味も持たない。
褒めて育てるやり方でなければ、今の若者はついてこない。
それが現実である。
それに、学校では先生から言われてもいないことをやって失敗したら、怒られるし、減点される。
変に良い評価を受けたら受けたで、同世代から嫉妬されて、仲間外れにあう。
「みんなで一緒に頑張ろう」という協調性重視の精神が、いつの間にか「全員同じで平等なんだ」という、横並びを尊ぶ行き過ぎた教育方針を生み出し、それが浸透してしまったがゆえの弊害である。
彼らの欠点をことさらに指摘して、その責を彼らに負わせることは正当ではないのだが――
その一方で彼らの「自分が大事、個性が大事」という自己中心的な発想に陥りやすいのは、どうしたものなのだろうか?
確かに「世界に一つだけの花なんだから、個性は大切だよ」と教えはしたが、「他人の個性も同じように尊重しようね」と言いたかっただけのことである。
個性という唯一絶対神を信奉する狂信的な宗教のように、「自分の個性を大事にしろ。自分の個性を発揮することが人生の目的であり、一番大事なことなんだ」という個性至上主義が正しい、とは誰も言っていない。
柔軟な思考どころか、硬直した信仰が蔓延している。
話をすると、自分探しや自分語りに終始して、物語の中に他者が登場しないのも気になる。
延々と続く彼の話に辟易しながら、それでも私は最期に建設的な意見を述べて、「君なら出来る」と根拠のない励まし方までした。
若者は言いたいことを言い終えて、機嫌よく帰ってゆく。
そこで、やっと私はどさりと椅子の背凭れに身を預けた。
振動で『緑の小人労働組合』という三角錐の立て札が倒れたが、それを直すだけの元気も出ない。
「そちらは大変ですなぁ」
私の様子を見て、隣の窓口にいた男が声をかけてきた。
狭い窓口スペースに巨大な身体を押し込んだ彼の前には、『ドラゴンおよび龍(竜含む)友の会 お悩み相談所』という横長の立札が置かれている。
「私のところは閑古鳥が鳴いてますがね、がっはっは」
文字にすると豪快な笑い方だったが、実際には狭い空間に空虚に響いただけだった。
そういえば、ここしばらく隣の窓口に相談客が現われていないように思う。
そのことに自分でも気が付いたのか、彼は恥ずかしそうに弁明した。
「うちは歴史が古すぎて、会員の悩みもすっかり出尽くしました。やることも限られているので、まあ皆さん整斉と仕事をこなされていますし。いや、もはや諦めに近いのかな。イベントのフラグが立つのを待つ仕事が多いので、拘束時間が長いわりに自由時間が短いですからね。それを嫌がって、若者は全然いなくなってしまいました。今は、若い元気なうちに乗用専門で稼ぐ者が殆どです。ただ、昔は年を取って動きが鈍くなったら、宝物の番人としてゆっくり余生を過ごすという『王道パターン』があったんですがねえ。最近は番人という出番自体が少なくなって、ポストの空きも僅かでして。今や、歳を取っても出来る仕事は、こんなものしかありません」
彼は『勇者に倒されるだけの簡単なお仕事です』と書かれたビラを持ち上げる。
「しかし、こういう厳しいだけで報われない地味な肉体労働は、本当の年寄りにはきついし、若手はやりたがらないですからね」
彼の鼻から噴き出した溜息に、ビラが空しく揺れる。
「それに比べて――」
私達は揃って、入口に近いところにある大きな窓口を見つめた。
そこにあるのは、業界中で唯一活気がある『魔王業界就職セミナー』のブースである。
ここでは申し込み用紙の受付をするだけで、説明会は後日、どこかの宮殿を借り切って開催するようになっている。
並んでいるのは殆どが男性で、昔ながらの肉体派と最近流行のイケメンが半々だったが、最近はこの分野への女性の進出が甚だしく、今日も何人かちらほらと姿が見える。
正確には魔女王ではないかと私は思うのだが、ジェンダーフリーの風潮にあわせたようだ。
私が所属する『緑の小人労働組合』でも、人材不足解消に向けて「女性の積極的な活用」という方針が打ち出されたことがあった。
その時、「制服を緑ではなくピンクにしてくれないか」という女性目線からの要望が出て、守旧派の猛反対により喧嘩別れに終わったという苦い思い出がある。
一方、魔王業界では「バトル設定がある職場なのに露出度の高い服装というのは合理性に欠ける。それに、ただのセクハラではないか」という議論が真面目に行われて、最終的に服装については本人同意が必要になったと聞く。
流石は目端の利く最先端の業種だ。
時代の変化への対応が早い。
時流に乗って、窓口は連日大行列だった。
ちなみに勇者は転生組が多く、窓口は私たちから見たところの異世界側にあり、転生コンサルタントによるヘッドハンティングが中心となる。
昨今では、あちらの世界でも転生時の雇い入れ条件が急騰していて、単純な勇者業務や昔ながらのチート能力では、見向きすらされなくなっているらしい。
・自慢できるクリエイティブな転生先
・経験値による適性な処遇や能力評価
・俺様な性格でも通用する就労環境
・若手が活躍できる独創的なチート能力
など、新規転生先の開拓や若者を引き付ける新規能力の開発など、市場調査に必死だと聞いている。
福利厚生施設としてのハーレムは必須条件で、そちらのパート従業員の確保も大変らしいから、私の業界とは異なる厳しさがあるのだろう。
最近は既に転生した者の再転生支援も増えているようで、大手の勇者プロダクションから戦力外通知された者を専門で扱う、アウトプレイスメント業者も跳梁跋扈している。
私の業界でも、職人堅気の根強い『緑の小人』を断念して、もっと気楽なイメージのある『小さいオジサン』へ移籍する者が、後を立たない。
しかし『小さいオジサン』のような人気商売は、別種の地獄が口を開けて待っているものだ。
それを目の当たりにして、泣きながら職人の世界に戻ってきた者も何人か知っているが、既に真面目な仕事は熟練者がしっかり確保しているため、半端仕事しか残っていない。
魔王候補者の長い列を見つめながら、不人気業種の相談窓口担当者は眉間の皺を一層深くするばかりだった。
( 終り )
窓口担当者の憂鬱 阿井上夫 @Aiueo
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