銀河を渡る鳥
ララパステル
銀河を渡る鳥
ただただ広い麦畑。空は青く、時折吹く風が麦をなびかせ風の模様を作りだす。
見渡す限りの麦畑の真ん中だけ、ぽっかりと穴があいたような野原になっていた。
古びた木製のベンチと小さな看板が、ポツンと置いてある。看板には「Terminal」と書かれていた。
そこには、三人の待人がいた。
一人は、使い古されたポーチを持った、綺麗なドレスを着飾った若い女性。
一人は、大きなバックと、クマのぬいぐるみを持った少女。
一人は、ピンとしたスーツを着込んで、スーツケースを抱えた初老の男性。
風が三人を何度か撫でた後、遠くの空からゆっくりと何かがやってきた。
風に乗り飛んできたのは、大きな燕だった。三人が待っていたのはこの燕だ。
ゆうにテニスコートを超える翼で風を受け、三人のもとに飛んでくる。ひときわ大きな風と共に、ふわりと、Terminalに降り立った。
三人は突風に飛ばされそうになったが、しっかりと耐えていた。風がやむと、燕はその巨大な翼を畳んで三人を見据えた。
「やぁ、お待たせしたね。私はジョシュ。貴方達をどこまででも運ぶ、銀河の燕です」
燕、改めジョシュは、そう言って、深々と頭を下げた。
「勿論、知ってかと思いますが、私はお金はいりません。その代わり、私は貴方達の思い出をいただきます。私たち銀河の燕は思い出を食べるのです」
そう言ってジョシュは、三人を見据えた。若い女性は、口元に笑みを浮かべてうなづいた。少女は、不安そうに眉をひそめながらも、「はい」と答えた。初老の男性は、何も言わなかった。
「わかりました。その点、ご理解いただいたいるものと思います。それでは、まずはじめにお名前をお聞かせ願えますか?」
若い女性は「私は、ローズです」、少女は「ドナよ」、初老の男性は「タイラー」と名乗った。
「それでは、私の背にお乗りください。すぐに、飛び立ちます」
ジョシュは体を低くした。地面に腹がついても、まだ彼の背中は高くにあった。乗り込むための縄梯子が彼の背にはあり、それをつかんで三人は彼の背に乗った。
「それでは、出発します」
三人を乗せたジョシュは、大きく翼を広げ、ゆっくりと空のその先、遠くの星を目指して飛び立った。
地面すれすれを飛ぶジョシュ。心地の良い風を受け飛んでいたかと思えば、正面から突風が吹いた。それを掴まえて、ジョシュは一気に高く舞い上がる。
見る間に麦畑は遠くなり、青かった空の色は次第に濃い藍色に変わっていく。そして麦畑がカーペットの染みにのように小さくなると、眼前には星の海が広がった。
ジョシュの速度はぐんぐん上がる。点だった星が形を変えて線となる。まるでパノラマで露光撮影した写真のようだった。その美しさに、三人は息をのんだ。
それからしばらく飛び続け、ジョシュはゆっくりと口を開いた。
「これから貴方達の目指す場所に連れて行きます。まずはローズ、貴方はどこに行きたいのですか?」
その問いに、ローズは笑顔を浮かべた。「私が最初なの!お二人さん、お先に失礼するわね。私は、銀河で一番有名なブロードウェイに行きたいの!」
嬉々として答えたローズに、ジョシュが訊き返した。
「ほぉ、それはそれは。どうして、ブロードウェイに行きたいのですか?」
「モチロン、有名になるためよ!女優になって、私はもっと輝くの!」
ローズが語る夢に、ジョシュは目を細めた。
「私は燕なので分かりませんが、貴方の容姿や格好は、やはり女優という感じがしていました。ということは、しばらくは故郷には帰らないのですか?」
「モチロンよ!もう、あんな田舎にはコリゴリなの!貴方も知っているでしょう?あそこには麦畑しかないもの。私の輝ける舞台といったら、町のフェスティバルぐらいよ。ちょっと着飾っただけで、”今日はおめかしして、どうしたんだい?”なんて聞かれるもの!」
ローズは、故郷を思い出してムクレてしまった。
「あまりいい思い出がないのですね」
「ええ!私にはあの町は不釣り合いなの。私はもっと輝けるもの!」
「そうですか。私は貴方の活躍をお祈りしています」
「ありがとう、ジョシュ」
「それはそうとその豪華なドレスに比べて、胸元の使い古されたポーチは不釣り合いではありませんか?」
ジョシュは、ずっと気になっていたことを訊いてみた。
「そうかしら?そうよね。ボロボロですもの」
ローズは、優しく微笑んだ。そして「これはね、私が小さい時に死んだ父さんからもらったものなの」と続けた。
「だから、これだけは特別なの。」
ローズはギュッと、ポーチを握る。その瞳は、とても優しかった。けれど、その瞳には涙が浮かんでいた。
「だけど持っていると父さんを思い出してしまうの。だから何度も捨てようとしたわ。どうしても捨てられなかった…ねぇ、ジョシュ。もしあなたが、食べる思い出を選べるのなら、故郷の思い出を食べてほしいの。お父さんの思い出も全部一緒に」
ローズの真摯な言葉に、ジョシュは少し考えた後、口を開いた。
「…本当にそれでよろしいのなら、はい、私は貴方の故郷の思い出を、お父さんの思い出をいただきます」
「ありがとう、ジョシュ」
彼女は、笑顔だった。優しい、笑顔だった。
・・・
賑やかで、きらびやか。きらきらと輝く星の、燦然としたブロードウェイについたジョシュと三人。
背を低くしたジョシュから、ゆっくりとローズは地面に足を下ろした。「ありがとう、ジョシュ」そう言ったローズの顔からは、笑顔は消えていた。
そしてふらり、ゆらりと、ローズはどこかへ歩いて行った。
ジョシュは二人を乗せ、再び飛び立った。星が線となり、次の目的地へと進んでゆく。
「さぁ、次はドナの番です。どこに行きたいのですか?」
背に乗せたドナに、ジョシュは訊いた。
「どこでもいいの。私は、冒険がしたい。冒険が出来るところなら、どこでもいいの」
ドナは、その愛らしい少女の手で、ギュッとクマのぬいぐるみを抱きしめている。その表情はどこか不安げで、どこか寂しそうだった。
背に乗せているので、顔は見えない。けれど、小さく震えていることは、ジョシュには分かった。
「大丈夫?」
ジョシュが心配そうに訊くと、彼女は「大丈夫」と答えた。
「私ね、ジョシュに謝らなくちゃいけないことがあるの」
彼女はそう言って、言葉をつづけた。「私には、貴方にあげる思い出がないの」
ジョシュは首をかしげた。
「それはどういうことですか?」
「私には素敵な思い出なんてないもの。私は孤児なの。幼い頃に捨てられて施設で育った。その施設も、この間、閉鎖したの。友達もいない、両親もいない、お金もない。私にあるのはこのクマのぬいぐるみだけなの」
それを聴いたジョシュは、彼女に申し訳なさそうに謝った。
「すまない、嫌なことを訊いてしまったね」
「いいの。本当のことだもん」
「なら、どうして冒険に行きたいんだい?」
「私ね、まだ知らない世界に生きたいの。本を読むのが好きで、いっぱい読んだ。知らない世界で、知らない人たちと触れ合って、それでハッピーエンド。私みたいな子供が言うと可笑しいかもしれないけど、世の中ハッピーエンドばかりじゃないのは、わかってる。だから、そういう話を、本当の話を、見つけに行きたいの」
希望にあふれた言葉とは対照的に、やはり彼女は不安そうな表情をしていた。
「わかりました。僕が知っている、とっておきの場所に、君を連れていきましょう」
ジョシュは、目的地を決めた。ジョシュは、より早く、翼をはためかせ始めた。
・・・
「ありがとう!ジョシュ!」
ふわふわとしたマシュマロの大地に降り立ったドナは、太陽のような笑顔をジョシュに向けた。
「いや、いいのさ。僕も君の思い出をもらったから」
その言葉に、ドナは首をかしげた。
「でも、私には思い出なんて…」
「思い出のない人なんていないのさ。さぁ、それよりも早く行くといい。きっと、君をまだ知らない世界が待ってる。ハッピーエンドを探しに行くといい」
「うん!」
大きく手を振った後、ドナは駈け出した。それを見送ると、ジョシュは、残りの一人となった乗客に話しかけた。
「お待たせしたましたね。貴方で最後です。どこに行きたいのですか?」
最後の乗客である初老の男性、タイラーは、「故郷に」と答えた。
「貴方の故郷は、どこですか?」
「君が、知っているんじゃないのかい?僕は、すっかり忘れてしまってね」
そのタイラーの言葉に、ジョシュは小さく笑った。そうだ、この乗客は、今回が初めてではないのだ。
「わかりました。それでは、貴方の故郷に」
タイラーは幼い頃、ジョシュに乗って故郷を後にした。その故郷に帰るために、もう一度、ジョシュに乗ったのだ。
「にしても、やはり不思議なものだね、思い出というのは」
タイラーは、一度言葉を区切り、ゆっくりとまだ話し始めた。
「ローズは、故郷を忘れたかった。父を忘れたかった。けれど、思い出というのは、例え辛いものだとしても、本人を支えたり、強くしたりもする。だから、彼女は故郷と父の思い出をなくして、無表情になってしまったんだろうね」
その言葉に、ジョシュは「そうかもしれませんね」とだけ、答えた。
「そしてあの少女、ドナと言ったかな。彼女は、思い出を捨てることで、自分を縛っていた過去と決別できた。あの子はもともと、あんな太陽の様に笑えたのだ」
「貴方は、どうだったのですか?」
ジョシュは、タイラーに訊いた。
「あぁ、幸せだったと思う。あの当時、私の母は病気で、君に乗って違う星に療養に行っていた。私はそんな母を追って君に乗った。故郷の記憶をなくしてしまったが、母には会えた。母は…私を忘れてしまっていたがね」
しみじみと、彼は言った。しかし、その瞳には、寂しさはなく、口元は微笑んでいた。
「けれど私のことは忘れても、私がよく作っていたミルク粥は覚えていたよ。それはそれは、おいしそうに食べてくれた。故郷の記憶をなくしたとしても、あまりある幸せだった。きっと、思い出なんてものは、そんなものさ。思い出があろうとなかろうと、人は今に生きる。ただそれだけさ」
「なら、どうして故郷に帰りたいのですか?」
「好奇心半分、そして懐かしさ半分さ。思い出がなかろうと、ノスタルジックに浸ることはある。私はね、残りの短い時間を、故郷という場所で過ごしてみたいのさ。そうしたらたぶん、母のことを忘れてしまうだろう。皮肉な話だが、それでいいのだと思う。かつて捨てた思い出を探して、また思い出を捨てようとも、ね。思い出ってものも、人というものも、何より私は、そんな合理的な生き物ではないのだよ」
それだけ言うと、タイラーは静かに目を閉じた。そして、ジョシュはゆっくりと、翼をはためかせ始めた。
ゆっくりと風が吹き始める。もうすぐ、タイラーの故郷へと飛び立つのだ。
銀河を渡る鳥 ララパステル @lalap
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