第二十四話 治安維持隊突入命令
五月九日、若き大王が未だ苦痛と戦っている最中、西部地方南洋島の久住城塞市内にある第十七連隊基地では紺碧の空に向かって今日も怒声が轟いていた。
「大王は軍部の声に耳を貸せ!」
「軍人も臣民だと忘れたか!」
「議会を無視するな! 大母殿下を敬え!」
口々に張り叫び、城塞の外で包囲する治安維持隊に自分たちの主張を猛アピールする。しかし、鉄兜に青いブレザータイプの制服を着て黒い胸甲をまとい、暴徒鎮圧用の拳銃を黒いズボンの腰から下げた隊員たちは微動だにしない。その内、市門を真正面から睨みつけていた隊長が、さっと周りの隊員に目配せする。と、その者たちは、脇に置いてあったダンボールからそれぞれ一抱えのビラを取り出し、片手に持って転送する。軍が占拠する城塞市内に上空からビラが大量に舞い落ちて行くと、一層怒号が激しさを増す。投降を勧める文書を見て――。
隊長が疲れた様子で腕を組む。
「包囲開始から大して声の勢いが変わらんとは……もう押し込めて一週間になると言うのに」
それを聞いて横に控える補佐官が眉をひそめる。
「市内には食糧備蓄庫も農地もありますからね。その点、やる気があれば年単位で篭城可能です。連隊の将兵はよほど積極的なのでしょう。ですが、そろそろ鎮圧しないと、周囲への飛び火が懸念されます」
「ああ、それはそうなんだが――まだこんなに元気なのでは突入逮捕はできん」
そう言うと嘆息して、高い城壁を見上げた。
父母を中心とした大家族――国をそう喩える伊達派は、割と中央権力が世話焼きで、地方のことも中央で細かく定めている。その一つが、城塞市規定である。行政の最小単位となる城塞市は、法で定められた細かい原則を全て満たしていなければならない。敵の侵略を受けた際、無駄に小さな街が点在していると防衛のための軍を細かく分散させねばならず効率が悪いことや、過疎化してしまうと市の運営が難しくなることなどが主な理由だが、根本的に言えば、国の末端の市民まで安定した生活を安心して送れるようにとの配慮の結果である。そんな風に作られた規定には、例えば次のようなものがある。
一、所定の強度・構造を持つ城壁を備え、市の全ての財産をそれにより保護していること。
一、文官武官及び入寮滞在する学生・医療関係者などを除く一般市民が居住しない氷野市を除き、市内の全ての行政職員及び関係者、市民、駐屯部隊の将兵を養うに足る農地を持つこと。また、戦時に備え、十分な備蓄食糧を保有していること。
一、少なくとも陸軍一個連隊の基地があること。これ以下の部隊しかない場合は城塞市として認めない。
これらの事項は、侵略された時には極めて有効だ。だが、市内で反乱を起こされると頭痛の種にしかならない。外部からの侵攻に強く設計しているが故だ。ただ、別の視点から言えば、強固な護りが中央の安易な暴力的鎮圧を阻止していると言えなくもない。これは大王や政府に対し一定の抑止力となることが多いだろう。
だが、どこにも例外というやつはいるものである。
完全に困り顔で立ち尽くしていた隊長のところへ、通信官がやって来る。
「隊長、首都の本部より新たな命令です」
「ん。何だ?」
「春瀬大臣殿下より、ただちに最後通牒を発し、従わなければ即突入逮捕を敢行せよ。延焼を防ぐためなり。とのことです」
「何? 突入逮捕だと!?」
目を大きくして驚く。
「無理だ。今やっても失敗する。最後通牒なんて論外だ!」
隊長はぶんぶん首を振る。
「この段階でこの命令ですか……もし本当に実行したら、突入した者のいくらが無事でいられるでしょうか」
「いくらもいないさ。相手は軍人だぞ。人を殺すプロだ」
補佐官の言葉を切り捨てて嘆く。
「殿下は状況を理解しておられない! 不適切な命令だ。そんなものに従うことは出来ん!」
「た、隊長。お気持ちは分かりますが、我々が口答えできますでしょうか? 大臣殿下のご命令ですよ?」
補佐官が焦ってたしなめるが隊長は本音を吐いて叫ぶ。
「誰があんな無能者のために死んでやるもんか! 俺を解任するならすればいいさ! あいつのために死ぬくらいなら、そっちの方がましだ!」
空気が凍り付く。周囲は共感しつつも、恐ろしい目で隊長を見る。内乱罪捜査のため控えていたスーツ姿の検察がゆっくり隊長に近付く。
「今、確かに春瀬大母殿下を侮辱しましたね? 無能者、あいつ、と敬称を用いず、愚弄しましたね?」
隊長は吠える。
「ああ、したさ! でもこれは事実だ。不敬罪の容疑って言いたいのかもしれないが、不適切な言動ではないだろう。むしろ的を得ている!」
「殿下に対する口のきき方として不適切です。さらにあなたは、この地域の治安維持隊の隊長。周囲に忠誠の何たるかを示すべき立場です」
「忠誠とはそれに値する人物に捧げられるべきものだ」
「つまりあなたは、春瀬殿下がそれに値しないと考えるのですね?」
引っ込みがつかなくなり、もう堂々とこたえる。
「そうだ。あんなのは大母殿下に相応しくない!」
さっと手錠を取り出し、青ざめる隊員たちの目の前でカチリと拘束する。
「不敬罪で逮捕します。春瀬大母殿下の正当性を否定するなど言語道断です。何はともあれ法は法ですので従っていただきます」
荒々しく引っ張ってどこかへ連行してゆく。
遠巻きに見ていた隊員が背後を気にしつつぼそぼそと言う。
「まただな」
隣の隊員がうなずく。
「内務省からの不敬罪逮捕者は、三月末から数えてもう……数え切れないな」
「まあ、あの大臣殿下・・に直接従っているわけだからな。何とは言わんが、色々嫌になるわ」
「全くだよ。今度も突入逮捕だなんて。僕らを何だと思ってるんだ」
けれど、不幸なことに、残された補佐官は非常に真面目な官僚だった。周囲に控えたビラ撒きの隊員に告げる。
「これが最後の仕事だ。最後通牒を発する」
全ての隊員が肩を落とし覚悟を決めた。昼の高らかにして輝かしい五月晴れの下、無能者の犠牲となる悲哀と悔しさを、涙で足で乾いた初夏の大地に叩き付けた。
同日午後三時頃、静かな諏訪離宮をどたどた走る音が響く。ベッドに横たわった大王が眉を寄せつつ枕の下に隠したウィスキーの小瓶に手を伸ばす。と、その足音は部屋の目の前で止まり、勢いよくドアが開け放たれた。慌てて取り出しかけた瓶を戻し、不機嫌そうに睨む。
「何事か! 騒々しい」
「陛下! 今隠したの分かったケド、大変!」
白衣の主治医が飛び込んでくる。あ~見られたかこれは怒られると顔を歪めて、続きの言葉を待つ。リョーシェンカは金髪を振り乱しながらベッドの左脇に立つと報告する。
「反乱が続いてた久住城塞市の第十七連隊基地。突入逮捕を試みたんだけど、まだまだ軍の方が強くて返り討ちにあって、大量の死傷者が出たって。治安維持隊側ニ!」
空気が凍り付く。
「は?」
そして重く地に響く声。
震え上がるリョーシェンカに問う。
「誰から連絡があった?」
「は、春瀬大臣殿下」
「その命令は誰が下したのだ? 治安維持隊本部長か?」
「だ、大臣殿下……」
「――ほう。わざわざ最低最悪と言ったことをやる辺り、本物だな。本物の……ゴミクズだな」
掛け布団がついにぼっと燃え出す。主治医は慌てて戸を開け近衛兵に消火を求める。怒り狂った真仁は叫ぶ。
「あの糞ボケが! 死ね! お前が死ねと言うのだ!! そのタイミングで命ずればそうなるのは明らかだろっ! あいつは子を殺したいのかいてて傷跡が痛い!」
「モウ! 騒ぐから!」
「騒がせる奴が悪い! あいつなりの謀反か!? いててて」
「水です。陛下失礼します」
近衛兵が三人突入して来て、次々バケツの水を真正面から盛大にぶっかける。すると火は何とか収まり、びしょ濡れの大王ともう使い物にならないベッドが残された。
よじよじと真仁が自力で脱出すると主治医が大きなバスタオルを持って駆け寄る。
「陛下! 今度は風邪引いちゃウ!」
「今触ったら火傷するぞ?」
ハードボイルドではない。本当の話だ。大人しくリョーシェンカはぴたりと足を止め、余熱で水分を飛ばし切るのを待つ。
「よし」
「ワイルドだネ」
「そうか?」
一度ふっ切れて、回りまわってさっぱりした表情で言うと眉間を押さえる。
「それより最近短気になってしまって良くない。平常心をもっと高く持たねば」
ウン、その方がいいネ、と大粒の汗を垂らしたまま胸の内で同意する。このままでは幾つの文化財が焼失するか分かったものではない。
真仁はしばらくそのまま思案すると、ぱっと手を離し廊下から中の様子をうかがっていた近衛兵を呼び寄せて伝える。
「氷野春瀬は現在時刻をもって内務省大臣から解任する。新大臣職は余が兼任する。おかげであの省は今がたがただからな。余自ら鞭を入れる。以上のことを首都へ通達。あと、ただちに余の馬と汽車の手配を頼む。首都へ帰還する」
「ダメだヨ! まだ傷の状態に不安ガ……」
しかし主治医の制止を振り切る。
「リョーシェンカは僕の荷物をまとめるのを手伝ってくれ」
だが医者としていつになく強く繰り返す。
「聞いて、陛下。まだダメ! 患部治りきってないカラ!」
「聞いてるさ。聞いて、吟味した上で、なお国家の傷の方が深いと判断したのだ。そして、この傷は余が治す他ない」
「それでも陛下は体が弱いんだシッ」
「いいか、リョーシェンカ。胸に刻め。君主の体の問題など、国家の一大事に比べれば山中の砂一粒に等しい。砂の粒子の異常に気を取られて土砂崩れを許しては、愚の極みと言う他ない。そうだろう?」
有無を言わせぬ語調に、ついに主治医が両手を上げる。
「分かった。ケド、あとで状態観察するからネ」
「ありがとう。よろしく頼む」
そう言うと、二人で早速荷物の準備に取り掛かった。
幸福の大陸パンゲアの創造 牧 鏡八 @Makiron_II
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