第二十三話 軍部反乱
真仁は懸命な大手術を受け何とか一命を取り留めた。だが、もともと体の弱い彼は、医師団から最低でも数週間程度の静養を取るよう言われ、富士ノ森市大崎軍病院より同じ
五月五日、大王が退院して諏訪離宮入りした翌日、秘書のお芭瀬はお参りと近況報告を兼ねて山奥の邸宅を目指した。基地のない諏訪離宮に軍用の鉄道は通っていないため、最寄りの大きな城塞市まで汽車で行き、そこで市長から昼食のもてなしを受けた後、密かに馬を借りて小ぎれいな砂利道を走る。沿岸帝国たる北条派で生まれ育った彼女にしてみれば、こんな高いところは初めてだ。異様な肌寒さにぶるるっと震え上がりながら、山中の一本道を駆ける。生い茂る緑また緑。その中をひたすらに走り続けて小一時間行くと、昼食時市長に教えてもらった通り、木々で青々と埋め尽くされた道の先に突如赤く塗り上げられた門扉が現れた。手綱を引いて立ち止まると、門の向こう側から制服を着た大王近衛兵が尋ねてくる。
「名、及び、身分は?」
「春川辺芭瀬、大王秘書です」
「御用件は?」
「陛下のお見舞いに参りました。それと、首都の近況報告を」
「よろしい。今開けますので、少し下がっていてください」
頑丈そうな南京錠を外し左側の門を押し開ける。
「ありがとうございます」
お芭瀬が馬を進めると、その先を指し示して言う。
「陛下はこの坂の先にある離宮で休まれています。坂の勾配が少々厳しいですのでお気を付けて」
「ご親切にどうも」
振り返って礼を述べ、あらためて前方を確認して絶句した。目の前に道はなかった。ほとんど壁だった。
――これを坂と呼ぶとは……さすが山岳王国伊達派です。
海抜〇mの平野で暮らしてきた七海は、またもショックを受ける。とは言え、壁を少々急勾配の坂と呼ぶのは、山育ちな近衛兵なりの冗談だと信じたい。
鞍から落ちそうになりながらも何とか坂を上りきると、すぐ目の前に離宮が建っていた。大王領諏訪離宮という厳めしい名前からは想像しにくい、こじんまりした可愛らしい邸宅だ。壁には黄土色のレンガが積まれ、屋根はダークグレーのスレート石で丁寧に葺かれている。
――この質素さは英国の香りを感じますね。
建築・庭園好き、しかも、イギリスが一番と言う彼女にはよほど嬉しかったのか、自ずと口元が緩む。と言うか、もはやだらしないまである。
しかし、こんな時に限ってばっちり見られるのは何故なのだろうか?
「大王秘書の春川辺閣下ですか?」
別の近衛兵が声を掛ける。慌てて口を袖で隠すと、はいとこたえる。
「馬をこちらで預かります。陛下のお部屋には、他の近衛兵がお連れします」
「あ、ありがとうございます」
赤面した顔をうつむいて隠しつつ馬を下りると、そ知らぬ顔をしてくれる案内役の近衛兵に従って館へ向かう。
中央から少し右にずれた所にある素朴な木の扉から入ると、正面玄関の小さなホールが広がっていた。右手奥に二階へ登る古ぼけた階段があり、一階部分は左奥に廊下が見えている。床は全面木張りで、重々しい焦げ茶色が建物の歴史を感じさせる。
「こちらへどうぞ」
乗馬ブーツでぎしぎし踏みしめながら、近衛兵に従い左奥の廊下へ進む。覗き見れば、意外と細長く、奥は壁で行き止まっており、左側に部屋のドアが不規則に並んでいる。そして、右側は全面ガラスが張られ、諏訪の山々や天竜川を遠景とした美しい英国風のランドスケープガーデンが広がっていた。
――ここの設計士はどなたなのでしょう! 帝国でぜひお会いしたかったです!
角を曲がって突然出現した天然の名画に、すっかり魅了され沸騰してしまうが、はっと我に返り微妙に距離が空いた近衛兵に早歩きで追い着く。
「陛下はこちらで休まれています」
廊下の中ほどで立ち止まると、一つの木戸を指し示す。
「今入っても構わないでしょうか?」
「少々お待ち下さい」
ドアに向き直ってノックする。と、何の前触れもなくぎいっと音を立てて引き開けられる。
「ハイハイ。どなたー?」
さばさばした口調が聞こえ、続いて白衣を着た背の高い女性が顔をにゅっと出した。
「あ、ああああ、あ、ああ、あ、あ、あなたは!!」
すると、七海が突然、さあっと顔を青くして震え出す。女医は金髪ボブを揺らしてくるりと振り向き、水色の目で何かにおののき細かく震える白髪を見付けた。
「アラ。久しぶり!」
気さくに声を掛けるも七海には届かず、むしろ大声で叫ぶ。
「へ、部屋に押し入ってきて、股を割って大事なところを視姦した変態ですね!」
「ちょっ。誤解ヨ!」
「まさか……百合園の饗宴がお好みだったとは。男性として悲しく思いますが、それでもドクトルの恋路を応援します!」
「エ? いや、馬鹿なこと言わないで! ワタシは異性愛者だって、あ~あ、行っちゃった……」
「イッちゃったの……ですか? さ、さすが変態です。周囲三メートル以内に近付かないで下さい」
「アー、もう何かめんどくさーい」
「頑張れ、リョーシェンカ。偏見など恐れるな」
部屋の中から大王の声がして、お芭瀬ははっとする。リョーシェンカと呼ばれたまだ若い医者は、左手を白衣のポッケに突っ込み、右手で頭を掻きながら首を傾げる。
「この元凶って確か陛下の命令なんだけどナア」
「何のことだか」
「ウワ。責任逃れ?」
「どうだろうな」
「相変わらず適当だな―モウー」
そう言うと部屋の方を振り向き、お芭瀬を手招きする。
「陛下が中でお待ちヨ」
ぱちりとウィンクすると、両手をポッケに入れて悠然と歩み入る。しばらくそれでも警戒した様子で廊下に立ちすくんでいたが、いつまでも大王を待たせるのは悪いと思い一礼して入室する。
広い寝室の奥にある赤い天蓋付きベッドに、真仁は寝そべっていた。
「よく来てくれた」
お芭瀬はベッドの右手側に立ち腰を折る。
「同世代の人と話したかったんだ。リョーシェンカは無二の人であるが、時間だけはやはり超えられなくてな」
「ワタシがおばさんみたいジャン。まだ二十五」
「僕らは十六だがね」
「十歳下の少女を襲うとは……」
「ネエ、とりあえず、この子の誤解とこうよ。陛下も困るでしょ? 主治医に変な噂が立ったら」
「仕方ないなあ」
「し、仕方ないっテ……」
たははと苦笑いする。お芭瀬は大王との会話とは思い難いラフな態度に仰天してドクトルを見詰める。と、真仁が彼女を手の平で示して紹介する。
「余の主治医、アレクセイ・ニコラエヴナ・クロパトキン、通称、リョーシェンカだ。名門北山大学府医学部、及び、同大学問院飛び級卒業。直後、大王医療勲章を授与し主治医とした。今では、余の頼みで余以外の体を見てもらうこともある。お前が亡命してきた日に処女か否かの確認や、交際相手の割り出しを頼んだのも、普段から信用している余の依頼によるものであって、おそらく彼女の趣味ではない。たぶんな」
「ゼッタイ」
「と本人は少なくとも言っている」
「ちょっト!」
「陛下、よろしいですか?」
馴れ馴れしい応酬を遮り声を掛ける。
「何だ?」
「いえ、その……なぜそのような態度なのかと思いまして」
「どんな態度だ?」
不思議そうな顔をして訊き返す。
「見たままと申しますか……単刀直入に言えば、ラフな口調だなと」
「ああ! 忘れてた! リョーシェンカは唯一、伊達家の血でつながった従姉なんだ!」
「ワタシの父が先代真吾大王陛下の時代に武人として名を挙げてネ、その褒美として先代陛下の姉君殿下、つまり、真仁陛下の伯母様をお嫁さんにいただいたノ。それで生まれたのが、このワタシってワケ」
白衣の下から豊満な胸を、じゃなくて、胸を張る。それに白髪を傾けて確かめる。
「陛下の身内ということですか?」
「そゆこト」
さばっとこたえた。
お芭瀬はまだ腑に落ちないところがあるらしく、さらに質問する。
「お父様はロシアの御出身なのですか?」
「エエ、確かそんな国の名前だった。父は幼少の時、その国にいたらしいんだけど、何か奇術を使う不審人物として追われちゃって、祖父母と一緒に海を渡って来たんだって」
「皆さん、初めから伊達派の領域に? 一般的には、海外から渡来した能力者は沿岸に領土を持つ北条派にまず入ってくるのですが」
「それが不思議なことに、クロパトキン一家はまっすぐ伊達派に入ってきたんだ。おそらく北陸地方の一部、一般人が過密で能力者世界の土地を伸張できない地域から入国したのだろう。そして、そのまま南進して越後山脈の麓で伊達派により保護。後、軍に入隊して戦果を上げたため、父が伯母様を嫁として授けて正式な臣民の地位を認めたんだ」
「父は今、中央方面軍主力軍団の大将なノ」
誇らしげに言って笑顔を見せる。パンゲア政策に対する態度が気になる外交政策担当だが、その時、大王がリョーシェンカの方に手を伸ばし、支えられながらベッドよりゆっくり降りて立ち上がる。
「たしか七海は庭が好きだったな」
「は、はい、陛下」
「どれ。リハビリやら報告やらを兼ねて散歩に行こうではないか」
「よろしいのですかっ!?」
歓喜がそのまま大声に出て、はっと口を押さえる。それに、素直なのはいいことだ、と鷹揚に笑いながら、赤いマントをリョーシェンカに着せてもらう。前の紐を締めながら主治医が確認する。
「ワタシも着いてく?」
「そうだな。ただ、報告内容に機密事項が含まれる可能性が高いから、やむを得ない場合以外は後ろ五メートル以上空けて歩いてくれ」
「リョーカイ」
結び終わり、すっと頷く。
「行くぞ、七海」
先に部屋を出て行くと、入り口で白手袋をはめた近衛兵が一般人世界の陸軍と同じように右手を額に持っていって敬礼する。またそれを物珍しそうに見ながら七海が出て行くと、距離を置いて白衣に手を突っ込んだリョーシェンカが着いて行った。
しばらく二人は花咲く庭を歩きながら、庭園談義に花咲かせる。真仁は昔から王都にあった和風庭園や氷野邸の西洋風庭園で遊んでいたため庭には親しみがあり、またその平和を好む文化人的な気質が庭のような静謐で芸術的な空間を好むようだ。皇女七海は、自分の北海島(北海道に相当)の離宮に本格的な英国式庭園を作らせたほどの庭好きで、真仁より造詣が深かった。そんな彼女が語ることに興味深そうに相槌を打ちながら耳を傾ける。
「意外なところで趣味があうな」
庭における水について一生懸命説明された後、苔が生えた噴水の皿をさすりつつ呟く。
「そうですね。驚きました。なかなか共感してくださる人がいないので」
「悪いけどそうだろうなあ」
苦笑いが揺れる水面に映し出される。
「その点、春瀬は無粋でよくない。ナンバーツーとは言え、国を背負うものならば、ぜひ教養深くあって欲しいものだ。詩の一遍も詠まんからな、あいつは」
眉間に皺を寄せた七海の顔がひょいと水鏡に並ぶ。
「そんなものですか? 庭を造営した私が言えたことではありませんが、文化に開明な君主は弱々しい印象を与えて良くないと聞きました」
「北条派の帝王学ならそう言う者もあるだろう。武力による支配を理想としているなら、詩だ歌だなんて軟弱そのものだよ。しかし、伊達派は違う」
一瞬静まった水面で、すっと顔が近付く。
「伊達派は文人統制だ。その文人の頂点に位置する大王に、強さは必須の条件ではない。精神的な高尚さや豊かさ、これによって臣民から尊敬されることの方がむしろ大事だ」
「そのための文化活動ですか?」
「多分にその面はある。それと、伊達派は伝統的に文化後進国だからな。そういったものへの欲求が総じて強いんだ。残りは単に僕の趣味だな」
笑うと噴水から目を離し、同時に顔を上げた秘書を正面から見つめる。
「さて、そろそろ報告を聞こうか」
言うと、後ろを振り向き離れたところにいるリョーシェンカに目配せする。白衣の主治医はひらりと手を振ってさらに下がった。
「陛下による反徒処刑後、首都の春瀬殿下宛で暗殺未遂の発生をお伝えし、然るべき対応を要請いたしました。殿下は、第一に郵便省に情報統制を命ぜられ、第二に内務省治安維持隊に出動準備態勢を取らせました」
「マニュアル通りだな。それで?」
「統制にも関わらず、軍独自の情報経路を伝わって暗殺未遂事件の勃発がすぐに全国の軍関係者に知れ渡った模様です」
「それも残念ながらマニュアル通りだ」
「はい。そして、事件発生翌日にはそれに呼応するように全国八つの師団・連隊基地で反乱が発生しました。しかし、これは用意済みだった治安維持隊の迅速な介入によりいずれも拡大する前に即日収束しました。ですが、これで安心していたところ、三日になって南洋島の第十七歩兵連隊が蜂起。油断していたため、治安維持隊の投入が間に合わず、手に負えない規模となってしまいました。この抵抗は陛下とその政策に対するものであり市の行政職員や市民は標的ではないということで非軍属市民は初めから城塞市の外に出され、維持隊に保護されました。現在、同隊が反徒を精神的に圧迫しようと包囲攻めを敢行中です。何分相手が軍人なので、殿下は出来る限り力を削いでから降伏勧告をするか、または突入逮捕を実施するおつもりのようです。以上です」
うむと頷くと両手を噴水の縁について波立つ水面を覗き込む。
「早くもボロか。そこもマニュアルみたいなもんだろうに……。まあ、包囲の判断は良かろう。軍は人を殺すのが目的だが、治安維持隊は反乱の鎮圧が目的だ。使用している道具の殺傷力は桁違い。互角にやっても無駄死にを出すだけだ。強引な突入命令こそ最低最悪だよ。子どもの命を親のミスで奪うなんてね。――まあいい。その前の二日の反乱の首謀者はどうした?」
「裁判所はいずれの事例においても内乱罪であることは明白と認定しました。その上で、本件は司法でなく政治的判断を要するとして、憲法の規定に基づき大王陛下、又はその職責の代行者に量刑の判断を委ねました」
「処刑か?」
「はい。春瀬殿下の命により、すでに全員執行済みです」
「そうか」
手を離し、静かに噴き上げる噴水を見上げる。
「今も続く連隊基地の反乱が飛び火しないよう気を付けねばな。ただ十分に弱らせないと今度は逮捕が困難だ。焦りつつも焦らず。最後通牒のタイミングが鍵だろう」
「殿下にもそうお伝えしておきます」
「ああ、頼んだ」
冷たい山岳の風が芝生をなびかせる。白髪も一緒になって揺れた。
「着いたばかりなのにすまないな。またすぐに首都へ言伝にやったりして。まったく国の非常事態だと言うのに……情けないものだ」
「私は陛下の秘書です。何なりとお申し付けください。そして十分にご静養ください」
目を細めて見返すと、屋敷へ戻ろうと体を翻す。だが瞬間、うっと呻いてよろけた。
「陛下!」
リョーシェンカが青冷めて駆け寄ってきて、前から抱き止める。
「ダイジョウブ?」
しばらく唇をぎゅっと噛んで辛そうに体を預けるが、少しすると顔から緊張が解ける。その代わり、疲れがどっと湧き出してきた。喘ぎあえぎ苦しそうに言う。
「鎮痛剤が……切れたみたいだ」
ぴくっとすると、目を瞑ってまた痛みに耐える。
「本当は次のまでちょっと早いけど、もう飲んじゃおう。ネ?」
優しく声を掛け、背中をさする。
「わ、私も手伝います」
七海が申し出ると、リョーシェンカは首を横に振る。
「よく分かんないけど、アナタは他の仕事があるんじゃないノ?」
「は、はい」
「ジャア、それをやらなきゃ」
「しかし――」
「ア、それなら、近衛兵を呼んで来てくれる? ワタシ一人じゃ運べないから」
「分かりました」
秘書はぺこりと頭を下げると屋敷の方へ庭の勾配を駆け上って行く。大王は遠ざかって行く足音を抱き支えられたままじっと聞いていた。
――山に比し 小さきかな 我が体 手に余るほど小さきかな
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