第二十二話 暗転

 会談後は午後一杯ゴルフを楽しみ、夕食会で豪華な料理(と大王の場合は美酒)に舌鼓を打ち、その後は寝るまで久しぶりに三人の従姉妹、もとい、大王妃候補たちと談笑にふけって過ごした。しかし、この地での仕事はまだ終わっていない――。

 翌日、ついに五月の朝日が全ての城塞市に差した。

 議会は四月中に結論を出せず、五月一日午前零時を回った瞬間、出張中の大王代理をたまわっていた春瀬が首都の統治府テラスに立って、大王大権による予算強制執行発動を宣言した。真仁とは逆に大幅な軍事予算増額を求めて議会と対立した深山大王以来の予算強制執行は朝刊一面を飾り、英断と口々に賞賛される他方、一部では魔王の再来と囁かれ始めていた。同時に関連記事として、大王の大崎家への急接近が報じられており、同家の懐柔を手始めに軍部全体を飲み込もうとしている魂胆が、朝日とともに全国に知れ渡った。

 そんな中、理想に燃え、臣民の一滴の血に万の涙を流す大王は、さらに行動を起こす。

 大崎家訪問二日目。同家懐柔の取っ掛かりを初日に作った後、軍部に対し、誰が支配者か思い出させるある大事な行事を自身の訪問に合わせて急遽執り行うことにしていた。軍部に支配者を再認識させる行事――それは、一人の偉そうな男がただ兵士を睥睨するだけのイベント、すなわち、大王観閲勲章授与式である。笑ってしまいそうなほど単純だけれども、これ位まざまざと権威を感じさせるものもそうないだろう。

 名門大崎家の所領、富士ノ森市内の大崎軍事教練所。教練所とは常備軍兵士と士官を育成する軍事省直属の特別な高等教育機関であり、多くは市の名前が付けられている。が、ここは山上大王時代まで大崎市という名称だったこともあって、特別に陸軍名門家の家名が冠されている。国家常備軍の父、山上大王の時代、首都の氷野教練所に次ぎ二番目に設置されたという長い歴史を誇る教練所だ。その演習場に、ずらりと正規兵と同じ格好をした教練兵たちが背を正して居並んでいる。スーツの上に着た赤いマントに風をはらみ、大王はその列の手前に立って待機し、赤ワンピース制服姿の秘書はほおっと美しい隊列に感心している。

「全員、敬礼!」

 ここの所長である城矢当主がキルトスカートの軍服姿で号令をかけると、一斉に左手が虚空高くに並ぶ。七海はその一糸乱れぬ姿に思わずぼうっとしてしまうが、慌てて大王と同じように左腕を肘で直角に曲げて返礼する。真仁は四五秒経って手を下ろす。すると、一分の乱れもなく手がばたっと下りた。

 タイミングよく隊列の背後から大王近衛騎兵隊音楽隊がドイツマーチを吹奏し出す。賑やかな軍楽にあわせ、真仁とお芭瀬、それに、腕に一抱えもある大きな金盆に勲章を載せて城矢所長がそれぞれ少し距離を開けながら歩き出す。それに続いて二人の近衛兵が一歩踏み出すが、真仁が突然右手を掲げそれを制止する。

「軍が余を傷付けると思うかね?」

 非常に当たり前のことを指摘され、近衛兵は大人しく引き下がる。だが背後で、秘書と所長は思わず顔を見合わせる。けれど、ここで何を言っても仕方がない。すぐに前を向き各々オフィシャルの表情に戻る。

 大王は列の一番端に立つ教練兵の前まで来ると、威厳をもってその兵士の方を向く。やや小柄な青年はさっと左手を中空に真っ直ぐ突き出し、それに大王が返礼する。真仁が左手を下ろすと、その教練兵も手を腰の横へ収める。大王が一歩近付くと、秘書は金盆から好成績を収めた者へ送られる金卵きんらん勲章のメダルを取り、真仁へ渡した。赤い紐がついたメダルは金箔で覆われ卵形をしており、中央両面には浮き彫りで大王の武力的な権威を象徴する朱雀が描かれている。教練兵が最敬礼で腰を深々折ると、首から勲章を下げさせてやる。そして、大王が一歩下がると体を起こし、また左手挙手の敬礼と返礼を繰り返す。左に向き直り一人分移動すると、再び兵と顔を見合わせて敬礼に返礼。一歩前へ出て、同じメダルを受け取り、最敬礼されたら、首にかける。それから、後ろに下がって、敬礼と返礼。向き直って歩み、また隣の教練兵と顔を見合わせる……。ドイツマーチが華々しく鳴り響く中、以下、この繰り返しだ。

 ところが、七、八人目になって、単純なループに疲れたのか、はたまた、その気になったのか、大王はメダルを授けた後すぐには下がらず、教練兵に言葉をかけた。真仁と同じくらいの身長で細身ながらきちんと筋肉がついている。身体は軍人らしく健全そのもののように思えるが、その青年は白い眼帯を、八二くらいに分けた繊細な黒い前髪の下からこっそり覗かせていた。

「右目はどうしたのか?」

 感情を露わにしない独特の王室口調で優しく問いかけると、はっと驚いたような表情をしてから、密かに唇を噛む。それから口を開く。

「幼い頃に……不慮の事故にあいまして……」

「そうか。義眼は入れていないのか?」

 案ずるように問うと、一瞬顔を曇らせてからこたえる。

「諸事情で、病院には行けず……」

「そうか。片目では戦闘に困難も伴おう。その中での好成績、実に立派である」

「はい……」

 それきり目を伏せて黙ってしまう。本来なら「もったいのうお言葉」等続くのが常識であるが、どうも礼儀に関してはまだ少し不慣れらしい。まあ、教練兵ではそのようなこともあるかと寛大に許し、一歩下がって敬礼の応答をする。

 左を向こうとすると、秘書が小声で告げた。

「今の者で最後です、陛下」

「ん? うん」

 相槌のような返事をすると、勢いをつけてくるりと反転し、教練兵たちに背を向ける。

「全員、気を付け」

 城矢所長の号令が飛ぶと、一斉に足が合わさる音が演習場に響く。近衛音楽隊も演奏を切った。

 全てが静寂に包まれる中、真仁は一人進み出て、整列する教練兵の真正面に来ると止まり、赤いマントを揺らして振り返る。

「全員、最敬礼!」

 再び号令がかかり、教練兵、楽隊に留まらず、秘書のお芭瀬までもが恭しく腰を畳む。それに頭を下げて会釈すると、よい、と言って面を上げさせた。

「まず初めに、金卵勲章受賞者の日頃の努力とその成果に対し、敬意を持って賛辞を送りたい。また、他の教練兵も、今後とも邁進を期待する」

 王室口調で本心とは思い難い口上を述べた後、議会でやったような政治家の演説口調へと変わる。

「昨今の伊達派は、かつての家族としてのまとまりを欠き、危うさを孕んだ社会へと変転してしまっている。その主たる要因は、経済財政不安、農産物の不作、そして、統一政策改革への不安である。――憂鬱な現況を打開するため対応すべきものは三つあり、それぞれが難敵だ。このような場合、最も効率的に、つまり、少ない労力で確実に解決へ導くには、どうすれば良いだろうか?」

 一度全体を見回して、考えさせるような間を取ってから話し出す。

「軍事においては、別々の方面に展開する三個師団を、仮に一個師団で迎え撃たねばならない場合、敵を分断させたまま高速で起動し各個撃破する他ないだろう。しかし、ことは幸運にも政治である。政治は生身の師団より問題を柔軟に解決することが出来る」

 聴衆を意識し珍しく軍を喩えとして使いながら、主論へ導く。

「その糸口こそ、新統一政策なのである! 幸福の大陸パンゲアの創造政策は、北条派との経済交流や農作物の取引を実現する。新政策は従来のような著しい人的、財的損失を防ぎ、両派に平和と、好景気、さらには新たな雇用をもたらす。つまり、パンゲアは君たちの財産、及び生命を救うのだ! パンゲア政策は、包括的な国内外の安定と繁栄を目標としたものであって、決して臣民の不幸を想定していない。この政策は、日本能力者世界全土の人々に、幸福な一生を与える政策である! より、ある特定の集団に不利益になることはない。余は、全臣民、全日本能力者の幸福安寧を祈るものである! 無論、軍部も含めてだ!! もう流血で滂沱するのはやめだ! 皆で、最大の安定と繁栄を享受しようではないか! 故に、軍人を志す諸君らも、この政策、幸福の大陸パンゲアの創造政策に対し、冷静さをもって理解と協力をしてくれるよう、重ね重ね訴」

「黙れえ!!」

 もう終わろうかという時になって、グランドに青い罵声が響き渡った。

 城矢所長は真っ青になって声のした方を見る。お芭瀬も緊迫した表情で教練兵たちを見やる。遠くに控えた近衛兵は臨戦態勢になり、大王の様子をうかがう。だが、真仁は無表情に声の主を見詰めるだけだった。上気した細面の教練兵が睨み返して叫ぶ。

「黙れ黙れ黙れえ!! この泥棒め! 大崎家を買収して、俺たちから戦争を取り上げて、じゃあ、何をさせるんだっ!! どうせ甘いこと言って見捨てるだけだろっ!! 戦死しなけりゃ餓死するだけじゃねーか!!」

 大王はただ無言でその目を見詰める。だが目の良い者は見逃せなかっただろう。彼の唇にきつく前歯が突き立てられていたのを――。

 しかし、猪の目は小さすぎた。

「やっぱりねーんじゃねーかああっっ!! この泥棒おおおっっっっ!!!!」

 突然スラリと腰に下げたサーベルを抜くと、脇に構えて走り出す、一直線、大王に向かって!

 城矢所長が反射的に駆け出す。反対からは二人の近衛兵が全速力で走ってくる。教練兵と陛下の距離はおよそ四メートル、彼我の距離は三メートル――所長は目を瞑り能力で突撃する教練兵との間合いを計ると、ぐっと右足に力を入れて飛ぶ。そのまま上から襲い掛かるようにヘッドスライディングして右足首を掴む。姿勢を崩したところを反対から近衛兵が体当たりで突き飛ばして地面に転がした。お芭瀬はほっと胸を撫で下ろしたが、すぐ列に並んだ教練兵が指差して叫ぶ。

「見ろ! あいつ、サーベルを持ってないぞ!」

 瞬間、三人に取り押さえられた教練兵はにっとほくそ笑んだ。それに気付いてもう一人の教練兵が慌てて大王の方へ駆け出し、手をあらん限りに伸ばして何かを掴もうとする。



 が、遅かった。



 次の瞬間、何もなかったはずの空間にサーベルが突如出現し、慣性の力で真っ直ぐ飛んで行き――




 ずぶり。




 嫌な音を立てて、大王の左脇腹を刺した。




「そんな……陛下……」

 七海が声を震わせる。居並ぶ教練兵や楽隊は目の前で起こったことのあまりの衝撃でぼうっと立ち尽くす。城矢所長と近衛兵は怒りと悲しみで顔をぐちゃぐちゃにしてグランドの土を何度も、何度も叩いた………。

「そこを――」

 ところが、不意に低い呻き声が大王の口から漏れる。皆、はっとして見やる。

「そこを――どけ。お前たち……三人に言っている」

 慌てて所長と近衛兵が教練兵、否、反徒から体を起こし、距離をとる。

 未だしたり顔の青年を大王はぎろりと睨み据える。すると、にんまりと笑んだ唇は次第に色を失い、ぶるぶると恐怖に震え出す。

 真仁は手だけ動かしてサーベルの刃に触れる。と、たちまち頑丈な刀は熱を帯びて真っ赤になり、少し指に力を入れただけで簡単に折れてしまった。折れた刃と柄が地面にぽとりと落ち、土埃が静かに舞う。

「教えてやろう……」

 脇腹に血を滲ませながら、大王が右手を高く掲げ人差し指を立てる。

「父に口答えするのは許されても……手を上げるのは決して許されないとっっ!!」

 怒声とともに右手を振り降ろし、一本立てた人差し指の先から小指の爪ほどの赤い点を射出する。それは真っ直ぐ、地面で縮こまる反逆者の真上に落ちて行き――真仁が右手をぱちんと鳴らすと、目玉と鼓膜をぶん殴りながら爆発した。

 七海は咄嗟に腕で明滅する目を庇いながら恐怖する。

 北条家の能力、雷は、日本能力者世界で二番目に強い。一番強いのは、そう、この伊達家の能力――朱雀の涙だ。光と熱を凝縮した小さい火の粉のような点が、時に原子爆弾に相当する威力で炸裂する。北条派の能力者は民間人でも精鋭揃いだ。伊達派の軍人の能力など屁でもない。だが、彼らが束になってかかっても、核爆弾一発には絶対に勝てない。先人たちは今までこんな怪物を相手に戦争をやって来たのかと思うと、その無謀さがよく分かってくる……。

 爆風による土煙の中、所長が流血の酷い大王を支え担架に乗せる。一方、二人の近衛兵は反逆者の生死を確認しようと立ち上がった。と言っても、反徒の青年が寝そべっていた場所、朱雀の涙が炸裂した真下には大穴が空いている。思わず顔を見合わせた後、日の光がギリギリ届くか届かないかという深い穴の中を淵に立って覗き込んだ。――穴の底には、憐れな反徒の最期が影となってしっかり刻印されていた。頷き合うと、大王が無事救急の馬車に乗せられ軍病院へ向かったことを確認し、お芭瀬の方へやって来て今後について話す。

「大王秘書閣下。首都への連絡をお願い致します。それと、観閲勲章授与式の中止を正式に宣言すべきかと存じ上げます」

 半ば放心状態のお芭瀬はそれではっと顔を上げて問い返す。

「陛下は? ご無事なのでしょうか?」

 近衛兵は困り顔でこたえる。

「分かりかねます。我々は医者ではありませんので」

「そ、そうですね……。助言と気遣い、感謝します」

 そう言うと、暗い顔ではるか遠方を見詰めた。太陽がかぶさるその視線は南の方角を――大王が運びこまれた軍病院と、はるか彼方海沿いに広がる故郷の街をとらえていた。




 大王急襲の報は、すぐさま首都の大王代理、春瀬の下にも伝わった。

「へ、陛下が刺されただと!?」

「はい。観閲勲章授与式の最中に、左下腹部を一突きされ重症とのことです。なお、今のところ、命に別状はないとのことです」

 スーツ姿の冷静な老紳士の秘書が淡々と報告する。対して、春瀬は酷い取り乱しようだ。

「誰がやった!? あの白髪の秘書かっ!?」

「いえ。一人の教練兵ということです、殿下」

 表情なく事実を告げられると、顔を明らかに歪めて右手で額を押さえる。

「私たち文人に任せておけば良いものを……! これだから軍人はっ」

 しばらくその姿勢のまま、何事か思案すると、一転背を正し秘書に命じた。

「郵便省に命令だ。この事件に関する情報の拡散を一切禁ずる。新聞報道はもちろんとして、郵便物の検閲も行うよう。これは内乱を阻止するための非常の統制だ。同時に、内務省治安維持隊は、念のため、不測の事態にすぐ対応できるよう準備をする。これについては私が直々に隊長へ伝えるから、ここに呼ぶように」

「御意に」

 秘書は持ち場を離れ、急いで執政室を出て行く。

 ――陛下の一滴の血への優しさが本物なのは軍部とて分かっているだろう。だが、軍部は有効な再雇用策を提示されないまま強引にことを進められてきて我慢の限界、激発寸前だ。陛下に対する怒りの謀反は、これで終わらず巨大なものとなるに違いない。情報統制もほとんど焼け石に水だ。軍部は郵便省管轄外で独自のネットワークを持っているからな。さて、この後、大きな反乱が起こったとして……果たして私は押さえることが出来るだろうか………?



 固唾を呑んで執政卓の先を見詰める。白魚の指をぎゅっと握り締め、また開く。じとりにじんだ汗が嫌に冷たい。脳裏に浮かぶのは、「進退」の一語であった。

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