第二十一話 縁談
日本能力者世界の伊達派と一般人世界の日本の差は大きい。地方名は違うし、山や川の呼び名も必ず同じとは限らない。諸々の社会制度や通念などさらに違いが際立つだろう。だが、その中でも、列島最高峰の輝きだけは変わらないらしい。
霊峰富士。
天を突く青い山肌の光は、どちらにとっても等しいようだ。沿岸を主な支配域とする北条派の人間は、山間国家との敵対の影響か、山に感動することはあまりないみたいだが。とりあえず伊達派では、古い文献だと麓に領地を持つ名家の名を冠して大崎山となっていることもあるようだけれども、中央集権化を推進した山上大王の頃から士に富む山――富士山という呼称に変わっていった。そこはかとなく、地方豪族を叩き潰して絶対化していった大王の思惑を感じなくはない。
そんな豪族潰しの悲哀を舐めながらも耐えて生き残ってきたこの大崎家は間違いなく指折りの名家だ。始祖両家に次ぐ歴史を誇り、
ところが現在、大崎家は重大な危機に見舞われている。
「大崎家の危機はいかになっている?」
開口一番どきりとさせられ、名家の当主はあわあわ返答する。
「い、依然危険な状況です。この家にはご存知の通り、三人の娘しかおりません。このままでは二千年近い歴史を誇る当家もお終いです!」
能力は雄絶対優位で遺伝していくことが分かっている。したがって、男児が生れなかった時点で能力は継承され得ず、これをもってお家断絶となってしまうのだ。家名を引き継げば婿入りでもいいなんていう話は通用しない。この世界では、血に住む能力と家名は同一のものだ。能力が継承されなければ、家名も継承されない。
切迫した様子の当主に、けれど、真仁がかすかに眉をひそめる。
「最近聞いた話では、傍系が見付かったということだったが……?」
「ああ、それは事実で御座います、陛下。ですが、六百年ほど前の当主の弟に連なる血でして、いくらなんでも遠過ぎます。仮に迎え入れても、正当性の保持には甚だ疑問が残ります」
「六百年……まあ、確かにその年数では、新大崎家とでも名前を変えないと難しいだろうなあ。傍系も傍系。今の大崎家をそのまま継ぐにはいささか弱すぎるだろう」
「はい……ですが、大崎家に希望があるならば、当主として藁にも縋る思いなのです。大崎家はただの家名ではありません。様々な歴史、伝統、誇りある立場も含めて大崎家なのです」
根も葉もない言い方をすれば、大崎家が相続してきた輝きとともに利権も守りたい、ということだ。当主としては男児を生めなかった上に先祖伝来の特権まで失っては、死んでも死にきれない思いなのである。
お芭瀬が固唾を呑んで見守る中、真仁は努めて平静に話す。
「そうか――二千年来の忠臣、それも名家の忠臣を見捨てるなど、全臣民の大父として恥ずべきことだ」
「へ、陛下!?」
当主がきらきらと顔を輝かせる。大王はそれに明るく頷いて続ける。
「忠臣を救うため、大崎家の娘を、大王妃に迎えよう」
「大王妃に!?」
「大王妃ですか!?」
思わず黄帝妃候補の秘書も飛び上がって叫ぶが、慌てて腰を落とす。
「大丈夫か?」
温度の低い声に、も、申し訳ありませんと蚊の鳴く声で返事する。大王は今一度当主の方を向き付け加える。
「大王家と繋がれば、その六百年前の分家を跡取りとしても外戚として力を保てる。さすれば、無理な相続でも周囲の文句は通るまい」
「し、しかし、正妻第一候補は、氷野春瀬大母殿下だと言われています。それを横取りするなんて畏れ多くてとてもとても」
「春瀬? んまあ、個人的には悪くないが、政治的に何の意味もない。あんな政界からいつほっぽり出されるか分からん奴を余の嫁としても、メリットがまるでない。逆に、大崎家との婚姻をこちらから打診するのは、余がそれだけ力を認め、注目しているからだ」
「で、でですが、先代真吾大王陛下は私の姉を娶りました。すなわち、陛下は従姉妹と結婚なさることになります。いささか血が近過ぎるように思えるのですがっ」
「確かにあまり一般的ではないが、前例は幾つかある。躊躇う理由にはならないと思うが? そもそもなぜ余の誘いを固辞する? いささか無礼ではないか?」
すると、大汗を噴出して慌てて否定する。
「そ、そんなつもりでは! 魅力的な提案に目が眩んでいるのです。ただ一つだけ、伺いたいのですが――陛下は大崎家のパンゲア政策に対する態度をご承知の上でおっしゃっているのですか?」
大崎家は陸軍軍人一族として名を挙げていることから分かるように、パンゲア政策には猛反発している。一族の誇りにかけて、この「軍隊潰し」に同意してはならないと火を噴いている。
が、規格外の大王は、やることに異常な思い切りがある。
「お前まさか、余と外戚関係になっておいて、パンゲアには都合よく反対しようと思っていたのか?」
一番反対しているところを賛成に覆せば、他の以下に続く反対派も右習えで鞍替えする。簡単なことではないが、一発で確実に済む方法だ。軍部の実力者を押さえて懐柔するとは――。挙げ句、今回の取引は、見返りが悲願達成ときた。神か、そうでなければ、大王にしか叶えられない夢だ。
当主は頭を抱えてたっぷり悩む。縁談を受け入れれば大崎家は断絶しない。だが、その先に先祖がずっと走って来た戦場はないかもしれない……。一族の血を、誇りを捨ててでもとにかく繋ぐか。それとも、一族の名誉を守って散るか。たっぷり悩み、悩み続けた末、当主は慎重に検討したいと返答するに留めた。
「大崎家、第三位公家、脳波による高精度な空間把握能力で陸戦の天才と呼ばれ二千年……。しかし、本当に当主は陸軍軍人だったのですか?」
会談後、一行が大崎邸の来賓用寝室に通されると、ベッド脇のソファに座りながら秘書が呆れて言った。マントは壁にかけてベッドに寝転んだ大王が苦笑いする。
「そのはずだがなあ。いや誠見事な返事だった」
どうやら先ほどの会見における最後の返答がよほどおかしかったらしい。伊達派では軍官が分離されていることもあって、政治家が武に秀で、武人が政治に秀でているといったことはあまりない。生粋の武人たる大崎家当主が慎重に検討したいなどと政治家言葉を話すのは、政治家の彼らにはかなり笑える図なのである。
兎にも角にも、交渉は継続して行われることになった。大王は予めこうなると分かっていたのか、ショックを受けた様子はなく、平常運転だ。
しかし、七海は時折考え込むような表情を見せている。
「どうした、七海?」
案じて問う。だが、自分でも分からないのか、白髪をふるふると揺らす。
「分かりません。ですが、何かもやもやするのです。胸の辺りが」
「病気か?」
はっと半身を上げるが、それはないと思いますと言われ、まただらりと仰向けに寝る。
「ですが、一つはっきりしていますのは、驚いた、ということです」
「何がだ?」
「陛下が大王妃を迎える提案をなさったことです。あと、春瀬殿下が第一候補だったことも……」
「提案の内容は言ってなかったから当然としても、春瀬のことは知らなかったか?」
「ええ」
「結構有名だと思ってたんだがなあ。それともあれかな、余との確執が顕在化してから周りが気を遣って話さないようにしているのかもしれん。そうだとすれば、お前の耳に入ることはなかったな」
「ですが、過去の話ですか?」
「そんなことはないぞ」
けろっと先ほどとは真逆のことを言う。
「し、しかし、会談では――」
「考えてもみろ。縁談を持って来た奴が、他の女性との結婚に意欲を示していたらどう思う?」
「競合相手に勝つため早く手を打ちます」
「確かに。――いや違うよ」
ノリでぽんと打ってしまった手を空中に掲げる。
「今回のケースでは、他の女性とは氷野家の当主だ。つまり、大母殿下だ。律儀な軍人の彼が遠慮をしないと思うか?」
「なるほど。そうですね」
「だろ?」
手をぱたりと落とすと、あくびをする。
「はぁあ。この後の予定は?」
「午後七時より夕食会です」
「現在時刻」
「午後三時です」
「うわあ。糞暇だなー」
「陛下の言葉遣い、たまに訂正したくなるのですが……」
同じような立場にある皇女として恥ずかしいです、と嘆息する。
「今はプリヴァートな時間だ。公務中しっかりしていれば良かろう」
「プリヴァート?」
あっと口元を押さえる。
「ドイツ語かな? 私的な時間、という意味だ」
「プライベートですね。おそらくそうでしょう」
ふつりと会話が途切れる。そのまま無音が続き、真仁が身じろぐ。それから低く咳払いし、口を開いた。
「七海」
「はい、陛下」
「一つ訊きたいことがあるのだが――お前、北条派に、故郷に帰ろうとか帰りたいとか、思ってるのか?」
赤い目を丸くする。
「どうしてそのようなことを?」
「いやな、今朝、汽車に乗る前、周陛下などの喩えを出したとき、遠い話と言いながらも、寂しそうな目をしていたからな。気になって」
しかし、秘書は毅然とこたえた。
「今しばらくお世話になります。仕事も途中ですし」
「ほう。パンゲアにはそれなりにやり甲斐を感じてくれていたようだな……。だが、今しばらくとは?」
「今のところ、こちらでの生活に何不自由なく満足していますが、まだこちらに来て、一年と少ししか経っていません。いつ将来ホームシックに襲われるとも、あるいは、襲われないとも分かりませんので、行くゆく先までは断言し難いということです。ただ少なくとも――」
「何だ?」
顔を七海の方に向ける。
「兄様の心次第です。反省していれば考えるかもしれないですが、そうでなければ論外です」
「んー、そうか……。ま、個人的には安心だ」
「え?」
赤目がちらと見返す。
「ああいや、お前がいなくなると、外交に精通している人物がいないから困ると思ってな」
「そういう理由ですか」
「大事だ」
「それは違いありませんが……」
その時、大きな木のドアを控えめにノックする音がした。
「陛下。いらっしゃいますか」
「執事の声だな。出てやれ」
お芭瀬は席を立ち、そこに真仁がかける。秘書がドアを半開きにして顔を出す。
「はい。御用件は」
「お時間よろしければ、城矢がゴルフをご一緒したいと申しております」
「ゴルフと言ったか?」
部屋の奥から大王の声が響く。秘書は振り返ってうなずく。
「はい、陛下。よろしければ城矢当主がご一緒したいとのことです」
「良かろう。ここで腐っているよりか千倍ましだ。すぐに行くと伝えてくれ」
「準備をすぐに、とのことです」
「承知いたしました。それでは失礼させて頂きます」
恭しく腰を曲げると、長い木張りの廊下をつつつっと歩いて行った。
ドアを静かに閉めると、背中に楽しげな声が掛かる。
「お前も早く準備をしろ」
ぴくっとして振り返る。
「わ、私もやるのですか?」
「いやキャディーだ」
「はい。そうですよね……」
皇女の身分で秘書をやると時々辛いですね……と今更な感想を抱いてため息をついた。
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