第二十話 大王の出張

 正円の鉄の城壁に囲まれた首都の地下、北側にある軍の武器庫の下辺りに、それは極秘の内に造られ、利用されていた。

 耳を突ん裂く甲高い汽笛の音とともに、真っ白な蒸気が靴の下からもうもうと立ち込める。赤いパリッとした上衣に黒いズボンを穿いた男たちが黒々と光る巨大なボディーの周囲を走り回り、上から管についたホースを伸ばして注水していく。その間も、巨躯からは雲のような白い蒸気がもくもくと吐き出され、円筒形の胴をゆらゆら這い上がって行く。

「さすが巨費を費やしただけはある。大した姿だ」

 天井に連なるガスランタンがちらちら投げかける薄暗い橙色の灯の下、大王はプラットホームに立って、隣の秘書に言った。すると、感激しながら感想を返す。

「そうですね……北条派にはまだこんなものはありません」

 彼らが今目の前にしているのは――巨大な蒸気機関車だ。全長三一メートル、全高は四・二メートル。堂々たるボディーは黒々と輝き、正面にはSL-FVと緋色で輝かしく刻印されている。

「あのアルファベットは何の略ですか?」

「アルファベートのことか?」

 ドイツ語で尋ね返す。伊達派は軍を西洋近代化した際、規律面などでドイツのものを積極的に参考にした結果、取り込む過程でドイツ語が浸透したのだ。その影響は現在、軍関係の広い範囲にまで広がっている。はてなという顔をされ、真仁がそう説明すると、納得したように頷く。それを見てから、先ほどの質問に答える。

「SL《エスエル》-FV《エフヴィー》は、Steam Locomotive - Feuervogel《フォイヤーフォーゲル》号の略で、意味は蒸気機関車―火の鳥号となる」

「ほうほう。ですが、SLは英語ですよね?」

「それはあれだ。蒸気機関車の技術はスコットランドから学んだからだ」

「ああ、なるほど」

 ふむふむと首肯する。

「真吾陛下の時代でしたか? この計画は」

「いや、これは――赤王蒸気機関地下鉄道建設計画を主導したのは、余の祖父、深山大王だ」

「ああ、あの評判の悪い……」

「まあな。もとは軍の部隊展開や物資輸送を高速化する目的で造られたんだが、実戦使用はゼロ。代わりに郵便省の新聞や貨物、企業の商品や資源開発管理省の資源輸送などで大活躍している。開通以降年々そういった軍以外の利用量が増えていって、ついに父が陸軍所管だったこの鉄道をより一般に使い易くするため国土省管轄に移したんだ。実際、管理者が変わった直後、景気が上向いたらしい」

「しかし、計画は全て極秘だったと聞いています」

「今でもだ。国家最高機密に分類されている。故に、関われるのはごく限られた信用ある立場の者だけさ。情報が漏れては、戦時の電撃的な展開の効果が薄れるという理由だ。これも軍の弊害だな……」

「考えてみれば、軍部の全てにおける最高決定権は陛下に存すると憲法に定められていますのに、それだけの権力があっても思い通りに出来ないとは――」

「権力と支配権は別ものだ。権力は文書で規定されるが、支配権は人心で決まる。それを合致させるよう努力しなければならぬが、時に上手くいかないこともある。お前の前でこの例を出すのは気が引けるけれど、北条派の周陛下だって軍権を形式上握っていながら、実際は沙織に部分的に奪われているだろ?」

「もはや遠い話のようですね……」

 関係はないが思わず呟く。遠い目をして視線を上げても、そこは細長いトンネルの煤けた天井である。しばらく複雑な表情で低い地下の空を仰いでいると、突如はっとして嘔吐きながらしゃがみ込む。

「ど、どうした!?」

 大王が慌てふためいて膝を立て背中をさする。他の駅員たちもぎょっとして走り寄って来て、秘書の状態を確認する。

「煤にやられたのかもしれません」

 しゃがれ声が推察すると、別の若い声が言う。

「陛下もお気をつけ下さい。ハンカチを口に当てるといいですよ」

「そうか。ありがとう。で、余の秘書は大丈夫なのか?」

「澄んだところで少し休めば……」

「その必要は……ありません」

 駅員の手を優しく押し留める。

「煤ではないと思いますから」

 さすがは隠れても皇女と思わせる気品ある態度で言われては引くしかない。しゃがれ声が承知いたしました、と頭を垂れると、他の者と一緒に自身の部署へ散っていく。

「本当に大丈夫なのか?」

 真仁が案じると、お芭瀬、否、七海は応えた。

「正直、大丈夫ではありませんが、あの方たちに話すことではありません。低い天井と暗い地下トンネルが、監禁された地下牢を思い出させたのです……」

 大王はあっと言うと、掛けてやる言葉に迷い、結局、そのまま口を引き結んでしまった。白髪の悲劇の皇女を映すその瞳の裏には、二千年の栄光を誇った故郷が燃え落ちる様が浮かんでいた。




 白煙を地下トンネル内に吐き出しながら走り続けること一時間超。列車はけたたましい汽笛を鳴らし、あまり代わり映えのしない薄暗いホームに停車した。再び白雲を車輪辺りから盛大に噴き上げる。大王と秘書はそれぞれ正装で列車中央部の真っ赤に塗られた御召車両から降りて来る。ホームにはサーベルを右肩に当ててかしこまる現地の大王近衛兵が花道を作り、そのすぐ手前で降り立つ大王一行を出迎える男がいた。上下を黒スーツで揃えた男性は、健康的で丈夫そうな体つきだが、隠しきれない年の波が顔や手に皺をなしている。

「元気なようで何よりだ」

 ステップを完全に降り切ると、大柄な中年男の顔を見上げて微笑む。

「久方ぶり、という程でもないか」

「ええ。大父降誕祭でお招きいただいて以来です」

「と言うことは、二月八日か。意外と久しかったな」

「陛下と私とでは、時間の流れ方が違うのですよ」

「そうかもしれん。ともかく、突然の訪問になって迷惑かけたな。感謝するよ」

「いえ! とんでも御座いません! 陛下のご訪問なら前日に言われましても」

「そうか。じゃあ、今度からは前日に言おう」

 そして、はっはっはっと鷹揚に笑う。どなたに対してもマイペースな方ですね、と七海は背後に控えながら思うが、割とお前が言うなである。

「会談の準備はもう整っていますので、どうぞこちらに。煤で汚れた肺を、霊峰の麓で浄化なさって下さい」

 霊峰? 七海が首を傾げるも、主人は気付かず、ただ世辞を交わす二人の後ろを訳も分からず着いて行く他なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る