3.現場

 巴が美春に連れられてきた場所は、市営の団地であった。八階建てのコの字型をした白いペンキの塗られた無骨なコンクリートの建物がいくつも並んでいる。階数もさることながら、建物自体も大きく、何百世帯もがここで暮らせるだろう広さをほこっている。

 その中心にあるスペースには自転車置き場が併設されており、さらにそこから下に歩くと遊具の少ない公園のような場所が敷地内に設置されていた。公園には子供が持ってきたプラスチックのシャベルやバケツが転がっていたが、この暑さで外で遊んでいる子はいないようであった。

 建物には所々にひびが入り、白い建物であるのにペンキが剥げ灰色を伴っている部分が多く見受けられ、建ってから随分と年数が経過している事を教えてくれる。

 それに順ずるように、今時のマンションにあるロービーなどは存在せず、当然オートロックの自動ドアや階段前の扉に番号認証なども付いていない。監視カメラ有りとの札が張ってあるが、建物のセキュリティーは低いらしい。

 駐輪場の近くには、天井がついているだけのレンガの建物が棟の数だけ建っており、番号が振り分けられている。どうやら、棟毎にポストが分けられているようだ。鍵は自前でつけるらしく、ポストには折々の錠が掛けられ、中にはそのまま何の防犯もしていない住人もいるようであった。

 蝉の声が暑さのせいでみな家に引きこもり、住民が住んでいるかも分からないほど閑散とした敷地内に響いていた。その建物の入り口である門の前で、巴と美春は立ち止まっていた。


「入らないのか?」

「ちょっと待って、落着くから」


 美春は大きく深呼吸をすると、よし、と一言気合をいれ、団地の中へと入っていった。門を抜けると、左右に木々が植えられており、右手には件の郵便のある建物、左手の建物側はあまり使われていないのか、草木生い茂るスペースに物置が設置されているようであった。

 巴は美春に管理人には許可を取っているのかと尋ねようとしたが、当の美春が緊張しそれどころの状態でなかったので、大人しく様子を見ることにしたようだった。

 建物の敷地内に入ると、入ってすぐの101号室前で美春は足を止めた。美春は緊張する自分を奮い立たせるように、気合を入れて呼び鈴を押す。


「はーい」


 すぐに部屋の中から呼び鈴に対する返事が返ってくる。声色は高いが、妙にくぐもった声。それから察するに、部屋の住人は高齢の女性のようであった。


「どなたでしょう――――」


 ドアのチェーンがはずされ、中から上品そうな、花柄のシャツと黒いロングスカートを履き、パーマのかかった白髪のお婆さんが出てくる。そして言葉の途中で美春の顔を見るや、目を見開き口をパクパクとさせて固まったように動かなくなってしまったのだ。


「秋美…ちゃん?」


 搾り出すようにお婆さんの口からそんな言葉が出てきた。秋美というのは、美春のこの団地で亡くなった妹の名前である。美晴は自分と妹が双子だと言っていたが、お婆さんの様子から、どうやら本当に似ているようであった。


「いいえ、違います。初めまして、管理人の速水さんでしょうか? 私は久代くしろ秋美の姉、三原美春と申します」


 美春は落着いた様子で自分の胸に右手を沿え、令嬢を思わせるようなおしとやかな声で、ゆるりと流れるように物腰を柔らかくし、管理人である速水の独り言のような質問に答えた。

 先程までの面影がないほどの変わりように、背後で事を傍観していた巴は固まってしまっているようであった。


「まあ…そう…よね。ごめんなさいね、本当に似ていたものだから。電話を下さった美春さんね。前もって聞かされていたのに、もう歳だからかしら、また驚いてしまったわ。電話で聞いた声でも驚いてしまったけれど…本当に似ているのね…」

「いいえ、こちらこそ突然連絡をしてしまい、申し訳ありませんでした。本日は無理な相談を聞いていただき、ありがとうございます」

「いいのよ、大した事じゃないんだから。美春さん…だったわよね? 秋美ちゃんと違ってお淑やかなのね。秋美ちゃんは元気がよくて、明るい子だったから…。本当にいい子でねぇ…」


 女性二人が長くなるであろう会話を始めるのを巴は無言で見守っていた。頬がヒクヒクと動いているので、何か言いたい事があるようであったが、会話を二人の会話を遮る訳には行かないと、沈黙を保っているらしい。


「ああ、ごめんなさいね。急いでいるでしょうに、話が長くなってしまったわ。それじゃあ、これ。426号室の鍵。案内はしなくて大丈夫?」

「はい、お気遣いありがとうございます。大丈夫です、私一人ではありませんし」


 美春が会話を終え鍵を受け取る。たまたま美春がもう一人の連れである巴の存在を示唆ので、速水の顔が美春の背後でボーっとしていた巴に向けられた。


「…どうも」

「こんばんわ。あなたは――――」


 速水の言葉を遮り、日が傾いてきたからか、団地の電灯が自動で一斉につき始めた。三人が固まったのは、その内の一つである自分達の真上にある明かりが、カチカチと音を立てて点減したと思うと、フッと消えてしまったからだ。


「あらいやだわ、蛍光灯が切れちゃったみたいね。そういえば調子が悪いって聞いてたのに、すっかり忘れていたわ。歳はとりたくないものね。もういい時間だし、二人は早く部屋を見てくるといいわ」

「いいえ、お手伝いさせてください。無理を聞いていて頂きましたし、蛍光灯を換えるぐらいでしたら、まかせてください」

「あら…本当に姉妹なのね。秋美ちゃんもよくそう言ってくれたわ。本当にいい子で…ごめんなさい、また話がそれてしまう所だったわ。それじゃあ、お言葉に甘えちゃおうかしら? 脚立が階段の下に置いてあるから、取ってきてもらっていい?」

「はい、行って来ますね」


 浅くお辞儀をすると美春は足早に脚立を取りに行った。残された巴は速水を気にしながら、気まずい思いをしているようであった。


「あなたは…」

「あ、すみません、私は九条巴という者で…」

「そう、九条さんね。初めまして、美春ちゃんのお兄さんかと思ったけど、違うみたいね。でも、妹さんいるでしょう? 面倒見がよさそうな雰囲気があるもの」

「はい、妹が美春…三原さんと仲がいいみたいでして。それで、今回一緒に来る事になんたんです」

「九条さん優しいお兄ちゃんなのね。妹さんの頼みとはいえ、ここまでついて来てあげるなんて」

「いえ、そんな事は…」


 巴が危惧していたとおり、会話が始まってしまう。店であればどんな人物であろうと接客できるのだが、巴は人見知りではないにしても、気を使うような会話は苦手なようであった。

 巴が美春に早く帰ってきてくれと思いをはせていると、それを感じ取ったのか、美春が自分の胸ぐらいまである折りたたみ式の脚立を重さに耐えながら、ゆっくりと持ってきてくれた。

 巴は速水に気が付かれないようにホッと一息吐くと、脚立を足元に下ろした美春の視線が自分に向いている事に気がついた。


「遅くなりました」

「早かったわよ。それに九条さんが相手をしてくれてたから」


 美春は速水と話しながらも、チラチラと巴へ視線を送ってくる。巴が、はてなんだろうか、と首をかしげていると、視線は怒気をはらんだ物へと変わっていった。結局、美春が自分のスカートを片手でつまんで引っ張るまで、巴はスカートをはいている美春が脚立に上るのはまずいと言う事に気がつかなかったのである。


「あのー…女の子にやらせるのもどうかと思うので、私がやらせてもらいますね」

「九条さん紳士ねー。それじゃあ、えっと、確か玄関に…あったわ。長いから気をつけてね」


 長い蛍光灯のガラス管を受け取った巴は、軽い身のこなしで脚立を設置し足を掛けると切れている蛍光灯へと手を伸ばした。


「巴さん! スイッチを切ってください!」

「ん? ああ、これか。危ない危ない」


 美春に止められ、巴はのんびりとした態度で失敗を恥じることもなく、蛍光灯の横の部分に配置されている非常用の電源スイッチを切ると、寿命を迎えたガラス管を取り外すと新品のものへと交換し、スイッチを入れなおした。

 蛍光灯に真新しい強い光がともり、辺りを照らした。ほっと一息吐くと、巴はこの僅かな時間で、辺りがより暗くなっていることに気がついた。どうやら、時刻は十九時近いらしく、日が落ち、星が空にチラつき始めていた。


「ありがとうね。お茶でも飲んでいってほしいけれど、もう暗いし早く部屋を見た方がいいわね」

「そうさせていただきます。では、帰りにまた寄らせていただきますね」


 ペコリと美春は丁寧にお辞儀をすると、先程鍵を受け取った426号室へと向かっていく。巴も速水に会釈すると、すぐに美春の後を追いかけた。


「巴さん、常識なさすぎ」


 美春に追いつき隣に並んだ瞬間、巴は口早に美春に文句をぶつけられた。


「私はスカート履いてるし、それ以前に女子にあんな作業させちゃ駄目だよ。蛍光灯も危なかったし」

「俺はそんな事より、お前の変貌っぷりに一言物申したい気分なんだけどな。猫は猫でも猫かぶりとか、ジョークにもなんないだろ」


 巴はようやく言えたその一言に、一仕事終えたような満足げな一息を吐いた。


「別に猫をかぶってるって訳じゃないかな。普段から基本はあんな感じだよ私」

「そうなのか? それじゃあ、今のお前はどういう訳だよ」

「んー…どうしてかな? あ、巴さん特別エディションとか?」


 ピンと指を立てて、美春は含みのある笑顔で巴を見た。巴は誤魔化されている事に気がついていたが、文句を言おうともせず、小さな溜息を吐くとジト目で美春を見返した。


「何言ってんだか」

「巴さん冷たいなぁ。そうそう、雪乃に言わないでね、私あの子の前でもさっきの感じで過ごしているから」

「筋金入りだな。そこまでくると、今のお前こそ猫かぶりなんじゃないのかと疑うほどだぞ」

「女は不可思議な生き物なんだよ巴さん」


 猫のように手を丸めて、美春はにかっと笑った。巴は思う所があるようだったが、何を聞いても誤魔化されるだろうと、無駄話へと会話をシフトさせた。

 喋りながら階段を上り、しばらく歩くと、目的地である426号室へと到着した。

 建物と同じ白色のドアを前にして、美春は鍵を開けるのを躊躇しているようであった。踏ん切りがついていないのだろうと、巴は美春の手から鍵を取ると、美春を下がらせドアの鍵を開けた。


「…ありがとう」

「いいさ、べつに。きついなら俺の服にでも掴まってろ。ここまで着たからには、中には絶対入る気なんだろう?」

「うん…巴さん背中借りるね」

「ああ、っておい! くっ付きすぎだ! …くそっ、もういい、中に入るぞ」


 背中にピッタリとくっ付いてきた美春を振り払おうとした巴だが、美春が震えている事に気がつき、そっとしておく事にしたようだ。

 ドアを開けて中に入り、玄関で靴を脱ぐ。短い廊下には浴室とトイレの部屋があり、まっすぐ進むと、茶色のドアが門番のごとく静かに佇んでおり、その先が事件のあった部屋になっているようであった。

 巴はドアノブに手を当てると、ゆっくりと捻り茶色のドアを開けた。古さゆえか、キィィと高い音を立ててドアが開くと、巴の背中にくっ付いている美春の体がビクリと跳ねてより強張った。

 巴はあえて美春を気にかけず、部屋の中へと足を踏み入れた。立ち止まるよりもよいと判断したのだろう。巴なりの優しさであったのだ。


「ここは、居間か?」


 部屋の中を見回すと、中央に木製のテーブルそして、辺りには座布団が置かれている八畳ほどの畳の部屋。入ってきたドアの右隣にキッチンが併設されていることから、巴は居間だと判断したようだ。

 それにしても物が少なすぎた。食器棚や冷蔵庫などの必需品はキッチンに置かれているが、それ以外に部屋にある物は、テーブルと座布団そしてテレビのみであった。


「元お父さん、働いてなかったんだって」


 震えるようなか細い声で、美春は巴の抱いた気疑問に答えるように呟いた。巴は極端に物が少ない事に得心したようであったが、同時に美春がここへ来る事に二の足を踏んでいた理由も察することが出来た。


「私ね…私はね、お母さんがすぐに再婚して、家も一軒家で、何にも不自由なんてなかったんだ。でも、あの子は違った。その事を警察の人が来るまで知らなかった。知らなかったの」

「…そうか」


 何も知らなかった、それが事実だとしても、美春は拠り所のない罪悪感を拭う事が出来なかったのだ。巴は美春にかける言葉が見つからず、相槌だけ打ち、話を聞くために押し黙った。


「話を聞いて、お母さんは倒れちゃうし。私はどうしていいか分からなくて。お葬式もしたけど、最後なのに顔も見れなかった。お墓参りにも行けてない。今だって巴さんが一緒に来てくれなきゃ、ここに来る事も出来なかった」

「そういう事もあるさ」


 巴の相変わらずのフォローの下手さに、美春は苦笑い気味に噴出した。おかげで美春は少し気が軽くなったようで、巴の背中から離れると、巴の隣に並び天井を指差した。


「あそこ。あそこで秋美は死んだんだって」

「天井…縊死か」


 縊死、即ち首吊りである。だとすればそれは自殺だったのだろうか、と巴は考える。聞きたいが、聞ける雰囲気でもないので、巴は美春の言葉を待つしかないのである。


「元お父さんは、窓の近くで頭を殴られたか…もしくは、ぶつけたかで死んでたらしいの。そして、畳には猫と秋美の死体があったって」

「…待ってくれ、お前の妹は首を吊ったんじゃないのか?」

「うん、そう。だから、首を吊った後に天井が崩れたんだって。それで、秋美は畳に落ちた。そういう事らしいよ。詳しくは聞けなかったけど」

「なるほど、確かに天井に何かが剥がれた跡があるな。天井の梁…な訳がないか。何かが付けてあったんだろう。そこで首を吊り、重さに耐え切れず落下した。そういう事か…っと、すまん。こんな話聞きたくないよな」

「ううん、いいの。もし気がついた事があったら、何でも言って。私じゃ天井の跡にも気が付けなかったし。何でもいいから、情報が欲しい。秋美に何があったか知りたいの」


 巴の腕を掴み、美春は必死に訴えてくる。ここまでの態度を見れば、美春の目的は明らかであった。妹の死の謎を知りたい、どうして首を吊ったのか、自殺であったのか、他殺であったのか。それが美春が巴に本当に頼みたい依頼だったのだろう。

 巴もその事には気がついていたのだが、やはりな、と呟くと自分の考えが当たった事に対し、何の感慨も無いようで、そっと美春の頭に手を乗せゆっくりと撫でた。


「悪いが、俺も情報がなければ分からないんだ。だからこれ以上は、どうしようもない。ごめんな」

「…違うよ巴さん。謝るの私の方だよ。巴さんには猫の死因を教えて欲しいって、依頼したのにね」

「猫か…猫はどうやって死んだのか分かるか?」


 されるがままに巴に頭を撫でられていた美春だが、猫の話しなると途端に真剣な顔になり、巴の手を自分の頭から丁寧に下ろし、震える唇でしゃべりだす。


「外傷によるショック死…だったはず。叩き付けられたり、上から押しつぶされたり、多分そのあたり。警察の人の話だと、落ちた秋美の死体近くに転がっていたらしいよ。他は分からない。あと、聞いたのは…そうだ、窓枠に手をかける用の大きなでっぱりがあるでしょ? そこに元お父さんの血痕がついてたって聞いたから、やっぱり事故か他殺か分からないんだって。結局無理心中って形で落ち着いたみたいだけど、私は納得がいかない。分からない事が多すぎるから」


 事件の概要は大よそつかめた様子だが、さしもの巴もこの情報だけでは何も分からないようであった。巴は顎に手を当て考える仕草をとっていたが、小さいため息と共に、すぐに首を横に振り、ギブアップを宣言した。


「情報が足りない、無理だ。隣の部屋、見ても平気か?」

「いいと思う。多分秋美の部屋なのかな? 速水さんが電話で部屋数は二つだって言ってから、年頃の女の子だし、流石に部屋は…与えられてたと思いたいし」


 引き戸を開け、二人そろって隣の部屋に移動する。そこには布団と洋服ダンスに小さな丸テーブル。他には壁に制服がかけてあったが、およそ女子が住んでいるとは思えないほど殺風景な寂しい六畳ほどの部屋であった。

 カーペットなども引かれておらず、隣の部屋と同じく生活の苦しさを感じさせた。


「あっ」


 中に入ってすぐに、美春が声をあげた。美春の視線の先には、丸テーブルがあり、どうやらその上に置かれた、綺麗な白にピンクと青の星の模様が書かれた二十cm四方の缶箱に反応したようであった。


「どうして…あれが、あんな所に…」

「どうかしたのか?」

「え…その、あの缶箱、ずっと昔になくしたと思ってたの。そっか、私は秋美に渡したんだ。そんな事も忘れてた。あの子は、まだ持っていてくれたのに」


 美春は丸テーブルまで近づくと膝を折り、缶箱を恭しく持ち上げた。しばらく箱を指で撫ぜたりしていたが、中身が気になったのか蓋を開け中を覗き込んだ。巴も、美春の後ろから中身を確かめる。


「からっぽだね」

「…そうだな」


 中には何も入っておらず、小さな薄茶色のカスなどが箱の隅に付着しているだけであった。巴は缶箱を美春から受け取ると、中身をじっくりとチェックしたが、それ以外のものは入っていないようであった。


「巴さん、何か分かった?」

「さあな。何とも言えないな」


 巴はそう言うと、缶箱についていた薄茶色のカスを取り出し、美春に背を向けるとポケットに入っていたポケットティッシュを取り出し丁寧に包み込んだ。

 気になったものを、そうやって持って帰ってしまうのは、巴の癖であった。勿論盗難癖というわけではない。巴の持ち帰るものは、およそ価値のないガラクタやゴミに近いものばかりであったのだから。


「何か分かったんでしょ?」

「だから、何とも言えないっての。現状じゃ何も分からないんだ」


 悔しそうに吐き捨てる巴を見て、美春はその言葉が真実であると理解したようだ。そっか、と呟くと諦めたように静かに立ち上がり、巴を残し隣の部屋へと移動して行った。

 残された巴は壁にかけられた制服を眺めていた。フェチズム故の行動…ではなく、巴には美春の着ている物とは違う、昔ながらの飾り気のないその制服に見覚えがあったからだ。


「そうか、うちの近所のあの高校のやつか」


 巴はようやくその詳細を思い出したらしく、手をポンと叩き頷いた。

 巴が働く九条亭にもごく稀に、あの制服を着た少女がやってきていたのだ。巴が外へ買出しへ行くときも、よくすれ違っていたのである。


「身近な事になってしまったな。やるせない話しだ…」


 他人の事であっても、自分の身近で犠牲が出れば、多少は気に留めるものである。特に巴は、そういった部分に敏感だったのだ。

 巴は寂しそうに顔を俯かせると、美春と同じく隣の部屋へと移動して行った。


 居間で巴と美春は何かないかと探したが、結果は散々なものであった。まず第一に物がない。ついでに言えば、重要そうなものは警察が持って行ってるので、居間で新たに発見できたのは、父親が使っていただろう押入れに入った布団ぐらいであった。

 それ以外に押入れの中には、普段使いされていないであろう布団が二組とダンボールのみ。食器棚も調べてみたが、必要最低限の食器だけで、目新しいものは見つかる事はなかった。


「もう二十時だ。帰ろっか、巴さん」

「そう…だな。もうここにいても、仕方ないだろう。送っていくよ」

「うん、お願い。少し疲れちゃった」


 美春と巴は玄関で靴を履き、外に出てしっかりと426号室の鍵を閉めると、管理人である速水に声をかけ、鍵を返し団地を後にした。

 美春は本当に疲れてしまっているようで、道をフラフラと足取りがおぼつかない様子であった。精神的な物もあるのだろうと、巴はしょうがなく腕に掴まるようにと目で合図を送った。

 美春は力なく笑うと、巴をからかう事なく、好意に甘え腕を握ると体を預けるのだった。

 気温は日中より下がったが、まだ暑い中、月明かりと電灯の寂しげな明かりを頼りに二人は駅へと向かっていった。暗く、昼間よりも閑散とした道は、今の巴達の行き詰った心情を表しているようであった。

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探し屋九条巴の解決介入 surisu @surisu

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