2.姉妹

 時刻は十八時近いというのに、外は一向に夕日を拝める気配はなく、容赦なく照り続ける日光に皆参っているようであった。アスファルトの道路がそれを受けて熱をこもらせる為、巴達は駅で表記されていた三十度よりも高い暑さを感じていた。周りがマンションや低めのビルばかりなのも災いしてか、まるでサウナかどこぞの砂漠かといった様子だった。そんな中を巴は美春の案内で、どこぞとも知らぬ道を気だるげに歩いていた。

 九条亭のある町から三駅ほど電車で移動し、美春の隣を歩き続ける事十数分。地元の商店街を抜け、気がつけば周りはマンションばかりの集合住宅地に姿を変え、今に至るという訳だ。

 辺りの様子を観察し、これから向かう場所があきらかに誰かの住まいである事を巴は予期していた。


「いやー、それにしても暑いね。流石に参っちゃうな」


 汗を拭きながら巴の隣を歩く美春は苦笑い気味に巴に話しかけた。手には九条亭で出していた白いハンカチが常に握られている状態にあり、言葉通り本当に暑さに参っているご様子だった。汗で髪の毛は額や頬に所々くっ付いてしまっているし、首筋辺りは汗で湿っており、どこか艶やかに見えていた。以上が巴視点での感想である。

 対して巴はと言うと、涼しげな顔で汗一つ掻かずに、まじまじと参ってる様子の美春を見ながら軽く相槌を返すばかりであった。


「巴さん汗掻かないんだね。私、汗っかきだから羨ましいな」

「健康的でいいんじゃないか? そっちの方が」

「そうは言ってもね、流石に制汗スプレーを使ってこれだと、女としてちょっとキツイかなぁ。ごめんね、こんなんじゃなきゃ、腕の一つでも組んであげたんだけどね」


 どうよ、と美春は暑さを誤魔化す様に巴におどけて見せた。巴は美春をじっと見ると考えるような素振りを見せて押し黙ってしまう。美春は何かまずい事を言ってしまったのかと巴の顔を覗き込むように、まじまじと様子を伺っているようであった。


「いんや、俺はまったくかまわないけどな。今のままの方が、むしろ好ましい」


 いたって真面目な顔で、巴は美春にそう言い放つのであった。美春はその言葉を聞いて、巴からさっと身を離した。巴の顔を見る美春の表情は、よろしくない大人を見る訝しげなものに変わっていた。


「なんだよ急に?」


 豹変した美春の様子に、心底訳が分からないと巴は疑問を浮かべる。


「いやぁ…何ていうか…なんだろうね。巴さんって、もてないでしょ?」

「黙れ汗女」


 力なく罵倒を口にすると、巴はそっぽを向いて黙ってしまった。実の所、美春に図星を突かれて結構な傷を負ってしまい、それを隠すための行動であった。美春はその様子を見て、大体の状況と巴の性質を理解したようであった。


(残念な人だなぁ…顔立ちはいいのに、色々と勿体無いよ)


 美春は口には出さずに、自分の感じるままの言葉を飲み込んだ。優しい子なのである、大雑把ではあるが。


「それで、だ。そろそろ、話してくれてもいいんじゃないか?」


 ようやく受けた傷を癒しきったのか、話題を変えるように巴は本題を持ち出した。巴はなにも女子高生と戯れるために、出不精の自分を炎天下という鞭を打たれてまで奮い立たせた訳ではないのだ。報酬のため、もとい依頼を解決する為に、この苦行を仕方なしに受け入れているのである。


「…うん、そうだね。所で巴さんってさ、雪乃から聞いたんだけど記憶力がいいんだよね?」

「まあ、自負はしないが、よくそう言われるよ」


 雪乃の奴め余計な事を言っていないだろうか、などと心配する巴をよそに、美春は何か考え込んでいる様子だった。それもつかの間の事で、美春はそっぽ向いていた巴の袖を引っ張り自分の方へ注意を向かせると、


「巴さんって、新聞読んでる?」


 意図の分からない質問を巴によこした。


「…毎日読んでるが、それがなんだってんだ?」

「丁度二週間前、この地域で起こった事件の事分かる?」


 美春に言われて、巴は自分の記憶を探り始める。


(二週間前…ああそうだ、どこぞの議員の汚職と災害問題が重なっていた日の事か。となると)


「一家無理心中の事か?」

「すごい、本当に記憶力いいんだね。新聞の隅っこの記事だったのに」


 どうやら巴の出した答えは正解だったらしい。美春は驚いた様子を見せるが、直ぐに表情を真剣みの強い張り詰めたものに変えると、足を速めて巴の前へと出た。巴はそんな美春の様子を気に留めることもなく、自分の覚えている情報を口に出して確認する。


「父親と十代の娘、状況からして生活苦による無理心中だったんじゃないか、って話だったか?」

「うん、そんな感じ。その二人さ、私の父親と妹なんだよね」


 ピシっと真夏だというのに空気が凍る音がした。流石の巴も予想だにしていなかったのか、あるいは事態を飲み込めていないのか、歩くことすらやめて道の真ん中で棒立ちになったまま押し黙ってしまう。

 しかし、美春は止まろうとしない。振り返ることもなく、どんどん先へと進んでいってしまう。巴は、事態の把握よりも美春を追うことが先決だと、すぐに足を動かし美春の後を追いかける。

 だが、何を話していいか、どう声をかけていいか分からないようで、気まずい空気の間まま、互いに無言に足を急かされる様に、美春の言う目的地とやらに向かっていく。


「双子だったんだ」


 不意に美春が口を開いた。巴は何か相槌でも打とうとしたようだが、美春の言葉がまだ途中である気がしたので、口をつぐんだようだった。


「十年前ぐらいにね、両親が離婚してそれっきり会ってなかったの。一卵性だったらしくて、昔の写真を見る限りだと、容姿は似てたみたいだね」


 ぼんやりと自分と死んだ妹の事を美春は語り始めた。巴は美春の背を追いながら、静かに話に耳を傾ける。


「それでね、死んだ猫なんだけど妹が飼っていたみたいなの」

「何?」


 思わず巴は声を出してしまう。これまた予想外の言葉であった。依頼の内容からして、完全に美春の飼い猫だと巴は思っていたのだ。

 しかし、新たな事実が分かった事により、巴は自分が今どこへ向かっているのか、すんなりと理解する事が出来た。


(二週間前の事件、現場は集合住宅…か。美春のやつ…いや雪乃の入れ知恵か? どちらにしろ嵌められた分けだな)


 九条巴は面倒事には手を出さない。関わり合いになりたくないのである。現在美春に付き合っているのも面倒事に入るが、巴の言う関わりたくない面倒事とは、人と人が織り成す情や複雑な状況を示す部分にある。

 自分では手に負えないもの、結果の有無に関わらず自分が重要な役割になるのを嫌うのだ。だからこそ、過去の事とだけを扱う巴は「探し屋」、なのだ。探すだけなら、その後に関わる事もない。見つけてあげて、さようならで済むのだから。

 したがって、今回の件は巴の管轄外になる。お断りなのだ。面倒なことなんて巴は一つも望まない。それでも、


「ごめんね」


 足を止め振り返り、精一杯の強がりで見せた美春の笑顔を、巴は無責任に放って置くことなんて出来なかった。


(ああ、本当に面倒だな。これだから人付き合いってのは)


 大げさなほどに巴は溜息を吐くと、全身の力を抜くようにだらりと手を放り出して美春の顔を見た。

 巴の様子を見て驚いたのか体を強張らせ、申し訳なさそうに目を逸らす。その様子だけで、巴は今回の件はやはり意図的な行動であったのだと理解すると、今度は小さく仕方ないといった様子で小さく溜息を吐いた。


「いいよ、悪いと思ってるならそれで。騙まし討ちは、見逃す」

「うん、ごめん。雪乃から聞いてたんだ」

「あいつ、俺の事をなんだと思ってやがる」

「お人好しで、天邪鬼。それでいて物臭なのに、面倒見がいいって言ってた。巴さんは知らないかもだけど、雪乃は巴さんの事すっごい褒めてたよ」

「あの馬鹿…っ」

 

 巴は赤くなった顔を隠すため両手で顔を覆う。褒められる事に弱いのだ。特に普段聞く事のない身内からの賛辞であったため、強がる事も出来なかったのである。

 美春は巴の情けない様子を見ながら、本当に聞いたとおりだと一人感心していた。


(雪乃の言ってたとおりだ。天邪鬼だけど褒められるのに弱いし、面倒見はいいけど子供っぽくって意外と可愛いって)


 思わず噴出しそうになる美春であったが、巴に変に突っかかられるのも面倒であったので、グッとこらえた。


「でも、いいな。兄妹で仲良くて」


 笑いをこらえた反動か、美春は思った事を口に出してしまう。あっ、と自分が余計な事を口走った事に気が付き口を手で押さえたが、巴は恥かしがるのを止め美春へと向き直っていたので、後の祭りであった。


「妹さんとは仲良くなかったのか?」

「どうだか」


 苦い顔をして履き捨てるように呟くと、美春はまたゆっくりと歩き出した。巴は無言でそれについて行く。


「仲良かったかどうかも分からないんだ。昔ね、五歳ぐらいの事だったかな? 両親が離婚して、離れ離れになって、それっきり。ずっと忘れる事も出来なかったのに、忘れたように無理やりすごしてた。お母さんが、元お父さんの事が嫌いでね。妹は元お父さんの方へ連れられていったから、話に出しにくかったのもあったの。まあ、お父さんは聞く限りだと、相当の駄目人間だったみたいだし、当然かなぁ…」


 巴は美春の話を聞きながら、要点を無意識にまとめていた。


(複雑な家庭環境のようだな。元と父親の前に付けている事から、母親は再婚しているんだろう。それと、妹の親権を取りきれなかったと言う事は、離婚の原因は母親にある可能性が高い…っと)


 巴は自分が早速、美春の事情に首を突っ込もうとしている事に気がつき、無意識の思考を頭を乱暴に振って無理やり止めてしまう。

 道端で唐突に頭を左右に振るという奇妙な行動を巴はとった訳だが、幸い前を歩く美春には気がつかれなかったようだ。


「でも、もっと早くに会っておくべきだった。気がついた時には、もう手遅れ。秋美は居なくなってるし、お母さんは自分のせいだって、おかしくなっちゃうし。私、結局秋美のお墓参りもいけてないの。その癖、秋美の飼っていた猫の死因を知りたいなんて、頭のネジが私も抜けちゃってるのかも」

「…自分をあまり悪く言うもんじゃない」

「巴さんって、優しいけどフォローとか本当にへたくそだね」


 そう言いながらも美春は巴に微笑んで見せた。巴はその笑顔を見ながら、自分が本当は何を依頼されたのかを理解していた。


(猫については、本気かどうかは分からない。だが、この子が本当に俺に頼みたいのは、妹が死んだ場所に一緒に行って欲しいって事なんだろうな)


 墓参りも一人に行けない美春がもし現場に行きたいと考えるなら、誰かの付き添いが必要だったのだ。それも、面倒事が起きないように事情を深く知らず、美春に対し面識があまりない人間が好ましかったのだろう。

 そうなると、友人である雪乃は誘えない、他に母親なども言語道断である。その結果、友人の兄という信頼に足り、なおかつ後腐れのなさそうな巴がその役に選ばれたのだ。


「小賢しい子だ、まったく」

「え? ちょっと? なんで頭なでるの?」


 巴は足を速め、巴の横に立つとグリグリと乱暴に頭をなでたのだ。美春は抵抗し、自分の頭をなでる巴の手をつかんで離させようとしていたが、どかせてないあたり本気で嫌がっている訳ではないようだ。

 巴は満足したのか美春の髪が乱れない程度でなでるのを止めると、美春を先導するように初めて美春よりも先に歩き出した。


「ほら、行くぞ。早く案内してくれ、帰るのが遅くなるのもまずいだろ」


 ぼーっと突っ立っている美春を見かねたのか、巴は振り返り声をかける。美春はぶっきらぼうながら、自分を助けてくれようとする巴を見て、思わず頬が緩むのを感じていた。


「ありがとう、巴さ――――」


 だが、巴に駆け寄ろうとして、一瞬にして感謝も胸の奥に生じた淡い温かさもどこかへと霧散したのである。

 なにせ巴は、今しがたまで美春の頭を撫でていた手をズボンで拭いていたのだから。

 勘違いしないように言っておかねばならないが、巴はなにも美春を触った手が汚れたと思った訳ではない。単純にこの暑さで美春はさらに汗を掻いてしまっていたので、頭を撫でた時に手に付いた美春の汗を拭おうとしただけなのである。

 とはいえ、十代の女子高生が目の前でそんな行為に遭遇して、何も思わない訳がないのである。例え、美春が巴の行為を誤解せずに全うに理解していたとしてもだ。

 その証拠に、恥辱を受けたと顔を真っ赤にして頬を膨らましているのだ。


「? どうした?」


 鈍感である巴は自分がした行動の重さに気がつかない。なんだそんなに暑いのかと、真っ赤になった美春を見ているのである。デリカシーの無さもここまでくると滑稽であった。


「なんでもないよ。巴さん、ちょっとちょっと」

「なんだよ?」


 ちょいちょいと、手招きし美春は巴を呼び寄せる。その顔はまだ赤みを保ちながらも、見事な笑顔であった。そう、不吉なまでに。


「どうした? トイレにでも行きたいのか? もう少し我慢しろって――――」

「とうっ!」

「!? なんだ!? おい! やめろ、絡みつくなっ!」


 今の巴は見事に罠かにかかった獲物であった。美晴は自分に巴が近づいたと同時に、巴の右手に飛びついたのだ。


「暑苦しい! やめろって、ベタベタするな!」

「好ましいって言ったくせにー」

「それは、汗をかく事に関してでだな…汗まみれになりたいって言った訳じゃない!」

「男って本当に勝手だよね。私知らないから。さあ、早く行こう。秋美の住んでた団地はもうすぐだよ」


 巴の言葉など聞く耳持たぬと宣言し、巴の右手に恋人のように絡みついたまま、巴をせかし美春は歩き出した。

 巴は心底面倒くさそうに、美春に引かれ強制的に歩かされる。傍から見れば仲睦まじく見えるが、意趣返しと自業自得の結果であった。

 意気消沈する巴とは逆に、美春は自分の復讐が上手くいってか、打って変わって上機嫌であった。

 鼻歌でも刻みそうな様子で、美春は歩いていたが、不意に足を緩めると、


「ありがとう」


 ボソっと、巴に聞こえるか聞こえないか程度の声で呟くのだった。


「…まあ、いいさ」

「…そこは聞こえていても、聞こえない振りしてよ。巴さんのばか。ばーか」


 巴が返事をした事で、美春は恥かしさのあまり悪態を吐き、自分が握っている巴の腕を強く握り締めると、顔を埋めるように押し付けるのだった。


「あんまり酷いようだと、雪乃にいいつけちゃうからね」

「おいおい、何を言ってるんだ。勘弁してください美春さん」

「…どんだけ雪乃の事を恐れてるの? ちょっと異常じゃない?」

「あいつ怒ると怖いんだよ…。それに泣かれでもしたら、もう始末に終えないんだ」

「穏やかに見えるんだけどなー」

「普段はな、普段は」


 会話を楽しみながら、夕方になり弱まりつつある夏の日差しに照らされ、二人は腕を組んだまま目的地まで進んでいく。巴は後々今日の事を雪乃に知られ、美春との関係を疑われたうえに、怒られ泣かれ散々な目に会うわけだが、それはまだ少し先の話である。

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