1.探し屋と迷い猫

 『探し屋』それが九条亭の従業員、九条巴の割に合わないもう一つの業務であった。

 『探し屋』と言っているが、実の所巴はそれを仕事にしているわけではない。内容も角ばったものではなく、困っている知人や客を助けると言ったものばかりであった。巴は昔から、そのような便利屋まがいの事を続けているのである。

 しかし近年、巴はある事情から人助けを止めてしまっていたのだが、そこに目をつけたのが、九条亭のオーナである九条十子(くじょうとおこ)である。十子はフリーターをしていた巴に声をかけ言葉巧みに説得し、ほぼ連行に近い形で九条亭へ連れて来たのである。

 そして、巴は十子に『探し屋』を名乗るように言われ、喫茶店の店員をしながら、余計な苦労を背負う羽目になったのだ。

 『やめられないのならそれは業よ。せめて形だけでも整えなさい』と言われ無理やりアルバイトの業務内容に入れられてしまったのだ。依頼なんて大そうな言葉を使っているのもそのせいである。巴は別にそれを生業にする気も、それで何を得ようとする気もなかった。基本的に金に淡白なのだ。

 そのような訳なので、勿論依頼されても断ることもある。自分に合わないと思った場合や、あまりにも面倒だと思った場合がそれだ。

 他にもう一つ、探し屋となっているが、何でも屋とは違い、すでに事が終わっている事件ないし、話でないと巴は動こうとしないのだ。

 精々店の宣伝にでもなればと『探し屋』を渋々引き受ける事になったのだが、珍客や面倒ごとも増えたので、巴からしてみれば悩みの種の一つでしかなかった。

 そして今まさに、その面倒が目の前にやってきたのである。


「三原美春さん、ですか?」

「うん、そうそう。三原美春みはら みはる、桐光学院一年生。そっちは九条巴…さんでいいのかな?」


 カウンター席に腰を下ろした美晴は巴を顎で指す。はい、と巴は頷きすぐに手元の作業を再開する。随分と汗をかいていたので、アイスコーヒーを勧めたが、美春本人がホットを望んだので巴は慣れた手つきで、コーヒーを入れる準備をしていた。


「お店、雰囲気があっていいね。ちょっとごちゃごちゃしている気がするけど、私好きだなぁ」

「ありがとうございます。この店は店長の趣味で作られているので、そう言っていただけると本人も喜ぶと思います」


 実の所を言うと、巴は別にこの店の内装を気に入ってるわけではなかった。趣味はいいと思うが、無駄に置かれたアンティークのおかげで掃除がしにくいからだ。天井のシャンデリアもどきなどはきちんと手入れしなければならないし、棚に置かれた展示品のスプーンや食器類、ブリキのおもちゃなどの掃除と手入れも業務内容に含まれているため、存外面倒なのである。


「え? あれ? 巴さんが店長じゃないの? だって、九条亭って…」


 ごもっともの話だ。店員の名前が店の名前と一致していれば、そう思うのも無理はないだろう。というより、初めて訪れた客には名乗るとほとんど同じ勘違いをされていた。


「従妹が店長で、私はアルバイトとしてここで働かせていただいてます。苗字が一緒なので、よく勘違いされるんですよ。さあ、どうぞ」


 コーヒーと同時に巴は名刺を机に置く。名刺には巴の名前と店名、ついでに店の電話番号が書いてあった。実質の業務がほぼ巴のみで行われている為作られた名刺であった。巴はアルバイトと言っているが、雇われ店長といった方が差し支えないだろう。

 だが、美春は名刺の方にはさほど興味がなかったのか、ふーんと一瞥すると出してもらったコーヒーを珍しげに眺めた後、嬉しそうに飲み始めた。


「こういう所ではあんまり飲まないんだけど…うん、美味しいと思う。ちょっと私には苦いかもだけど」

「ありがとうございます。よろしければお手元の砂糖とミルクをお使いください。それで三原さん」

「ん?」


 砂糖を入れようと手を伸ばした所で、巴に声を掛けられ美春の手が止まる。


「どこでうちの話を聞いたんでしょうか? あまり広く知られてはいないはずなのですが」

「あーうん、それね」


 なんだそんな事かと美春は巴の質問に答える前に、コーヒーに砂糖を入れる作業を再開した。マイペースな子だなと、巴はその様子を見て目の前の少女の事を観察し始める。

 さらりと肩よりも伸びた長い黒髪、整えられた前髪は古風めいた印象を与えるが、少しつり目気味の瞳と長い睫それに高めの鼻が相まって、どちらかと言うとお嬢様という印象のほうが強く感じられた。

 肌の色は白く、運動部という訳ではなさそうだった。ますます深窓の令嬢なんて言葉が似合いそうだった。

 薄いピンク色の唇が砂糖とミルクを入れたコーヒーを啜る。どうやらお気に召したようで、美春は質問されてから放っておきっぱなしだった巴に柔和な笑顔を向けた。

 美人ではあるが、年相応に幼く可愛げがあった。後は性格なのだが、それに関しては少々やんちゃで面の皮が分厚いといった所だろうか。お嬢様とはまったく合わない性格だと巴は顔には出さないが残念に思った。


「雪乃」

「え? はい?」


 失礼な事を考えていた時に話し掛けられた為、思わず巴は自分の心の内を見透かされたのかと動揺してしまう。そんな巴を不思議なものを見る目で見つめる三春を見て、巴は自分のくだらない考えを捨て、美春の言葉を頭で反芻しながら次の言葉を捜した。


「えーっと…雪乃ですか? 雪乃…雪乃?」

「そう、九条雪乃。雪乃のお兄さんで合ってるよね、巴さんって」

「あー…なるほど、雪乃経由か。確かにあいつも桐光に通ってたな」


 九条雪乃、セミロングで母親譲りの薄茶色の髪をしており、巴の顔を女性よりにした容姿の少女。少し太めの眉毛を気にする、今年高校に入ったばかりの九条巴の八歳下の妹の名だった。昔はやんちゃであったが、今は同世代の子よりも落ちついており友人が多いと巴は聞き及んでいた。

 そのうちの一人が目の前の変人なのかと、妹の友人という事で親近感が沸くと同時に少しだけ妹の交友関係が心配になる巴であった。


「と、すみません馴れ馴れしいですね」

「敬語の事? 別にいいよー、歳はそんなに離れてなさそうだけど、年上なんだし。お客さんだからって、気にしないで」


 実際は八歳も離れている訳だが、巴はいまだに高校生に間違われることが多かった。美春も雪乃から詳しく巴の事を聞いていなかったのだろう。それならそれでいいと、巴は何を訂正するわけでもなく、話を続けようと咳払いをした。


「それじゃあ、三原ちゃん?」

「美春の方がいいかな?」


 いい名前でしょう、と美春はにっこりと笑う。その笑顔と人懐っこさ、そしてどこか気まぐれで動いている様子に巴は猫を連想した。そして猫といえば、出会いがしらの意味不明な依頼である。


「分かった、美春ちゃんだな。で、さっきの話に戻るけど」

「あ、その前に質問。雪乃に最近会ってる?」

「え…? いや、最近はとんと…」


 美春に言われて、巴は妹と随分会ってない事を思い出す。最後に会ったのは、高校の入学式の日だったので三ヶ月ほどご無沙汰の計算になる。


「それがどうかしたのか?」

「どうかしたと思う?」


 巴は意地悪く微笑む美春を見て、嫌な予感がしていた。正直聞きたくなかったが、自分から言い出すほか無いようであった。


「もしかして…あいつ怒ってたりする?」

「うん、すっごく」


 ニッカリと笑い美春は頭の上で左右の手の指を一本ずつ立てる、鬼の真似だ。雪乃は相当ご立腹の様子だと分かり、巴はゲンナリと気を落としてしまう。


「それで、巴さんの話を聞いて会いに行くってなった時にね、雪乃から一つお願いされたんだ」

「…何を」


 恐る恐る美春に巴は尋ねる。美春はこの上ないほど上機嫌な様子でコホンと咳払いをすると


「『できる限り是非とも兄さ…兄を困らせて上げて下さいね!』、だってさ。恨まれてるね巴さん」


 わざわざ雪乃の声真似までして、美春はその時の状況を詳しく巴に伝えてくれた。思いの外、美春の真似が上手かった事と、かつて雪乃を怒らせた時の事を思い出し巴は顔を引きつらせた。そして、一つ謎が解ける。


「つまり、さっきの意味不明な依頼は」

「どう? 相当困ったでしょう? 自信作だよ」


 そりゃ困ったともさ、とでも言ってやりたい巴だったが、これ以上美春の思い通りに行くのも癪だった為、押し黙り無言の抵抗をする。その様子で十分巴の心のうち分かったのか、美春は得意げに笑い、どうだと軽く胸を張る。ご立派な物が強調され、巴は美春の思惑とは別に、静かに微笑むのであった。


「? 巴さんって…変って言われない?」

「あんまり言われないな。まあ、大体の事情は分かった。それで、本当は何を頼みに来たんだ?」


 誤魔化す様に口早に話を進めようとする。そんな巴を訝しげに見る三春だったが、興味が失せたのか残っていたコーヒーを飲み干すと、躊躇いがちに口を開いた。


「困らせるつもりで言ったけど、依頼に関してはあれが殆どなんだ」

「…どういう事だ?」

「猫。猫の死因を探って欲しいの。出来る限りでいいから、どうして死んだのかを」


 言い終わると美春は気まずそうに飲み終わったコーヒーカップを手に取り、底にわずかに残ったコーヒーを回すように所在無さ気に揺らし始めた。巴は話の内容と様子から随分といい辛い事だと察知し、言葉を慎重に選び話を始める。


「そうか、まずは猫の件はその…残念はだったな。出来る限りでいいから、詳細を話してくれるか?」


 選んだ割には、結局ほぼ要求を率直に求めてしまったが、巴にしては上出来だったと言えよう。なにせこの男、デリカシーの無さに関しては随一を誇る無配慮者なのだから。美春は巴の言葉で大体その辺りを察したようで、なれない気遣いをしてくれたのだと気を緩めてくれたようだった。


「今から三週間前、ある飼い猫が事件に巻き込まれて殺された。死因は重圧によるショック死。事故か他殺かも分からない。どうして死んだのか、私はそれを知りたいの」

「なるほど…それで?」

「終わり」

「…なるほど、俺にどうしろってんだ」


 驚くほどに考察の余地のない美春の説明に、巴はさっそく匙を投げ出した。いくら飼い猫が死んで心を痛めてるとはいえ、何一つまともに情報が与えられないのならば、流石の巴もどうする事もできないのだ。


「あはは、ごめん冗談。続きは現場に向かいながら外で話すね」

「現場? …ちょっと待ってくれ」


 言うなり席を立とうとする美春を制し、巴は眉間に皺を寄せる。とんとん拍子に巴が美春の依頼を受ける事が決められている事に対し、巴は待ったをかける。


「俺はまだ、美春ちゃんの依頼受けるとは言ってないはずだけど」

「あれ? 雪乃は謎さえあれば、ほいほい着いて来るって言ってたから、てっきり流されてくれるものだと思ってたんだけど」

「性悪め、そんな人間がいてたまるかっての」


 まいったな、と美春はわざとらしく困った振りをする。実際雪乃の言うとおり巴は気になればそれを優先するし、物臭なくせに困っている人を放っておけない面倒見の良い人間であった。しかも妹の友人が態々頼ってきているともなれば、それこそ腹の内は決まっているようなものである。

 今待ったをかけたのも、流されているという事実が嫌なだけで、巴は美春の依頼を受ける事は決まったも同然であった。


「…確認しておくことがある。俺が美春ちゃんの依頼を『探し屋』として受けるとして、報酬やらの事は分かってるのか?」


 一応念の為に聞いておく辺りに、巴の人の良さが滲み出ていた。巴は『探し屋』として基本お金を受け取る事はない。物であったり条件であったりと、受け取るものは様々であったが、一つだけ是非にとお願いしているものがあった。


「雪乃から聞いてる。現金は受け取らない、その代わり九条亭の常連になる、であってるよね」

「一応な。後は俺の腹積もり次第って事だ」

「ふーん…ふんふん、手伝うのは決まってるけど、掌の上は嫌ってことか。巴さんなんか可愛いね」

「黙れ小娘」


 ごめんごめんと、両手を合わせて美春は巴に大げさに謝罪する。わざとらしい行動だと思っていたが、どうやら美春のジェスチャーは癖のようなものらしい。どうにもそれが子供らしくて、巴は怒る気もうせてしまっていた。


「あ、それじゃあ、ごめんなさいの意を表して、巴さんが納得するような見返りをあげるよ」

「随分と自信ありげだな、言ってみろ」


 美春は謝罪の構えを解くと、こんどは片手を腰に当て右手を伸ばし巴をビッと指差した。人を指差すなと巴は注意してやりたかったが、それ以上に態々言葉を溜めてまで言おうとする見返りのほうが気になっていた為、横槍を入れないようにと美春の言葉を待つ事にした。


「雪乃との仲、取り持ってあげる。ばっちり、しっかり、最後まで」

「よし、今は十六時四十七分か。閉店は十七時予定だが客もいない、極めて適正な時間だろう。少し待ってろ、今戸締りの準備をする」


 聞くや否や直ぐに外へ出る準備を言い訳がましく始める巴を見て、美春は思わず苦笑してしまう。妹に振り回される巴の姿を見てではなく、言い訳がましく行動に理由をつける所や、自分が言い出した対価に対しての行動が、兄弟そろって似ていたからだ。

 実のところを言うと、美春は巴の情報を雪乃から聞き出す条件に、巴にした提案と同じものを出していたのだ。つまりは最初から仲直りなんて終わっているようなもので、出来レースだったと言う訳である。

 結果として、美春の掌の上で転がされる巴であった。会って一時間もしない内に、パワーバランスが形成されてしまったようだ。


「さあ、いくぞ。頼むぞ美春…ちゃん、おま…君だけが頼りだ。本当によろしく頼むぞ!」

「美春でいいよ。巴さん、ちゃん付けなんて慣れてないみたいだし。あと、無意味にへりくだる必要もないからね」


 巴の必死さを軽く流しながら、美春は思った。雪乃を敵に回すのはよそうと。

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