久しきヒト 第八節
いつものカフェ。腹が立つほど陽気な太陽に照らされた店内は白みがかって見える。古い建物ではあるが、落書きや傷にあふれており、ひどく猥雑だ。その様はまるでソルプエルトと言う街の抱える矛盾の縮図であった。
「いやはや、ここまで手早く仕事が終わるとは思ってもみなかった。予想以上だ」
にこやかに渡辺が手を叩いた。乾いた音が店内に響く。ジャンク寸前のジュークボックスが垂れ流すノイズだらけのジャズ。そう言えば誰かがこのジュークボックスに金を入れているところを見たことがないのに、いつも作動しているなと葛城は現実逃避めいたことを考えていた。大方、マスターが改造なりなんなりしているのだろう。
「後はこのデータを警察にリークすれば、騒ぎは勝手に大きくなる……」
渡辺が覗き込んでいるタブレットPCにはUSBメモリが刺さっている。中身はナインが撮影した写真のデータだ。何の写真か? もちろんかつてフリークスの構成員であった者たちのなれの果てだ。彼らは死後全身をバラバラに分解され、混ぜ合わされ、二十人近い死体がミックスされた肉塊の山と化した。モノのついでとばかりに、工場の壁と機械類にはびっしり聖書の一節を書きこんである。絵具代わりの血には困らなかった。そんな作業をしてきたばかりだから、葛城とナインはひどい腐臭と血の臭いを周囲にまき散らしていた。最早ホラーめいた凄惨な写真と、全身から異様なアトモスフィアと臭気を発する二人。常人ならば失禁してもおかしくないような状況だが、渡辺はいたって普通の様子で、安っぽいカップを満たした泥水のようなコーヒーで口を潤す。やはり、尋常な人間ではない。
「ここの警察がそう簡単に動くのでありますかねえ?」
「無論、先方にはすでに挨拶を済ませてある。物わかりのいい人だったよ、必ず私たちの力になってくれるさ」
「……まっ、用意の良いことで」
既に警察に話は通しているらしい。この国のような発展途上国では賄賂が常態化しているとはいえ、なかなかに素早い話だ。なにせ、事件を見逃せと言うのではなく事件の話を広めろというのである。安くない額を支払ったはずだ。連中がこの国に来てどのくらい立つのかは葛城もナインも知らないが、事務所の様子からしてさして昔の話でもあるまい。この街の流儀に慣れるのがずいぶんと早い。
「おれたちの仕事はこれで終わりでいいのか」
「ああ。殺しの仕事は殺し屋に頼むし、ほかの仕事はまた別の専門職に任せるつもりだ。餅は餅屋と言うしなあ、加賀見」
「はい」
口にパフェをかき込んでいた加賀見が一瞬止まり、渡辺の方を向いて頷いた。聞いていたのか聞いていないのか、いまいちわかりづらい。しかし葛城もナインも、そして渡辺もそんなことは気にしてい無いようだった。画面からも腐臭が漂ってきそうなタブレットPCのスイッチを切り、煙草にプラスチック製のライタで火をつける。臭いからして、メンソール系らしい。
「……」
三杯目のパフェを平らげた葛城が、煙草の臭いで自分も吸いたくなったらしくポケットからラッキーストライクの箱を取り出して一本摘み出す。口に咥えると渡辺がライタに火をつけて差し出してきたが、彼は無視して自分のジッポを使う。パチンと特徴的な開閉音が店内に響いた。昼食時がおわってしばらくたったような時刻であり、店内に葛城たち以外の客はいない。この空間を支配するのは、錆びついた音色のジャズと、店主が新聞をめくる音と、そして葛城の手元から出続ける紙が折れる音だけだ。意外と厚い窓と壁に遮られ、街中の喧騒は遠くに聞こえる。しばし、無言の時間が続いた。葛城が煙草を吸い終え、ポケットから羊羹を取り出して齧りはじめる。忙しいことに、右手は折鶴を高速で折り続けていた。入店してから数十分。その数はなかなかに多い。千羽鶴でも作る気かと、渡辺が苦笑を浮かべた。加賀見はそんな上司を気にすることなくパフェを黙々と食べ続けている。この男も、葛城と同じくなかなかの甘党らしい。
「そういえば、ルロイ君は来ていないのか?」
「ルロイ?」
渡辺の言葉に、ナインが首をかしげた。彼女の脳内ライブラリにそんな名前の人物は居ない。……いや、居る。
「ああ、木偶の棒でありますか。なにやら外せない用事があるとかで」
「はあ、そうかい。困ったね、報酬はどうわたそうか」
「奴も事務所の場所を知っているのでありますから、必要なら勝手にとりに行くでしょう」
投げやりなナインの返答に渡辺はあいまいな笑みを浮かべ、メンソール煙草の灰をアルミの灰皿に落とした。ふわりと煙が広がる。彼はしばし何事かを考えてから、持ってきていたビジネスバッグから二枚の紙を取り出した。ナインが無言で受け取り、検分する。ソルプエルトに視点ができたばかりの有名銀行の名前が入った小切手だ。額面の金額は、当初提示されていた額よりも大きい。
「手早く仕事を終えたボーナスも込みだ。良い仕事にはそれなりの金額で報いなければな」
「ン」
ナインが渡してきた二枚の小切手を握りつぶしてからポケットにしまい、葛城はぼんやりとした声で答える。やはりやる気というものが感じられない。ただ右手だけが、信じられないような速度で折鶴を組み上げつづけている。
「あまりうれしくなさそうだ」
渡辺が苦笑を深め、タブレットPCをバッグにしまった。加賀見がパフェを食べ終わり、グラスにマドラーが当たる涼やかな音が響いた。
「とりあえず、今回はこんなところか」
立ち上がる渡辺の手には伝票が握られている。当然、ここの払いは渡辺持ちだ。割り勘などと言うケチ臭いことは言わない。葛城もナインも、そして渡辺に続いて立ち上がった加賀見も当然のような顔をしている。
「……そうだ、我々のボスに君の話をしたら、なかなか気に入られたようでね。協力企業の製品をテストしてほしいとのことだ」
「前言っていたハナシか」
「そうだ。まあ大したものではないがね、戦闘において役に立つ……かもしれない。君の腕ならね」
「どうでもいい」
そうかい、とくたびれた中年男は笑って見せた。右手の煙草からは線香めいた微かな煙が上がり続けている。
「ま、ウチに届いたら連絡させてもらうよ」
「ン」
やる気のない返事。だが、渡辺は満足げに頷いた。
「では、また」
そう言って二人の日本人サラリーマンは去っていく。加賀見はこちらを一瞥しただけで、何事も言わなかった。失礼な態度ではあるが、礼節を気にするような人間にはこの場にはいない。ナインは二人が街の向こうに消えるまで横目で監視を続けていたが、やがて視線を店内に戻した。葛城の煙草からも、ゆらゆらと煙が上っては太陽に照らされて白っぽい空気に消えていく。彼は煙草を深く吸っては、折り紙を折り続けていた。何も言わない。ずっと無言だ。ナインはそんな葛城をいつものニヤニヤ顔で見続けている。葛城も葛城で、そんな彼女をとがめる様子はない。
やがて葛城が短くなった煙草をアルミ灰皿でねじ消した。ナインが立ち上がり、芝居がかった動きで出口を指差す。
「さて、では戻りましょうか」
「ン」
ソルプエルトの夜は明るい。アップタウンのライトアップされたビル街やダウンタウンの繁華街を照らすネオン、そして雄大な星空と満月が競い合うように街を照らし続けている。それは郊外に存在する葛城の家も変わりない。明るすぎる月光に照らされて、エレナがギリギリとフランス人形めいた容姿にあるまじき歯ぎしり音を漏らした。耳の良い葛城とナインは、隣室からでもその音を聞くことができる。
「騒がしい奴でありますなあ」
「ン」
ソファに寝ころんだナインはそう言ったが、彼女の顔に咎める色はない。無論、それは彼女が寛大だからではない。単純に歯軋り程度がノイズになるような細い神経ではないだけである。ほぼ寝ずにジャングルを踏破したエレナに、彼女は冷たくもなければ温かくもない態度で接していた。まあ、エレナ自身は帰宅からこちらまともに意識を取り戻していなかったのだが。
「……いやはやしかし、この街も変わってしまったモンでありますなあ」
「ン」
ミネラルウォータが入ったボトルを呷るナインに、対面のソファに座った葛城が答える。珍しく、煙草も折り紙も折っていない。手も銃には掛けられておらず、月光を頼りに本を読んでいた。
「昔は、古いだけのクソ田舎だったというのに」
「ン」
「……軍曹殿もずいぶん変わってしまったでありますなあ」
「……」
ナインの声音が変わったことを察した葛城が、本から目を上げる。ソフト帽を目深にかぶっているため、表情は読みにくい。ただ、口元だけが常と変らぬニヤニヤ笑いを張りつけていた。
「無論、自分も。なんでこうなっちまったんでありましょうか」
「……さあな。運でも悪かったんだろう」
「運、でありますか」
ふっと笑って、白皙の美女はボトルをガラステーブルに置いた。
「その通りでありましょうな。あの作戦で死ねればこの上ない幸せだったのに」
「今更自殺する気にもならん」
「かといって生きるのも面倒くさい……」
それは、二人に共通した思いであった。戦争と共に生き、戦争と共に死ぬ。生粋の戦闘者である二人にとって、それが当然の人生計画であった。なのに、戦争は終わり、こうして生き残ってしまった。乾坤一擲、終戦の半年後に起こした最後の大規模テロで多数の民衆ともども自殺を図ろうとしたにもかかわらず、この有様だ。終戦時には二十人と少しが残っていたSTFも、最早何人生き残っているのかわかりもしない。
「ベックも、マックスも、ダールも……みんなみんな、死んでしまいました」
「……ああ」
かつての戦友の名前を呼ぶナインの表情に、悲壮感はうかがえない。ただ、懐かしさと羨望感が笑顔の仮面の裏から漏れだしそうになって、彼女は白手袋に包まれた手で顔を覆った。
「情けない。なんと情けない」
「あのころに戻りたいか」
「はい」
血色の記憶を思い出しつつ葛城が言った。懐かしい思い出。最早手の届かない栄光の思い出だ。少なくとも、二人にとってはあの時代は素晴らしいものであった。
「殺して殺されて殺して殺されて殺して殺されて。ああ、懐かしい」
「だが、戦争は終わった。みんなも死んだ。……なのにおれたちは生きている」
「政府の使い走りにまでなって、でありますな」
「そうだ」
葛城の表情はいつもと変わらず、一見いつもと変わらないようであった。ただ、目はしっかりとナインを捉えている。彼女を通して、かつての素晴らしい記憶に思いをはせているのかもしれない。
「いっそ、どこかの紛争地帯にでも行きますか。二人で、傭兵としてね」
「……」
「そこで大暴れして、殺しまくって、戦死しましょう」
それは、砂漠のオアシスめいて甘美な誘いであった。再びナインと銃を取り、戦い、そして死ぬ。それはそれで、夢のような話だ。しかし葛城は、どうもやる気が出ないのだった。ナインの話も、どこか遠くから聞こえてくるかのように現実味が持てない。彼女の言葉は懐かしいし、この誘いも魅力的だとは思う。だが、それだけなのだ。
「おれたちの戦争はもう終わったよ。終わっちまったんだ。だからもう、おれたちは終わってしまっている」
「……」
さっとナインが目を逸らした。そして、体の力を抜いてため息を吐く。泣いているような、笑っているような不思議な表情をして天井を仰いだ。染みにまみれた天井は、千年前からそこにある大岩めいて泰然自若としている。
「そう、でありますな」
「……」
葛城が無言で立ち上がり、フローリングの床に直接座り込んだ。持っていた本は、そこらに転がす。
「久しぶりに、背中合わせで寝るか」
「……はは、本当に久しぶりでありますねえ。十年ぶりですか」
ナインもそれに続き、葛城の背中にピタリと自分の背中をくっ付けて座った。ゆっくりと目を閉じ、全身から力を抜く。葛城も窓の外を一瞥してから、目を閉じた。その夜は、二人とも十年ぶりにぐっすり安眠できたのであった。
BOGEYMAN 寒天ゼリヰ @kagayakanai
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