久しきヒト 第七節
アバンチャーチ。昔、小さな鉄工所だった場所だ。今は亡き社名から、アバンチャーチと呼ばれている。錆びの浮いたトタン板の外壁を無感動な目で見つめつつ、葛城はタールを含んだ煙を吐きだして天を仰いだ。既に太陽はかなりの高さまで上っている。異様なまでに深い青。真っ白い雲。いつものソルプエルトの空だ。相も変わらず地上の剣呑さをあざ笑うかのようにカモメが呑気に浮いている。アバンチャーチに目を戻せば、物騒な滑腔をした連中が盛んに出入りしている。当然だ。人を集めるため、ナインが昨日のうちに火炎瓶をいくつか投げ込んでおいたのだ。フリークス側は厳戒態勢である。ここを一気に殲滅するという寸法だ。
「裏もガチガチに固めてあるな。突入は簡単じゃなさそうだ」
耳につけた大きなインカムからジョックの声が聞こえる。彼は一人、工場の裏側で待機しているのだ。今葛城たちが居る工場正面からは、かなり離れた位置である。これでは連携は取れないだろう。もっとも、葛城としても最初から連携など取るつもりはない。腰かけたクラウンビクトリアのシートを撫でつつ、また煙を窓の外に吐きだす葛城。海風に吹かれて紫煙はあっという間に消える。海が近いだけあって、とても潮のにおいがきつい。まるで血のようなにおいだとかんがえつつ、葛城は左手でドアノブに手をかけた。音をたてないように、ゆっくり開く。車は目立たない場所に止めてあるが、油断は禁物だ。
「いくぞ」
どうでも良さそうな声を口元のマイクに吹き込みつつ、葛城は車の中に無理やり積んでいた大きな武器をひっぱり出す。葛城の身長とほぼ同じ長さの円筒だ。車から離れつつ肩に担ぐと、助手席から出てきたナインが砲身に砲弾を挿入した。さすがに工場の方がにわかに騒がしくなったが、もう遅い。葛城はその物騒な武器の発射スイッチを押していた。砲身の後方をバックブラストが襲い、粉塵をまき散らした。それと同時に装填されていた105mmサーモバリック弾がすっ飛んでいく。砲弾は狙いたがわず複数の見張りがたむろしていた工場入口の真ん中に命中した。凄まじい爆発と共に、見張りが塵芥めいて吹き飛ばされる。RPG-29。ロシア製の携帯式対戦車ロケット擲弾発射器だ。もっとも、先ほど発射したのは対人用砲弾ではあるが。
「突入」
ナインがスリングで掛けていたHK53のセレクターを三点射に切り替えた。ドイツはH&K社製のそのカービンライフルは、ちょうど同社のMP5短機関銃に5.56mm弾用の弾倉を取り付けたような見た目をしている。葛城も使い終わったRPG-29のランチャーを投げ捨ててSIG556を構えた。RPG-29はアメリカのジャベリン対戦車ミサイルなどと違い再使用ができる。しかしこんな重量物を持ち運んだところで、室内戦ではデッドウェイトにしかなるまい。当然、作戦後は回収するつもりである。
「ふぅ……」
凄まじい速度で走りながらも、葛城の息は乱れていない。ゆっくりと煙草を吸い、煙を吐きだし、短くなった煙草を落とした。工場まで20m。
「……」
葛城の右人差し指が微かに動き、銃口で炎が瞬いた。こちらに向けて銃を構えていた見張りの生き残りが胸に穴を開けて倒れる。乾いた茶色い土が粉塵となって舞う。断続的な銃声が聞こえ始めた。奔る葛城たちの近くの土が抉れる。見張りの最後の生き残りである。しかしその抵抗も長くは続かない。HK53が三連の銃声を奏で、濁った空薬莢が地面をたたいたと同時に正眼中に三つの銃創をこしらえた死体が地面に転がった。工場の正面、物資の運搬に使うであろう大きなシャッターは完全に解放されている。二人は躊躇なく深淵めいて暗い工場内に突入した。
「クソッタレ、きやがったか!」
工場の中は薄暗く、工作機械やコンテナが所狭しと置かれているために視界が非常に悪い。そんな状況を生かそうと考えてか、ギャングの一人が物陰から銃身を突き出して射撃を開始した。銃声が絶え間なく聞こえる。薬莢がいくつもその男が身を隠した機械から飛び出してくる。機関銃を使っているようだ。二人はほぼ同時に身をひるがえし、逆の方向へ散った。機関銃は厄介だが、あのような姿勢で発砲すればまともに狙いなど付けられないだろう。葛城はベルトにひっかけておいた手榴弾のピンを抜き、タイミングを計ってアンダースロゥで転がした。足元に危険極まりない果実が転がり込んできたギャング男は悲鳴を上げる。
「まあ、そうなるでありますよなあ」
手榴弾が爆発し、爆風と弾殻の破片がギャングを冥府に送る。工場を揺るがす衝撃波によって、天井から埃や塗料の破片が落下してきた。ナインはそれらを軽く払いつつ、ぽつりと言う。口は笑みの形に固定されていた。同時にHK53のボルトが三往復し、不用意に身を晒した別のギャングが死んだ。
「向こうもボチボチ始めたみたいでありますな」
「ン」
近くで別の銃声と罵声が聞こえ始めた。方向から見て、ジョックが行動を起こしたに違いない。ナインはソフト帽の位置を直し肩をすくめた。ペッと噛んでいたガムを吐き捨てる。
「あの木偶の棒が死んでくれりゃちょっとは面白いんでありますがね。小鳥をいちいちハントする趣味はありませんし」
この廃工場に潜んでいるギャングは四十人近いという。そんな大人数を相手に、ナインは常と変らぬ表情でそう言った。ジョックが死んだ方が面白くなると。葛城は否定もせず、右手でSIG556のグリップを握ったまま、左手で煙草を出して咥えた。ラッキーストライクの紙箱を仕舞い、ジッポを取り出す。
「この野郎!」
またもギャングが現れた。今度は三人。全員サブマシンガンを構えている。不敵な侵入者たちに対し、ギャングたちは一分の躊躇もなく引き金を引いた。ボルトが何度も何度も往復し、質の悪い弾薬が白煙を上げて消費され、必殺の9mmパラベラムがばらまかれる。この当たれば重傷は逃れない死の豪雨に対し、二人の反応はひどく小さいものだった。軽く体を逸らし、脚を踏み出す。それだけで弾丸は明後日の方向へと消えて行った。銃口の先に体がなければ、銃弾には当たらない。葛城もナインも、ギャングたちの銃口の動きを完全に把握していた。葛城に至っては、回避しながら煙草に火をつけている始末である。そしてサブマシンガンの発射速度は極めて早い。つまりは、あっという間に弾切れだ。硝煙に濁った空薬莢が空しく転がり、本懐を果たせなかった鉛玉があらぬものを破壊した音が響く。一瞬の沈黙。5.56mm弾が返礼される。三人はひどく簡単に死んだ。
「はー、めんどくせーでありますなあ。相当治安が悪いと聞いたのでどんな血沸き肉躍る戦闘が待っているかと思えば、これでありますか」
緑色のガムを口に放り込みつつナインが嘯く。眉はわざとらしく顰められ、演技がかった様子で肩をすくめた。
「山村の自警団たちの方が、まだ楽しかったでありますなあ」
「そうだな」
葛城はどうでもよさそうな、ぼうっとした表情でそう答えるだけだった。無心に煙草を吸い、敵を探して目はせわしなく動いている。その態度は泰然自若そのもの。鋼のように冷徹で、石のように落ち着いている。煙をゆっくりと吐きだし、また吸った。鬼火のように煙草の先が光る。
「進むぞ」
「アイアイ。サー」
そんな自らをないがしろにしているとしか思えないような態度にもかかわらず、ナインはひどくうれしそうだった。いつもの張りつけたような笑みではない、本物の喜色が口元に浮かんでいる。真っ白い彼女の頬が紅を塗ったように染まっていた。いつか見た景色。最早手の届かない場所にある彼女の宝物が、一瞬だけ戻ってきたような気がしたのだ。脳裏に浮かぶのは血と臓腑にまみれた地獄。彼女の居場所。彼女の楽園。
「グライフでも居ればなにやら気の利いた洒落でも言ってたんでありましょうがね」
「生きてるのか?」
「死んだでありますよ。目の前で装甲車に潰されました。あの作戦の第三段階……ショッピングモールから脱出した直後の話であります」
「そいつは羨ましい」
コンクリート打ちっぱなしの地面を滑るように歩きつつ、二人はポツポツと話す。時々ギャングが現れて銃を売ってきたが、彼らは話を途切れさせることなく話のついでのように哀れなギャングたちを殺していった。背の高い機械や仕切り版のせいで、連携が取れないのである。これは個人としての戦闘力がきわめて高い葛城たちにとっては僥倖であった。四十人から一斉に射撃を受ければさしもの葛城も対処のしようが少ないが、四五人程度の少人数で来るのならばなんの問題もなく世間話がてら片手間にぶっ殺せるのだ。逆の立場のギャングたちにとっては悪夢としか言いようがない。
「何だよお前! 噂のブギーマンってやつか!? ふざけんなよ!」
どこからともなく罵声らしきものが聞こえてくるが、世間話に花を咲かせている二人は気にもしない。飛び出してきたチェックシャツのギャングの顔面に6mm台の穴を開けたところで、ナインがHK53の弾倉を落とし、ボルトを引いてノッチで止めた。中に弾丸は入っていない。弾切れだ。後続のパンチパーマギャングの胸に二発、葛城のSIGが穴を穿つ。その隙にナインは腰のダンプポーチから予備弾倉を出して叩き込んだ。ひっかけておいたボルトを叩いて前進させ、初弾を装填。それを見た葛城が自らも弾倉を落とす。空弾倉は回収しない。そのまま地面に転がす。好機と見た新たなギャングが拳銃を構えて現れるが、ナインが動くより早く葛城がSIG556の引き金を引いた。銃声が一発だけ響き、5.56mmのフルメタルジャケットが拳銃男の眼球を貫通して脳みそをシェイクした。落とした弾倉にはまだ弾丸が少し残っていたのである。当然、薬室には弾丸がいまだに入っており、それを使って拳銃男を殺したわけだ。彼は落ち着き払って新たな弾倉を突っ込み、チャージングハンドルを引いて初弾を装填する。
「お見事」
「ン」
突入していまだ五分も経過していない。しかし、既に銃撃音はまばらで、襲撃の頻度も明らかに減っている。あちこちうろうろすることで相手にとって不利な近距離に誘い込み、各個撃破する戦術を取っていた葛城たちではあったが、向こうもいい加減このままではまずいということに気付いたのであろうか。それならば、こちらから積極的に動く必要がある。世間話しつつもそう考えていたナインは葛城に目をやった。彼はぼんやりとした瞳でナインを一瞥すると歩き始めた。いままでのゆっくりとしたペースとは違う、明らかな早足。ナインも後方を警戒しつつそれに倣った。
狭い工場内である。当てもなく歩き続ければ広いようにも感じるが、目的を持って歩けばすぐにたどり着ける。工場の中央、そこが葛城の目指す場所だ。この廃工場の図面が頭に入っているわけではないが、微かな声や足音がそこに人が集まっていることを葛城に教えていた。おそらく、工作機械か何かをどかして広場にしているのだろう。閉所にしては、数が多すぎる。そこで迎え撃とうという腹か。
「肉薄戦」
「了解」
ナインが笑いながら頷いて、HK53を構えた。葛城はSIG556を背中に回す。フルサイズのライフルであるSIG556は、接近戦で取り回すには少々長すぎる。代わりに腰のホルスターからCz75を抜いた。セイフティは解除済み。コック&ロック状態で持ち歩いているため、初弾は装填されておりハンマーも上がっている。いつでも撃てる状態だ。
「援護」
「了解」
葛城が走った。疾風のような速度だ。それに少し遅れて、ナインも同じ速度で走りはじめる。目標は、明るい光を漏らしている少し前の角である。そこへたどり着くと葛城は一瞬止まり、少しだけ角から顔をだし、そしてまた走った。奇襲効果を最大限生かすための素早いエントリー。
「来たぞ、ぶっ殺せ!」
待ち構えていたギャングは十名ほど。ウージーサブマシンガンやらAK47やら、それなりに上等な武器を全員持っている。それらが同時に火を噴いたのだからたまらない。落雷が延々と続くような大轟音が響き、幾多もの弾丸が放たれる。だが、ここは工場内だ。機械をどかしてそれなりの人数が楽に過ごせるだけのスペースは確保しているようだが、それでも空間には限りがある。そんなところで一斉に連射火器を撃とうものなら、同士討ちは避けられない。二人が跳弾や流れ弾を体に受け苦悶の声を上げる。
「ああああっ!?」
それと同時に、葛城のCzが吼えた。ちょうど彼の視線の先にいたタンクトップマッチョ男が胸元を赤く染めつつ悲鳴を上げた。しかし、即座に黙る。顔面にナインが5.56mmをぶち込んだのだ。ハートショットとヘッドショットを同時に喰らって即死しない人間は存在しない。いや、本来心臓をぶちぬくだけで十分だったのに、ナインが余計なことをしたのである。
「豚だってもうちょっときれいな悲鳴を上げるでありますよ?」
ニンマリと笑うナイン。集まる注目。その隙を逃す葛城ではない。タンクトップの横にいたアフロを一瞥すると、無造作に銃を向けて引き金を引いた。スライドが二往復する。9mmのホローポイントが超音速でアフロの命を刈り取った。無残にも肺と心臓に弾丸を食らったアフロは、鼻と口から血を流しつつ倒れ伏す。
「銃は駄目か……!」
同士討ちを嫌ったらしい長髪男がナイフを抜き、葛城に突進してくる。線を引くような動きで、Cz75が動いた。銃声。ナイフが長髪男の手ごと吹っ飛ぶ。バランスを崩した男に葛城は肉薄。左手で首を掴んだ。そして万力のように締め付けつつ、片手で持ち上げる。長髪男は顔を真っ赤にしながらもがくが、葛城の身体は揺らぎもしない。
「な、なんだあ……?」
葛城は確かに長身でガタイも良いが、流石に成人男性一人を片手で持ち上げるなどというのは無茶苦茶な話だ。しかし現にこうして葛城は涼しい顔で長髪男の首をしめつつ中空で保持している。長髪の足は地面についていない。その様子に一瞬、ギャングたちは呆気にとられた。
「グアッ!?」
葛城はその手に持った長髪男が窒息で死ぬ前に、彼から最も離れた位置でライフルを構えていたジーパン男に投げつけた。列車みたいな速度で吹っ飛ぶ長髪男。重量70kgの肉塊がそんな速さでぶつかれば、ぶつかられた方もタダでは済まない。二人そろって地面をしこたま転がり、偶然にも重なり合った状態で止まった。そこにナインの5.56mmが襲いかかる。小口径高速弾の5.56mmNATO弾の貫通力は高い。近距離ならば、肉布団二枚を抜くなどたやすいことだ。彼らは二人そろって仲良く死んだ。
「なんだよテメェらはよ! 畜生!」
やけを起こした丸坊主男が拳銃を乱射するが、そんなことで葛城に銃弾を当てることができるはずもない。逆にCz75の9mmルガーを口と心臓に喰らって死んだ。既に広場は死屍累々、真っ赤な鮮血がコンクリートの上で海のように広がっていた。葛城らが広場に突入して、いまだ三十秒も経過していないというのにだ。しかし、それだけの時間があれば流れ弾や跳弾で負傷した連中も体勢を立て直すことができる。
「……ッ」
坊主頭を殺し終えた葛城の背中に、腕に跳弾を食らった男が拳銃を向けた。片手打ちだが、この距離で外すまい。だがその動作は完遂する前に止まった。迅電の如き動きでCz75が閃き、男の命をあの世に送ったからである。意識が途切れるまでの数秒間、男の脳裏に浮かんだのは疑問ばかりだった。この男は、背中に目玉でもついているのだろうか……。地面を転がる足に流れ弾を食らって悶え苦しんでいた男をナインがM1911で楽にしてやって、一方的過ぎる戦闘は終結した。最早何の音もしない。……いや、一つだけ足音が聞こえる。
「やったか?」
「ン」
ジョックである。M16自動ライフルを構えたジョックが、広場にそうっと顔を出した。広がる惨劇を見てちょっと顔をしかめ、血や死体を踏まないように気を付けながら歩いてくる。
「全員殺した」
「気配ももうないでありますな。カカシ殿は何か感じるでありますか?」
「カカシって俺か?」
とんでもなく失礼な呼ばれ方をしたジョックはため息をつき、肩をすくめ、笑ってから答えた。
「無いと思うよ」
「重畳重畳」
アメリカンスピリットの箱を取り出し一本中からつまみだし、口に咥えるジョックに、ナインはニンマリとした笑みを向けた。ジョックは居心地悪そうにしながら、煙草の先にガスライタで火をつけた。葛城も短くなっていた煙草を地面に血の海に捨て、新しいものを取り出して火を灯す。
「お前の仕事は終わりだ。帰れ」
「へいへい、どうせここからろくでもない作業だろ? 気分が悪くなる前に帰らせてもらうぜ」
ジョックは抵抗しない。手をひらひら振りながら、背を向けて歩き出した。これから葛城たちが何をするのか想像がついているからだ。つまりは、死体を汚すこと。出来うる限り冒涜的に死体でオブジェをつくり、注目を集めさせるのである。そこに渡辺たちの会社を臭わせておけば完璧だ。そこまでされるとわかって連中に手を出す命知らずはそう居るまい。しかし、これほどの数の死体を加工するのは、ある意味死体を製造するより重労働に違いなかった……。
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