久しきヒト 第六節

 宵闇に染まるソルプエルト・アップタウンの基幹道路。帰宅ラッシュ真っ最中の時間帯のため、交通量は多い。渋滞と言えるほどではないものの、法定速度すら出せないような有様だ。そんな道路を、一台のフォード・クラウンビクトリアが奏功していた。街灯の光を鈍く反射するミラーを煩わしげに調整しつつ、運転席の葛城はむっつりとした表情を浮かべていた。助手席や、後部座席に人の姿はない。流れるカーラジオの音量は、ごく小さい。


「……」


排気ガスにまみれていがらっぽい空気を嫌い、葛城は窓を閉めた。音ばかりは甲高いパワーウィンドがゆっくりと展開する。葛城がこんな時間にこんな場所を走っているのは、渡辺から食事の誘いがあったからだ。無論、ただ食事をするために呼ばれたのではない。そんな理由ならば、葛城は容赦なく断っていただろう。しかし、是非に今日の成果を生で聞きたいと渡辺から懇願され、仕方なく指定のレストランへ出向いているところなのだ。不機嫌そうに短くなった煙草を灰皿に捨て、車の奔流から外れる。橙色のライトで照らされた看板が目に入る。渡辺が待っているのはこのレストランだ。


「……」


無言で小さな駐車場へ車を滑り込ませ、サイドブレーキ。エンジンを切って外に出る。シートの下にはSIG556が隠してあるが、流石にアップタウンでこんなものを持ち歩くわけには行けない。普段腰に吊っているナイフ類やCz75も粗雑な作りの合成皮革製バッグの中に仕舞っている。即座に使用できる武器は、ショルダーホルスターのM60、ポケットの中のバタフライナイフ、そしてベルトのバックルに仕込んだ散弾など、ごく限られたものになる。葛城は眉間に刻んだ溪谷を更に深くしながら車をロックし自動ドアから店内に入って行った。煉瓦と木材で出来た古めかしい内装が、裸電球の朧な光に照らされている。必要以上に明るくなく、落ち着いた印象だ。安かろう悪かろうのファミレスではないらしい。


「いらっしゃいませ、おひとり様でしょうか?」


「渡辺という男は来ているか」


一礼するウェイターに葛城が聞いた。シックな制服を着こなしたウェイターはニコリと笑うと、頷く。


「葛城様でしょうか? 渡辺様がお待ちです……」


店員に案内され、葛城は店の奥へ奥へと進んでいく。食事時だけあって店内にはそれなりの客が入っていたが、控えめなクラシックのBGMがしっかり聞こえる程度には静かである。煉瓦の床材を靴底で叩きながら、葛城は歩き続ける。やがて、一つの個室の前でウェイターが立ち止った。


「こちらです」


「ン」


 ウェイターの手に五ドル紙幣を押し付け、葛城は投げやりにドアをノックすると返答も聞かずに入って行った。中には、半袖のワイシャツ姿の渡辺とジャケットまできっちり着込んだスーツ姿の東洋人男性が居た。煙草を燻らせていた渡辺は葛城を見ると、満面の笑みを浮かべる。


「お待ちしておりましたよ」


スーツ男の手が一瞬懐に伸びかけるのを見た葛城は、それよりも早く左手をフライトジャケットの中に突っ込んだ。M60のラバーグリップの感触がコンバットグローブを介して伝わってくる。その速度は稲妻を思わせ、更に銃を引き抜いて二人を射殺することも可能であろう。しかし、現実として惨劇は回避された。スーツ男の手が止まり、一礼したからである。グリップを掴んだまま葛城はスーツ男の顔を凝視する。掘りの深い、筋肉質な男だ。小太りの渡辺と並ぶと余計に偉丈夫に見える。渡辺の護衛か何かだろうか。


「失礼しました」


「ン」


それ以上の敵対行動をとらないようであったため、葛城はグリップから手を放し空いている席に座る。飴色のアンティークテーブルには装飾の施された蝋燭や、可憐な花などが飾られている。高所得者向けの個室のようだ。調度は高級なものばかりだ。三白眼の度合いを深めつつ、彼は渡辺の対面の席に腰を掛けた。無駄にフカフカなクッションの感触に片眉を上げる。


「それではごゆっくり」


「おい」


引っ込もうとする店員を葛城が止めた。いつもの怒っているのか不機嫌なのかそれともぼんやりしているのかいまいち判断の難しい表情。


「ステーキはあるか」


「……はい、ございますが」


「一番高い部位を1kg。レア」


「かしこまりました」


プロ意識の賜物か、それとも先ほどの五ドルが聞いているのか、ウェイターは葛城の破天荒な態度にも狼狽えることなく手元の端末に何事かを打ち込んで去って行った。渡辺が肩をすくめ、煙草の灰を磁器製の灰皿に落とす。強力に空調が効いているのか、煙はあっという間に消えていく。それを見た葛城も、煙草を取り出してジッポで火をつけた。普段左手で煙草を持っているが、今回は右手だ。テーブルに肘をつき、気だるげに言う。


「で?」


「なぜわざわざ呼んだのか……だね?」


「ン」


渡辺が煙草の煙をゆっくりと吐きだし、視線を宙に彷徨わせる。数秒それをつづけた後、唐突に視線を葛城に戻した。


「何故だと思う?」


「……」


無言。葛城の茫洋とした目は、どこを見ているのかよくわからない。渡辺を睨みつけているようであり、スーツ男を監視しているようであり、ホルダに立てられたメニュー表を見ているようであった。しばらくそんな居心地の悪い時間が続く。葛城は梃子でもしゃべらない構えだ。煙草を口に運び、戻し、また吸う。やがて煙草が短くなって、葛城は灰皿に押し付けて消した。そして新しい煙草を赤丸が特徴的な紙箱から取り出そうとしたとき、とうとう根負けしたらしい渡辺が口を開いた。


「電話口では顔を合わせられないからさ。顔突き合わせて初めて分かることもある」


「ン」


葛城の返答は簡潔そのものであった。興味は全くなさそうだ。煙草を吸うために微かに動く以外は、石像のように微動だにしない。渡辺は苦笑いを浮かべるしかない。結露の浮いた水のグラスを口につけた。


「そうだ、紹介しておこう。この男は加賀見。まあ、私のボディーガードだと思ってくれればいい」


「そうか」


「……どうも。加賀見健一です」


「葛城圭」


一瞬で終わる自己紹介。どうやら、加賀見と言う男もあまり口数が多い方ではないらしい。葛城としては有難い話だ。ナインでも入れば、丸投げできるのであるが……。


「そういえば、お仲間は?」


「今、フリークスの構成員を拷問している」


「おお、既にそこまで」


「上手くいけば、明日には連中の本拠地に襲撃をかける予定だ」


「ふむ……勝算は?」


二重あごに親指を乗せながら聞く渡辺。葛城が頷いたところで、ドアがノックされた。葛城と加賀見の手がジャケットに伸びる。


「どうぞ」


「料理をお持ちしました」


ドアを開けたのは数人のウェイターだ。気を利かせて全員モノを同時に持ってきたらしく、廊下に見える台車には様々な料理が乗っている。葛城の目の前に置かれたのは、焼けた鉄板の上で音を立てる分厚い肉板だ。いつものカフェで出る成形肉ステーキと違い、実にうまそうである。右手でフォークを持ち、突き刺し、持ち上げ、かぶりつく。高級なレストランには似合わない下品な動き。しかし誰も文句は言わない。ウェイターは奥ゆかしく教育されているし、渡辺たちは葛城がどういう人間かを知っている。下品な街の殺し屋に上品さなど必要ないのだ。渡辺は真っ白い皿に置かれたオムレツに取り掛かり始めた。ウェイターたちは配膳を終えて去っていく。葛城は彼らを見もしない。鋭い歯で牛肉を噛みきり、咀嚼し、呑み込む。ルーチンワークのように続ける。厚く広いステーキは、見る見るうちに減って行った。完食まで十分も必要はなかった。1kgの肉塊を、葛城はぺろりと平らげたのである。添え物のニンジンやポテトに取り掛かる葛城を見て、渡辺は食欲を無くした様子でフォークを置いた。加賀見は気にせずハンバーグを不味そうに食っている。


「連中にウラがあったらどうする?」


「ウラ?」


葛城の唐突な言葉に、残したオムレツをしり目に煙草をふかしていた渡辺が片眉を上げた。目の前であんな食べ方をされれば、流石に食欲も失せるというもの。決して安くはないオムレツは半分も減っていない無残な様子で屍をさらしている。


「バックに何かついていたら。そいつらも殺せと?」


「いや、流石にそこまでは言わん。そう言う場合は調停にもっていく」


「そうか」


今ナインが苛烈な拷問を加えているであろうフリークスの構成員を葛城は思い浮かべた。結局ブラムでは金髪パーマとスキンヘッドが殺され、赤服と同じように黒髪が誘拐された。途中まで葛城も参加していた黒髪に対する拷問であったが、渡辺に呼び出されたためその後の経過は知らない。おそらくは、すでに死んでいるだろうと葛城は考えていた。ナインの拷問テクニックはよく知っている。なにせ、その手口を教えたのは葛城だからだ。今頃は得た情報をもとに作戦を練っているに違いない。あるいは、赤服もしくは黒髪が嘘をついていたため証言が一致しない、なんてことも考えられる。その時はまた適当にチンピラの一人二人をさらって拷問にかければいいと葛城は考えていた。びっくりするくらいに単純な作戦である。


「見せしめにしろと言ってたがね、派手にやった方がいいのか」


「無論その通り。この街のチンピラどもに、我々の恐ろしさを周知し二度と手だししようとは思えないよう仕向けてくれ」


「ン」


チンピラの殲滅よりも、そちらの方が厄介なのではないかと彼は考えていた。フリークスの構成員は四十人弱という。それなりの数の死体をバラす必要がある。いまだにエレナは寝込んでいるし、ジョックはこのような仕事に向いているとは思えない。結局、ナインと二人で腐臭の中作業するしかあるまい。死の臭いは好きだが、たかるハエやウジは当然好きではないのだ。何しろうるさくて鬱陶しい。死体の山の中で二昼夜を過ごした過去の作戦を思い出し、葛城は少し指を震わせた。


「報酬は小切手でいいんだね?」


「なんでも」


別に払わなくたっていいのだと、最後のニンジンを口に運びつつ葛城は目を覚めた鉄板に向ける。依頼があれば大手を振って殺しができる。無秩序に殺しまくれば、また厄介なことになりかねない。マフィアや軍の治安部隊とコトを構えるのはやぶさかではないものの、なんだかやる気にならないのである。エレナの顔が何故か脳裏に浮かび、首を振ってかき消す葛城。いまだに先の事件の言い合いを引きずっているのだ。今の葛城は死体のようなもので、何をしていいのか自分でもよくわかっていない。戦中の惰性で、ただ人殺しを続けているだけなのだ……。


「成功の暁には、君たちに頼みたいことがある」


「殺しの依頼か?」


「それもある」


頷く渡辺の表情はいまいち読みにくい。曖昧な笑みを浮かべ、まるでビジネスの話をする営業マンのようであった。いや、その通りなのかもしれない。この渡辺と言う男は、ヒトの生き死ににかかわるビジネスをしているのだろう。やはりカタギではなかったかと、葛城は一人納得した。さりとて、経済ヤクザの類かと言われればそうでもない気がする。筋者といっても、何か特殊な連中であろう……。そこまで考えたところで、葛城は思考を止めた。この男たちが何者であっても、葛城には関係ない。頼まれたら、殺す。それだけのことだ。


「それと、よければ新製品のテストもやってもらいたい。聞くところによると、弾丸をナイフで弾くほどの腕前らしいじゃないか、君は」


「新製品?」


「某・兵器メーカの物さ。私たちとつながっている……」


そう、武器商人。彼らはその類であった。なるほど、ソルプエルトはあちこちの紛争地帯とも取引をしている。ここを抑えれば、兵器の輸出もやりやすくなる。日本が武器の輸出にあまり積極的でないことなど、血筋程度しか日本と縁のない葛城は知らない。だから、単純にそう考えたのである。


「まあ、なんだっていい。次のことは、次になってから考える」


「ま、善処してくれると助かるよ。とても、ね」


「そうか」


葛城は立ち上がった。ポケットから紙箱を取出し、一本摘み取る。ラッキーストライクの両切りを手の中で一回転させてから、鋼色のジッポで火をつけた。機械めいてルーチン化された動きだ。そのまま煙草を吹かしつつ、葛城は出て行った。彼の中ではもう何も話すことはないのだろう。渡辺はため息をつきつつ、フォークでチマチマハンバーグを削っている加賀見に目をやった。


「職人気質とでもいうべきかね、彼」


「ただのコミュ障でしょう」


「君が言うか、それを」

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