終章
「結局、お互いに一目惚れだったのかなあ……」
オリュンポス山の宮殿で、ゼウスは祝杯を上げながら独りごちる。
そのかたわらで、ヘルメスは首をかしげて聞き返した。
「何のことです?」
「や、ハデスとペルセポネさ。
最初から相思相愛だったのかなって思って」
ハデスは川面に映った面影を見知ったときに、ペルセポネはエレウシスの野での略奪のときに、ということだろうか。
そうすると、とヘルメスはゼウスの澄ました横顔をねめつける。
「……僕のしたことって、全部余計なお節介だったってことになりませんか」
最初から両思いだったなら、外野が何もしなくとも落ち着くところに落ち着いていただろう。
ほのかな徒労感に襲われて、ヘルメスは肩を落とす。
「まあ、何事も終わりよければ全てよしってな」
無責任にゼウスはそう言って笑った。
「全てよし、ですかねえ。
デメテルさまは結局、最後までお二人の結婚には不承不承って感じでしたけど」
「問題ないだろ。
デメテルもこれを機に、少し考え方が柔らかくなってくれるかな」
下心の透ける笑みを浮かべたゼウスを、ヘルメスは呆れ顔で見やる。
「懲りないですね、父上」
「いや、今回のことで改めて恋っていいなって思ったよ。
私も新しい恋がしたいなー」
いつもしてるじゃないですか、といううんざり気味の指摘は、ヘルメスの胸の内にしまわれる。
そんなヘルメスの心中などお構いなしに、ゼウスは嬉々として言った。
「実は、テュロス王のところに美人の王女がいるらしいんだよ」
「はあ……」
「というわけで、ちょっと行って口説いてくる」
「ちょっ――」
言うやいなや、ヘルメスが制止する間もなく、ゼウスは素早く立ち上がると風のように部屋を出て行ってしまった。
後に残されたヘルメスは、今度は厄介事を押しつけられませんように、と真剣に願って溜息をついた。
真っ白なアスポデロスの咲く野で、ハデスはその訪れを待っている。
その面影を想い、ひたすらに待ちわびる時間すらも、今は満ち足りた幸福の時となっていた。
涼やかな風が、野原をなでるように吹きすぎる。
草を踏む軽やかな足音が、風に乗ってハデスの耳に届いた。
その足音を聞いただけで、ハデスの面には柔らかな微笑みが浮かぶ。
日の光のぬくもりをつれて、息吹の風を吹き込ませて、かぐわしい野花の香りをまとって、乙女がまっすぐに野原を駆けてくる――ハデスに向かって。
「ハデスさま――」
白い衣をひるがえしてやって来る乙女が、可憐な声で名前を呼ぶ。
その姿を見る度、その声を聞く度に、胸の奥から絶えることなく愛しい想いがわき上がる。
「ペルセポネ」
名を呼び、腕を広げると、ペルセポネは緑の瞳を輝かせてハデスの腕の中に飛び込む。
鳥のように華奢で軽やかな身体をハデスの腕が優しく抱きしめる。
その胸に頬を寄せて、ペルセポネも細腕でハデスの身体を抱きしめる。
「……おかえり」
「ただいま戻りました」
生き生きと瞳を輝かせて微笑むペルセポネを、ハデスは穏やかな眼差しで見つめた。
愛する者が側にいる幸福、変わらずに愛する幸福、いつまでも続くその穏やかで満ち足りた幸福の時に、二人はゆったりと身を浸した。
愛し合う二人を祝福するように、アスポデロスの花びらが、風に舞い上がって二人の頭上に降り注いでいた。
Telos.
Symposion 宮条 優樹 @ym-2015
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます