トマジャガポリス

ぶりきば(非公式)

トマジャガポリス

 幻影都市キャッサバの片隅にある、その食堂(ビストロ)は、ささやかながらも繁盛していた。都市に努める幻影魔法士、霧の怪物から街を守る騎士団、ガラス職人に行商人。身分や境遇を問わず、様々な人間がそこを訪れる。

 格別に美味い酒が飲める店でもなかったが、そこで出る蒸かした馬鈴薯はとにかく絶品であると評判だった。十字に切り込みを入れた馬鈴薯からはふわっと湯気が上がり、そこにバターをのっける。ただそれだけの料理なのだが、これが格別に美味い。何より、その蒸かした馬鈴薯を運ぶ給仕の笑顔も素晴らしい。


 今日も、その蒸かし馬鈴薯を食べるために、数人の客がこの食堂を訪れていた。


 一緒に供される安酒は、生ぬるい安酒で良い。ホカホカの馬鈴薯の上で、少しずつとろけていくバターを見れば、日ごろの疲れもそのまま消えてなくなってしまいそうだった。男たちはナイフとフォークを片手に馬鈴薯を切り分け、口に運んでいく。熱のこもった馬鈴薯は舌の上で転がしてもなかなか冷めないが、この食べづらさもまたひとつの幸せだ。

 あんまりがっつくなよ、と仲間の一人が笑い、笑われた男はやっとの思いで飲み込むと、いやいやこの熱さも込みで味わうものだよ、と大真面目な声で返したものだから、違いない、と笑い声がさらに広がった。


 ところで、この馬鈴薯という食べ物だが、それが如何なる由来と由緒を持つものであるのか、知る人間はいない。何かの植物の根、ということなのだが、これだけ丸く、ゴロッとした根っこというものは、キャッサバの誰しもがついぞ聞いたことがない。

 まあ美味しいからいいのだ。蒸かし馬鈴薯とバターが、疲れを癒してくれるに足る食べ物なのだという、その事実が大事だ。頬張って、口の中を火傷にしそうになった先ほどの男は、顔をあげるとふと給仕と目が合った。その小柄な少女は、男と目が合うと小さな笑顔を浮かべて、頭を下げる。男も思わず赤くなった。身体が熱くなるのは、何も馬鈴薯のためだけではないだろう。

 顔が赤いぞ、飲みすぎじゃないか、と仲間が言うので、男はそんなことないさと取り繕って、また馬鈴薯を口の中に放り込んだ。幸せな熱だが、容赦はしてくれない。ほふ、ほふ、とみっともない息を繰り返しながら、口の中で馬鈴薯を転がす。


 この食堂の、いつもの光景だった。


 だが、幸せとはどんな時でも、突然崩れ去るものだ。招かれざる客は、一切のマナーをわきまえてはいなかった。

 突如として、この小さな食堂の、安っぽい木製の扉が蹴破られる。店内を暖色に照らす頼りないカンテラが揺れ、寒空の風が温かい店内を容赦なく蹂躙した。中に入ってきたのは、おそらく神官と思しき装束に身を固めた戦士たち。いわゆる僧兵である。

 神聖都市の勇者たちであるならば、一体なぜ。その場にいる一同がそう思うより早く、僧兵たちの戦闘に立つ女が、書状を片手に掲げてこう叫んだ。


「FREEEEEEEEEZE!! トマジャガポリスだ!! 全員その場を動くな!!」


 あれはなんだ、と、客のひとりがつぶやく。店内のムードは総じて、この僧兵たちを歓迎していない。だが、口の中を火傷しそうになった例の男は、震える声で呟いた。


 あれは、大司祭の委任状である、と。


 男は騎士である。その男の言葉であれば、信憑性はあった。

 大司祭の委任状とは、神聖都市のパラディン達が神の御言葉に従って行動を起こす際、大司祭から渡される令状である。トマジャガポリスという言葉の意味はわからないが、それはこの僧兵たちが、神聖都市から直接のお墨付きを得てこの食堂に乗り込んできたことを示していた。


 厨房の奥から出てきた店主も、突然の事態に呆然としていた。


「この店は、神意に背き客にジャガイモを供した! これは許されざる背信行為であり、よってここに摘発する!」

「な、何故です! 私は、ただ美味しい馬鈴薯(ジャガイモ)を皆さんに味わっていただきたいと……」

「この世界にジャガイモは存在しないッ! 存在してはならないッ!!」


 女の言葉は苛烈である。他の僧兵と同じ、純白のフルプレートアーマー。唯一違うのは顔が露出していることだが、その断定的な口調はまさしく神聖都市のパラディンだ。店主が言葉を失い、女はこの無力な老人を拘束するよう、部下に指示をした。哀れな店主は屈強なパラディン達に抑え込まれ、純白の甲冑に身を包んだ他の僧兵たちも、この狭い店内に続々と踏み込んでくる。


「やれ」


 冷たい指示が下ると共に、騎士たちはいっせいに行動を起こした。テーブルの上に置かれた、ほかほかの蒸かし馬鈴薯に向けて手をかざすと、それらはすべて青白い炎をあげて消し炭へとかえっていく。やめてくれと懇願する店主の前で、パラディン達は厨房にまで押し入った。木箱の中に詰められた大量の馬鈴薯(ジャガイモ)を、寒空の下へを運び出す。

 殴り掛かっても止めようとした客がいた。だがそれを、騎士の男は制止する。大司祭の委任状は絶対なのだ。それがどれだけ理不尽な行いであろうと、逆らった者をその場で処刑する権利が、パラディン達には与えられる。


「いやっ、放して!!」


 悲鳴が聞こえ、騎士の男はハッとした。見れば、給仕の少女もまた、屈強な白騎士たちによって拘束されている。男は拳を握り、唇を噛んだ。

 少女と目が合う。何かを懇願するような、いや、詮索するまでもない。助けを求める視線を、男は正視することができなかった。目をそらした瞬間、少女の瞳に浮かんだ絶望の色が、これから永遠に、自分の心を苛むものであったとしても。


「この世界のジャガイモは存在しない」


 トマジャガポリスと名乗ったその女は、冷たい言葉でそう告げた。


「神がそう定められたのだ。その意思に背いた者には厳罰が下される。良いか、覚えておけ。ジャガイモは、存在しないのだ」


 その言葉と共に、トマジャガポリスは去っていく。店内には何も残らなかった。あのホカホカの蒸かし馬鈴薯も。それを作る気の優しそうな老店主も。笑顔で運んできてくれた給仕の少女も。ほのかに漂うバターの香りすら、外から流れ込む寒々しい風が、すべてを稀釈していってしまった。

 あの女の言葉通り、この小さな世界にジャガイモが存在したという痕跡は、一切が消滅してしまっていた。

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