星の代わりに

穴田丘呼

星の代わりに

 今は午後一時半。お腹に少しは物を入れている。タバコもいっぷくすませたし、あとにすることは限られている。外は薄曇り。けっこう涼しい風が入ってくる。気温も高くないしね。すごしやすい一日だ。ただ外の物音が耳につかなきゃいいんだけどね。それもこの肌色の光がカバーしてくれるだろうな。眠りながら起きながら、遠くから、ゆっくりとスピーディーに、過去へと未来と伸びたり縮んだりしながら。

 



                

               1988



 ぼくは気がついてみると会社を辞めていた。なぜ辞めるのかもっともらしい理由を考えかんがえして、上司に話した時には確固とした信念みたいなものが、いつの間にかぼくの中で芽生えていた。その信念とはただ辞めるケツイというものであって、親や上司の説得にはいっさい耳をかさなかった。気がついてみれば職場の者に祝福を受けながら、おしまれつつ辞めてゆくはめになった。辞める時に、お金をいただくなど知りもしなかったぼくは、彼らの祝福の辞に圧倒されてしまい、辞めるはずのぼくがこんなにも優遇され、喜ばれるのであれば、この実行した行為もそれほど悪いことではないと、なぜかそう思われた。

 ぼくは会社を辞めてから、数ヵ月間、家でごろごろしながら過ごした。びびたる退職金、それに職場の方からいただいたぼくとしては予想外の大量のお金。それにこれまで知らずしらずにたまっていったお金、それから毎月いただくことになる失業保険のお金。ぼくはたいていの同年代の人よりも収入があったといってよかった。

 ぼくはそうして家にいて、何もしないでいた。時々、図書館に行って、何冊も借り出して寝転がって本を読むこともあった。ぼくは作家になるつもりだった。それもたいした作家になるつもりだった。二流ではなく一流の作家。花形スターにも似た作家になるつもりだった。ぼくはそれだけの資質にもめぐまれ、あふれでる才能をちょっとばかり使って、うまい具合に賞をいただいて、少しぐらい安楽な生活を保証される作家になるつもりだった。これはぼくの夢ではなく現実だった。青臭い夢想ではなく現実だった。現にぼくはいつでも作家であったし、無名無冠の作家だった。

 ぼくはこうして本を読む毎日、詩作に散文に取り組む毎日を過ごした。友人と邂逅すれば、ビールでもウイスキーでも飲みかわし談笑した。けれどそれらのことは、ぼくの中ではいつでも鬱屈と倦怠を呼び起こす材料に過ぎなくなった。ぼくは人を避けるようになり、何かにとりつかれたように怯えた心がぼくを満たした。ぼくはひとりでいることにかけて、自分でもよくわからない満足を得るようになった。まるで人間嫌いのように、ひとりで歩きひとりで考えた。何を見るにも聞くにも自分で見ようとし聞き、できるだけ人のことばや考えから遠ざかるよう努めた。ぼくの体はそれらと同時にやせ細ってゆくようだった。食べても飲んでも太らないばかりか、微妙だが、少しずつ確実に減っていっていた。不眠に悩まされ続け、歩くたびに物にけつまずいた。立っていることが苦痛で、横断歩道の信号待ちの時でも何かに寄りかかり、立っていることができなくなった。

 ぼくはいく時間かけてでも歩き回った。ちょっと美術館にでも行こうと思えば、行ったり来たりしながらひとりで探し回った。けれどぼくの一部分は、確実に弱ってしまっていた。耳鳴りや貧血が激しくなった。座っていて立ち上がると、眼の前が真っ白になり、キーンという金属音が頭の中心から鳴り響いていた。不眠もそうとうひどくなり、もはやぼくには起きているのか眠っているのかの区別がつきづらくなってしまった。

  どれもこれも、ぼくののらくら生活がいけなかった。そう思ったぼくは、アルバイトにでも行くことにした。まだ失業保険も切れていないのに働きにでることは不正であったが、ぼくにはそんなことを考える余裕も罪悪感も持てなかった。実にぼくは自分の身体を粉にして働いたという自負みたいなものがあったし、短い期間であったが社会の実相というものが自分なりにもはっきりとわかっていた。それだからこそ、ぼくは不正を働いたわけではなく、それどころか正当防衛に似た気分を胸のどこかに抱え込むことができた。

 ぼくが見つけた仕事は、街のネオンサインをつかさどる仕事だった。ネオンといっても装飾用のそれでなく、ちゃんとした活字が流れて行くネオンだった。ニュースやら市政だより、それに街中にひしめく広告の一部を、電気的な信号にかえて、駅のホームからでも、街を練り歩く者にでも見えるような位置にさんぜんと輝きを誇ったネオンサインだった。といっても電球のひとつひとつが点いたり消えたりしているに過ぎなく、誰かがそこに流れるニュースに眼を向けるかといえば、それもおぼつかないものだった。

 ぼくは紙テープにマジックインキでもって方眼紙状になったマス目を汚してゆく。慣れるまでは二人でやっていたが、慣れればひとりでも十分にまかなえる仕事だった。その電気室は新聞社の六階にあり、ちょうど中二階みたいな造りになった、六階と七階の中間にぽつんと離れて所在していた。エレベーターは六階で降り、また階段を上って行く。

 部屋の中は窓ひとつないコンクリートに覆われた密室で、知らない者はこんなところにこんな部屋があるなんて考えてもみないだろう。その昇って行く階段の途中には、カルチャーセンターの物置がひとつきりあるだけで、あとは大きな短冊状の広告が、外から見えるはずの階段を隠して、細いワイヤーで吊り下げられている。確か人形屋の広告がいつも垂れ下がっていたし、もう一本は映画の広告があった。

 ぼくはニュースをもらうため新聞社の編集室に、エレベーターを使って何度も上り下りしなければならなかった。それだけが唯一、外に出る用向きであり、あとは電気室で、ちまちまとマジックで枠を埋めたり、電気テープに曜日別に流す内容を編集しておいて、時間が来ればコンピューター任せにしておいて良かった。その間、FMを聴いたりTVを観たり、タバコをふかしているだけで、他にすることもなく、ぼんやりしていた。

 ぼくの健康状態はいっこうに回復する様子をみせなかった。仕事場ではただただ息が詰まった。二人でいると同僚がうるさく感じられた。一人でいるといまにも頭がおかしくなりそうで、イライラしてしかたがなかった。

 同僚は年も上で、経験もずっと上だった。コピーライターにでもなる気でいるらしく、ぼくが本を読んだりしていると、うるさくつきまとって離れなかった。

「ぼくも本好きでね」

 そういってはこの部屋にまで、本を持ちだしてくる始末だった。だからぼくはいってやった。

「ぼくは本嫌いなんですよ」

 しまいにはこの男も閉口してしまって、敢えてぼくと話そうなんて思わなくなったようだった。

 ぼくはその男を見るとヘドが出てきそうだった。その男だけでなく、ぼくと同じようにアルバイトをしているやつにも同様の感覚を感じていた。彼は夜だけやってくるのだが、一流の大学を出てるか知らん、その男にたいそう好かれていて、いつも彼の優秀さを褒めちぎるばかりだった。あまりにも同じようなことをいうので、ぼくは耳をふさがんばかりに彼の言い分を無視してやった。すると自分までがバカにされたように不機嫌になって、むっつりと黙り込んでしまった。それでぼくもやっと気楽な気分になれたのだが、その年長の男が、そのアルバイトの男に、本を貸してやるよ、といっていつも本棚にぎっしり本を持ってくるので、ぼくはあきれて物もいえなくなった。というのも、いままで本らしき物は、国語辞典やレタリングの本以外一冊もなかったからだ。ミステリーや探偵小説がたいそう好きで、ゆくゆくはコピーライターを経て、そういった分類の本で一発あててやろうと思っているのかもしれなかった。大学生は大学生で、ぼくがその男のように彼に対して敬意を表さなかったことに、不満をいっぱい持っているようだった。彼は自分が一流出である、ということに鼻にかけている風でもなかったが、ぼくがまったく彼の一流さに対してすごいですねの一言をかけなかったばかりに、ひどく不機嫌であるばかりでなく、ぼくを変人なのだろうとひそひそ話を年長の男と始めるしまつだった。

 ぼくはそういったことに対して、バカらしさと憤怒の気持ちを抱いていたが、それはそれとして放っておくことにしていた。たいていは一人で仕事をしていれば良いし、たまに顔を合わせたからといって彼らと話したいとは思わないし、第一どうでも良いことだった。彼らにあるこの仕事をする上でのメリットは、彼らの友人たちから何か素敵なことをしている、と思わせるところにあったようだが、ぼくは一ヶ月と行かないうちに辟易としてしまった。

 ぼくは退職してから、電車に一時間近く揺られることになった。たいていは満員電車で座るときはほんの偶発的にあるにはあったが、たいていは座席の横のポールに背をもたせかけていた。ちょうどその頃、ぼくは『カラマーゾフの兄弟』を読み始めていたので、たいていは本を顔に触れんばかりのところに持ってきて読むことにしていた。けれどあまりにひどい混雑時や気分の乗らない日は、深くカバンにねじ込んで一度も開かずにいる時も多々あった。ぼくは冷や汗をかきながらも、人波の中で倒れんばかりにポールにしがみついて一時間を過ごしていた。

 血圧が低いせいか、まだ半分身体も頭も眠ってはいたが、妙にはっきりと人々の顔や仕草がやはりはっきりと見えた。時々、吐き気がしてそれどころではなくなることもあったが、たいていは現実味を持って彼らの一人ひとりの顔がぼくの眼まえでちらついていた。ちょうどロウソクの炎を見るように、その揺らめきを見、炎の熱線が皮膚を伝わって身体の奥の方まで染みわたって来るように見えた。形のない形、様々な色、そのベールのような幾重にも重なった層、炎の先から立ち上る細い黒煙。あらゆる形態がぼくの全身により把握されて、ぼくの眼前でパノラマ映画みたいに、秒刻みに本当のものとして入り込んでくる。さわやかなはずの朝の空気を裏切って、ぎゅうぎゅう詰めにされたぼくや彼らは、ぼくの中では一体化された物質の塊、嫌でも入り込んでくる紫外線のように、ぼくの網膜を焼き尽くさんばかりだった。

 ぼくはそんな単調ではあるが、ひどい現実にさらされていた。ぼくの眼は彼らの行動にはついて行けそうにもなかった。けれどぼくの眼はどこかに同胞はいないものか、いつでも探りを入れるように見開かれていた。そして、ある朝、ぼくはここにいる! と叫びたくなるような気分を抑えきれずに、二人の男女にその全神経を注ぐことになった。

 それは薄ら寒い冬の日だった。ひとりはほんの若い女性。もうひとりは少しぼくよりも年上の男性だった。若い女性は少女といっても良かったが、ぼくはそのまま少女とたがをくくってしまうには、あまりにも眼をいっぱいに広げすぎていた。彼女は一種のジュリエットであり、そして彼はロミオなのだ。ロミオは知的な面持ちを備えていた。よれよれの背広、髪は寝起きそのままにくしゃくしゃと乱れている。青白い端正な顔立ち、手にはドイツ語の分厚い本が抱えられ、時には開いて読んでもいる。ところが彼は今にも倒れそうなのだ。それがぼくには良くみてとれる。

 もしあと一時間、彼がトイレのドアのところに背を持たせかけていたとしたら、ドスンという音と共に、床の上にうつ伏せにこけてしまったことだろう。彼は自分の疲れを知っているのだ。どういうわけでかはわからないけれども、トイレにいつでも入っていって、反吐を吐き、それからおもむろに洗顔できるようにきちんと用意されている。彼は正真正銘のロミオなのだ。ところが彼はジュリエットをまだ知らない。ほんの数メートルのところに、白いフード付きのジャンパーを着ているジュリエットがいることをまだ知らないのだ。その白いフードの上から、白いマフラーを巻きつけてある。ジーンズを履いたきしゃな体つき。頬は薄桃色だし、唇はイチゴ色。少し栗色に変色した短髪。そのジュリエットは今まだ彼に背を向けたままポールに背をもたれさせているのだ。

 ブツブツつぶやいていた。二人の出会いがどうして起こるか、そして二人がどのような運命の元に左右されるかを、ひとり歌でもうたうみたいにつぶやいていた。きっとこうなることだろうな。これがぼくの一時間だった。とっておきのロマンス。街で繰り広げられるキッスの数よりも勝るロマンス。今世紀のはじめからこの世紀の終わるまで語り草になるようなロマンスが、この一時間にきっと生まれるに違いない。多分、この電車には千人と数百人が乗り込んでいることだろうし、この路線を利用することとなれば、何十万単位の人々の往来が予想される。それがこの時間に、この電車に、この車両に乗り合わせる確率など微々たるものではないか。こんな数字上のロマンティックなど物の数でもないが、この街の中にあって通勤に繰り広げられる人々の戦場に向かうような足取りを見ればキセキ以外の何物でもないロマンスではないだろうか。ぼくは単に確率だけをロマンスの手がかりにしすぎたようだ。

 彼はひどく疲れている。青ざめた馬のようにいまや瀕死の重症にあるのだ。彼は何に疲れはて、ドイツ語の本を広げているのだろう。その容姿には似ても似つかない不格好な背広。はね上がった髪の毛にも気をとらわれることはない。彼女といえば、ポールに背を持たせかけたまま身動きひとつしない。何もかもに圧倒されて、揺れようが足を踏まれようが声も出せないのだ。そのくせ誰も着ないようなフードつきジャンパーを着用し、その上、首に白いマフラーを巻き付けている。その華奢な体から伸びた、ジィーンズに包まれた細長い足。まるで十年前からそのような格好をしていたように、ぴったりと彼女にフィットしている。子供の頃にあったような、そのまま引き伸ばした写真が、電車の中でオドオドしながら、大きな大人たちにか囲まれて、小さく震えているようなのだ。

 きっと二人の出会いは、共通の話題から始まる。彼女は文庫本を両手で広げて見ているし、彼は彼で片手にはいつでも開けられるようにふところあたりで伏せている。二人はきっと同じ駅で降りる。その時、きっと彼は目眩でも起こしてその本を落とすのだ。彼はしばらくその事に気づかなかった。つっぷしたまま、片手はこめかみを押していた。彼女は自分の足元に転がった本を蹴飛ばしてしまった。そしてはっと思った時には、本を胸に抱えていた。

「これ」

 といって彼女は差し出すけれど、彼はいっこうに気づかない。彼女は手にとった本をどうすればいいかわからないまま、ひょいと表題に眼を落とした。もちろん、彼女には何が書いてあるのかわからない。ただ、ずいぶん難しそうな本だなァ、と思った。彼女は後からあとから降りて来る乗客にぶつかられながらも、どうしても動くことができなかった。無理矢理でも本をその角からでも突っ込んで立ち去ることができなかった。彼女はそんな性質を持っていた。もしこの男の人が、いつまでもそうして、例えばうずくまって身動きしないなら、そのまま立ち去ることなんてできない。といつて自ら進み出て、額の汗をぬぐうなり、駅員を呼んで本を預け、この人のですといって立ち去ることなどできない。ただ彼女は本を抱えて立っているだけ、それだけのことで精一杯だった。

 電車は笛の音と共にドアを閉め、いまや動きだそうとしていた。男の人は片手をはずして、ようやく自分が本を落としたことに気づいた。また彼女が「これ」といって本を差し出したからだ。

「ありがとう」 

 その間、彼はそういって会釈すると、ふらふらした足取りで階段に向かおうとしていた。

「だいじょうぶですか?」

 彼女がそういうと、すぐに「だいじょうぶです」と答えが返ってきて、その意を伝えるためか彼は少し笑って見せた。

 彼女はそんな男の人を、後ろから追う形になって、彼の足取りをいちいちひやひやしながら眺めることになった。彼女のそれが性質だった。例えば道路を、自転車で横断する学生を見ていると、いつも自分のことのようにヒヤヒヤした。キーッとタイヤのきしむ音を聞くと飛び上がってしまう。あんなに飛ばして大丈夫かしら、そこは車がいつも飛び出すところなのに。車が自転車に接近すると、思わず歩くのが止まってしまって、釘付けになったように見守ってしまう。アブナイ! 

 このことは彼女にとって、ひどく心を重くする悩みのひとつだった。犬が道路を歩いていれば、それこそ大変だった。車がブンブン飛ばしている中を、犬は恐る恐るだが、何度も渡ろうと試みる。そのたびにクラクションを鳴らされ、急ブレーキの音に驚いて、後ずさりしてしまう。そうなると彼女は一歩も歩けなくなってしまう。そして犬が車の間隙をぬってうまく渡りおおせれば、胸を撫で下ろしてまた歩き始めるのだ。その間、彼女は息を詰めんばかりに立ち止まっていて、渡り終えた犬を見た瞬間、いっぱいに空気が入った風船がしぼむように、フーッと息を吐くのだった。

 それだけでなく、彼女は犬についての前歴があった。捨てられた子犬を、自転車のカゴにつめたまま、朝から夕方まで走りまわっていた、という前歴である。その間、誰か飼ってくれそうな人はいないか、自分の知っている道という道を、自転車をころがしまわったのだ。誰かに犬はいりませんか、と声をかけるわけでもなく、ただただ自転車のカゴに子犬を乗っけたまま走り回っていた。

 自宅に戻って、母親に聞いてみたけれど、そんなノラ犬捨ててきなさい、といわれ困り果てていたのだ。なかにはかわいい犬ね、といって子犬の頭を撫でてくる人も見つかったけれど、飼ってはくれそうになかった。かわいそうだけれど家では飼えないの。

 彼女は最後の手段として、もといた場所に子犬を返しに行った。きっとお母さん犬が近くにいるはずだ。もしかしたらこの辺りの人の飼い犬かもしれない。それだけを頼りに、子犬をもとの場所に置くことに決めた。家に帰るともう辺りは真っ暗けになっていた。彼女は細い食事を終えると、すぐに部屋にこもってひとりで泣き出してしまった。彼女は自分で自分のことをひどいやつだと本気で思っているのだ。

 彼女は男の人のおぼつかない足取りを見ていると気が気ではなかった。階段に差し掛かるとなおのこと危なっかしくて見ていられなかった。男の人は片手で手すりをつかもうとしていた。そうしてもう片手には本が抱えられているが、ポケットに突っ込んだ隙間にある本は、今にも落ちてしまいそうだった。彼女は毅然と階段を二三段降りると、男の人の前に立ちはだかった。

「本が落ちますよ。私が持ちます」といって男の人に何もいう暇を与えず、さっと引き抜いてしまった。その時、彼のポケットに突き込まれていた手がすっと抜けると、彼女の手に納められていた本にぶつかった。本は階段の上で、パックリ口を開けて落ちてしまった。

彼女は「アッ」という声をあげてしまった。男の人はそれを拾い上げようと、体を屈めた。その時、彼の頭の中を白いものが駆け巡った。

 彼は物の見事に階段を転げ落ち、ちょうど改札に程近い所で、ようやく止まった。距離として十数メートル、彼は階段を丸太のように転げ落ちた。彼女はその瞬間しゅんかんを、まるでストップモーションのように見ることになった。

 救急車のサイレンの音。駅員の集散。人々の好奇の眼。靴音をだけをたてて通りすぎる者。空のない通り。地下街に続くエスカレーターの意味のない連続運動。電車の近づく音。遠ざかる音。階段を次々とかけ降りて来る者。声のない声。  ピーッ、ピーッと吹かれる笛の音。若い男は担架で運ばれて行く。彼女はただ本を拾い上げ、駅員に渡すでもなく、そのまま何も考えつかないままに通いなれた道のりを追う。

 彼女が本を返さなければ、と気づいた頃には、学校も引けて帰りの電車に乗る頃だった。彼女はひとりになった時、本を開けてみた。本の一番最後のところに、名前と自分の所属場所が記されていた。大学名、血液型、物理学の助教授であり、何を専門としているか、自宅の住所まで記されていた。まるで自分が死んだ時の認識番号のように、きっちりと書き込んである。

 さて、ここでぼくの想像は、行き止まりとなった。というのも電車はすでに駅に着いたのだ。どやどやと人々が流れ出て行く都心の駅である。ぼくは構内を抜け、アーチ状の天井がある商店筋を抜け、九階建ての入り口までやすやすとたどり着き、エレベーターに乗って六階に向かった。空などまるで見ることもないこの空間。雨が降らない限りどだい上を向く必要がない。それどころか傘によって、ほんのわずかな間隙の中で雨音を感じるくらいが精一杯なのだ。地下から行けば、雨にあたる必要すらない。信号機と信号機のはしには、親切にも商店街に続くアーケードがすっぽりと空を隠してくれている。この辺りでは、一日空を見ないで過ごせるし、暑さ寒さからも雨からも守られている。

 ぼくは暇に任せて、六階の広告の間から首だけだして下を見る。米粒のように動き回る人間どもの艶姿が、よくもまあ飽きずにうごめいていると思う。タクシーは駅の周辺のロータリーを何千回何万回とまわり続けているのだろうし、平日であれ祝日であれ、人々の姿の絶えることのない街。時計台の時計が、ゴンと十二時を打てば、会社諸君はうじょうじょとビルとビルの間からあふれ出てきて、それぞれにみあった食事を求めて進み出る。なんだか彼らの歯音が、十二時をまわれば、ぼくの耳まで達するのではないかと思われた。ガツガツだろうが、ガリガリだろうが、みんながみんなこぞって食べ歩くお昼の時間。

 ぼくは文屋が食べる地下の安食堂で食事を摂る。どいつもこいつもぼくより年寄りで、見るからに不健康そうなやつばかりだ。安いうえに不味いとくれば、他にいうことはない。不味いというのも、ぼくが彼らと一緒に食事をするのが気が進まないからだ。印刷工のしょぼくれた顔、記者たちの精気のない顔、編集者の腹の出っ張り具合に気づかいながら食事を摂るのはぼくには相当な我慢がいる。

 生活を守ろう、世間並の賃上げを! などと壁に貼られた赤わく入りの張り紙を見るたびにぼくはヘドが出そうだった。地方紙だけあって、それだけ大変なのだ。そんな思いやりなど彼らにかけてやる気などさらさら起こらなかった。

 ぼくはニュース原稿をもらっていれば良いのであって、それをコンピューターに放り込めばいい。つまらないニュースばかりだと口をひん曲げて、席に座っている編集者のバカどもには金輪際関わりたくないと思った。つまらないニュース! 今日は何もないなァ! 夕刊の紙面を探ってどれにしようか迷っている姿は、老人の域を脱して、とうに昇天し終えた仏様のように写った。

彼らには何も問題意識などない。ただあったこと、記者が伝えて来たことだけを忠実に抜粋しているに過ぎないのだ。あとはタバコの煙をむやみやたらと消費しているだけで、それらは新聞紙を丸めて作ったタバコに過ぎないんだとぼくには思われた。ぼくはそういった中でも、忠実に任務を遂行した。与えられた仕事をやれば、時給五百五十円はもらえるからだ。ぼくはその意識のない動物のように、エレベーターを上り下りしていた。

 そのうちにぼくはぼくなりの反抗を見出だすまでになった。広告では文字数も内容も変える訳にはいかなかったが、ニュースであればどのようにだって変えられるのだ。ぼくはひとつだけ、最高傑作に数えられるぼくの作ったニュースを覚えているが、それは決して記者の思いつくような語調ではなかった。はっきりいってひどい修辞法を使っていたし、冷静さを欠く内容だった。けれどこれはぼくの意を大いに反映し、あらゆる意味で人々の心に衝撃を与えようと意図されたものだった。

 それは子供の折檻死に対するコメントだった。ぼくはその親を絶対許せないと思った。折檻死した、と書けば良いものを、ぼくはやたらとブチまわし、とした。そして最後には、ブチまわされ、あげくのはてに殺された子供に哀悼の意を表明する、とまで書いてやった。そして、もうひとこと付け加えたかったが、これは文字数上、削除すべきだと判断した。「殺したのはあなた方なのです」

 入った当初、編集者の人はよくこのネオンサインを見ている人がいるから、あまり変なことは書くな! と注意をされていた。

「少しくらい内容を変えてもいいけど、文字数を減らすとかにしてよね」

「はい、そうします」

 ぼくはおざなりに答えておいたのだが、この時ばかりはビクビクしていた。

「よく見ている人は見ているし、間違ったことを流すと抗議の電話が新聞社の方に入るから気を付けて」

「そんなことありそうな気がします」

 ぼくはそう答えたが、ぼくがいくらヘンテコなことを書いても、何の注意も受けやしなかった。それどころか、誰が見てるものか、この忙しい街中にあって、誰が本気で読んでいるものか、といよいよ自分で納得していくようになった。けれどそれはぼくの間違いだった。見る人は見ているのだ。

 広告、市政だより、今日の運勢、恋人からのラブメッセージ、今夜の天気、明日の天気、プロ野球速報、大相撲ダイジェスト。これだけの内容が数分間にワンサイクルの割りで流れている。夜になるとキラキラと輝いて、読まれないまでもきれいだと思うこともできる。今ではオーロラビジョンの到来で古めかしくなったこのネオンサインも、けっこう街中では見慣れた風景の一部にもなっているのだ。

 同僚は恋人からのメッセージにやっきになり、ありもしない架空の恋人のことばを手中に握りしめている。それが唯一のコピーライター修行でもあるみたいに、せっせと一週間分のメッセージを書き上げている。ハートのマークをいくつもくっつけ、私の大好きなY君。いつもあなたを見つめています、とか書きなぐっている。それが彼の唯一の自己主張なのかと思うと、ぼくは悲しくなってきて、ヘドがでそうなこの同僚に、少しくらいは同情を感じてもいいのではないかと思われたくらいだ。だいいち、ここに恋人のメッセージのハガキなんて飛び込んでくることなんかない。一月に一枚くれば良い方で、いままでに溜まりにたまったハガキがその手本となって書き続けられているに過ぎない。

 机の上に並んだ二つの電話は、主に編集部の人から、野球やゴルフの情報を仕入れるために使われている。それともカツ丼でも注文するためにあったのかもしれない。たまに彼の友人から電話があったりすると、仕事をそっちのけにして話し込むくらいだから、たいした機能がその電話に備わっているものだと思われた。

 ある時、その電話は鳴り、ぼくが電話口にでると、恋人へのメッセージを見たんだけどと、若い女性がいきなり話しかけてきたことがある。「あそうですか」というとその女の人は、ひとりで十分ばかり喋り続けた。

「あの、紹介してくれるんですか?」

「何のことですか?」

「恋人を紹介して欲しいんですけど。恋人へのメッセージを見たんです。恋人を紹介してくれるんでしょ? 同い年か少し年上の人が良いんですけど。あの、電話番号は教えられないんですけど。名前もイヤ。わたし今一人でいるんです。駅からかけてるの」

「ここはテレクラじゃありませんよ」

 とぼくがいうと「そうですか」といって女の子は要領を得ない。

「恋人がほしいんです。何ていえばいいんですか。どうしたら流してくれるんですか? わたしは学生で、年は十八なんです」

 ぼくは延々とその電話にかかりきりになり、彼女が何の食べ物が好きでどの歌手が好きで、クラブ活動をしていないこと、親は嫌いだが父親の方が少しは好きなこと、学校がイヤで先生の顔を見たくないこと、好きな人はいたがその人には彼女がいること、太るのをとても気にしていて、ほとんどごはんを食べていないこと。ぼくはうんとかそうとかいうだけで、これだけのことをいっぺんに話しまくった。そうかと思うと、電車が出るとか出ないとか言い出し、門限があるとか言い出し、じゃあバイバイ、といって電話を切ってしまった。

 ぼくはさっさと切ればよかったと後悔したが、時間を潰せればどんなことでも構わないと思っていた。一人でいる時の電気室は、夜か昼かがはっきりとしなかった。コンピューターの電子音がブーンと響いていて、ラジオでもつけなければ気がおかしくなりそうだった。孤独になれているはずのぼくが、この密室に閉じこもっていると、どうした訳かイライラして仕方がなかった。ラジオはいつもFMをかけることにしていた。AMラジオの宣伝には辟易としているし、意味のない会話や笑い声を聞くには耐えがたいからだ。どんな会話で盛り上がっていようと、ぼくには関係のないドラマのように思えた。そのドラマにはぼくは出演していない。

 ぼくはただここに座って、マークシート方式のように、マジックでひとますひとます埋めつくして、見映えの良い文字に仕上げているだけだ。FMが何を流そうともぼくは良かったが、ぼくの一人の時は浪曲教室の時間にあたってしまっていた。ポップスやらロックやらの音楽が終わると、寄席が始まり、浪曲が飛び出してくる。それでも宣伝がないだけでもどれだけ救われたかもしれない。宣伝は洗脳するために利用され、ふと気づいた時には宣伝文を空でいえるようになっている。それと気づいた頃には、もはや歌まで口ずさんでいることがある。ぼくはそういうとき決まって自分にこう言い聞かせる。この商品だけは絶対に買ってなるものかと。

 ぼくは一人きり、聞きたくもない浪曲教室の指南を受ける。手拍子まで打って教えている先生とやら、節回し、呼吸のイロハまで丁寧にやっている。もちろん、ぼくには関係のないことだ。ぼくは終いにはラジオも止めてしまう。機械の音だけが、ぼくのまわりを取り巻いている。三つほど並んだ机の上の蛍光灯のなんともいえない音。コンピューターを冷やすためのファンは生ぬるい風を室内に対流させているようだ。それ以外は無音の世界。  

 テレビもラジオもつけないで、ぼくは一人でせっせと仕事をする。室内は蛍光灯の明かりだけ、今は昼とも夜ともわからない。時計だけが確かな時間を刻んでいるはずだが、ぼくにはそれが実感を伴って感じられない。ぼくは一息いれるためにタバコを吸う。青白い煙は室内をぐるぐると回る。見えるものは壁、壁、そして壁。白塗りの、もう埃や煙やらですすけた壁。いっさいの物音、空気、生きているということすら遮断してしまう壁だ。

 ぼくがそうしてタバコをふかし、さあ、仕事をしようと机に向き直った時だ。どこからかキャッキャッキャ、という声がした。ぼくは一瞬ドキッとした、なんだろうと思った。今日は新聞の休刊日でもあったし、階上のレストランも休みのはずだ。こんなところにひとっこひとり寄り付かないはずだ。よく知っている人でないとこんなところまで上がってくる訳がない。ぼくはおどおどしながらも耳をすませ、次の物音がいつやって来るかじっと聞き入っていた。

 すると金属音のような笑い声が、またキャッ、キャッキャ、と聞こえたのだ。ぼくはぶるってしまって、胸の鼓動が早くなるのを覚えた。時計を見るとまだ十時ではないか。外は曇っているがきっと明るいはずだ。夜ではないのだ。けれどぼくはなぜか怖くなって仕方がなかった。すると、ゴンゴンゴーン、と階段の手すりを何物かで打つ音がした。そして、間隔をおいて、またあの金属的な笑い声がするのだ。ぼくはいよいよ怖くなって、きっと変質者に違いないと思った。ニュースを扱ったりしているぼくは、よくそんなニュースとも付き合うことがあった。

これはやばい、と思った。そこですぐに立ち上がって、ドアの鍵を閉めた。するとどうだろう、笑い声はますます近づいて来るじゃないか。手すりをゴンゴン打ちすえながら近づいて来る。そして、ドアのところまでやって来たのだ。ノブは回され、そうしてガチャガチャとこじ開けようとする。ぼくは真っ青になって、なんとかここから脱出したいと思った。ところがドアひとつだけが、外からとの唯一の通り道だった。窓ひとつこの部屋にはないのだ。ガタガタッガタ。ドアは何度も開けられようとされている。そして例の笑い声がするのだ。そしてとなりの物置から、何かをひっくり返すような物音がしたりした。ぼくはもう完全に肝を潰されてしまった。ただ何とかしようと頭の中で考えのない考えがぐるぐる回っているだけだった。よし、守衛に電話をしよう。ぼくはまず案内に電話をかけた。

「あの、新聞会館守衛室の電話番号を」

「しばらくお待ちください」

 というと、ぼくがいくらもしもし、といっても返事すらしてくれなかった。やっとのことで電話番号を聞き取ると、ぼくはほんのしばらくだが迷うことになった。もし電話をして何事もなかったらどうしようと思えた。これはぼくの幻覚で、一人でいるとこういうことってあるんじゃないかと思えた。けれど依然としてとなりの部屋のドアはバタンバタンと開閉され、キャッキャッキャという笑い声が聞こえてくる。そしてこの電気室のノブをガチャガチャと回しては今にも開けようとしているのだ。

「もしもし、こちら電気室なんですが」

 ぼくは努めて冷静であろうとした。

「あの守衛室ですか? ちょっと変な人がうろついているようなんです。早く来てください。ドアをガチャガチャやっているんですよ、どこのですって? この部屋です。変な笑い声が聞こえてくるんです。とにかく早く来てください」

 ぼくの想像では、出刃包丁を持った変質者を想像していた。奇声をあげるそれは狂気にまみれ、ところかまわずその出刃を振り上げ次々と人をメッタ刺しにするそれであった。ぼくは早く守衛が来ないものか、とあせる心を抑えていた。

 ある程度、電話をかけてから安心していたのだが、もしもその守衛が殺られたらどうしようかと思った。守衛はなかなか来なかった。これはヤバイな、と思った。その時ドアが激しくガタガタと揺らされた。ぼくはもはや絶望的なまでに恐怖にひきつっていた。

「守衛です、ドアを開けてください」

 ぼくはやっとのことで自分を取り戻した。これで助かったと思った。そういえばあの奇声はなくなっているじゃないか。

 ドアを開けるとそこには丸々と太った守衛がなにか良いことがあったかのようにニコニコしながら立っていた。

「誰も変な人いませんでしたよ」

「でもドアをガタガタやったり……」

「子供たちでしょう。カルチャーセンターの子供たちですよ。今日はなにか音楽会がありましてね、子供たちが控え室に」

 そういいながら、物置の方を守衛は指し示した。

「子供でしょうね。いたずらしないようにいっておきましたよ」

 ぼくはまったくの取り越し苦労をしていた。守衛は君は臆病なんですね、といいながらニコニコ笑って、いままで親しくぼくと付き合えなかったことを残念に思ったのか、握手を求めんばかりに馴れ馴れしく話しかけてきた。ぼくも笑ってしまって、自分のバカさかげんに自分の頭を叩きたくなった。

 まあそういうこともあらぁな。自分でそういって慰める他なかった。ぼくは部屋を出ると、人形と映画の広告の間から首を突っ込んで外を眺めた。朝とは違う空気がそこには漂っていて、日本晴れといって良いほどの上天気が街中を取り巻いていた。子供らはやはりキャッキャッキャとやっていた。まことにかわいい子供らではないか。お母さんがコーラスや何やかやで忙しい間、彼らは彼らなりの遊戯と好奇心の発散を、この六階の中二階、物置辺りや階段辺りでめいっぱい楽しんでいたのだ。けれども、そんな遊戯の物音を怖がっていたぼくはいったい何だったのだろうか。これは単にぼくが臆病なせいか。それとも彼らの繰り出す音質そのものに、そんな恐れや不安を含ませていたからこそ、この臆病なぼくの心にでも伝わったのではあるまいか。

 それはともかくとして、ぼくはいそいそとエレベーターに乗っかり下りおりて行く。非番の編集者の一人に、ニュース原稿をいただきに行くのだ。どうせたいしたニュースはあるまい。レーガンがどうした、ゴルバチョフがどうした。自動車事故。通り魔殺人、銀行強盗。横領。政治家の失言。子供の自殺、大人の自殺。そうしたニュースがあるだけではないか。

 どれもこれもよくありふれた日常時なのだ。ただ忘れた頃に、偶然にも事件とやらが起こって、それが続けざまに報道されるにすぎない。何かとびきり素晴らしいニュースネタ、何週間もそれで飯が食えそうなニュースネタは、大抵はずっと以前からあったこと、ありふれたことばかりなのだ。ただ人々が関心を惹くには、連続的であること、それが忘れられていたことにその根っこを持つにすぎない。それだけのことではないか。

 もっと恐ろしいことは、それらが忘れられ葬り去られることにある。何度も見ている内に当たり前だと思うことにある。ましてや報道という機関の機能は、今や崩壊寸前の非人間的な物量作戦で養われているのだ。テストに合格した者はカメラマンでも、記者にでもなれる。それがどんなテストかといえば、お粗末にもマークシート方式や、教科書どおりの一から十まで暗記するだけの能力の有無。なんでも信じ込んでしまうだけの物の見事な従順さだけなのだ。そうではないだろうか。

 ぼくはレーガンが死んでしまったとか、ソ連と米国は局所的ながら開戦中などというニュースをさすがに流しはしなかったが、流すことも可能な人物だった。ぼくは農業新聞をかくのごとく編集すべきである、という信念はないが、人々の眼を醒ますくらいのパンチをもしぼくがジャーナリストなら浴びせかけてやりたいとは思う。けれどぼくはジャーナリストの一員だけはなりたくないと思った。ジャーナリスム、報道機関、テレビの広告、ニュース、ドラマ、すべてを含めて、ぼくはその構成員のひとりになりたくない。

 まだぼくはぼくの意志と意識を持ち続けたいのだ。けれどそれがどうなのだ、と問われたらぼくは答えようがない。それだけのことだからだ。そんなものは微々たる反抗だと言えるだろう。アリンコが象に話しかけるようなものだ。無論、それだけのことなのだ。

 ぼくは今やニュース原稿を持ち帰るためにエレベーターを待っている。それだけのことだ。消費税がどうのというニュース原稿だ。ぼくの時給五百五十円の内、どれだけ消費税とやらで消し飛んで行くだろう。そういう意味ではぼくにも関わりのあることだ。だが、それだけのことじゃないか。真に迫るほど説得力もないし、サラリーマンたちはお上のお達しであれば諦める、という素晴らしい従順さでもって世相にうまく乗っかってゆくことだろう。又、反対したからといってどうともなりはしないのだ。なぜなら民主主義など今どの国を覗いたってお目にはかからないからだ。ぼくは今さらながらいうのはなんだが、人民の人民による人民のための政治などというものにお目にかかったことはない。リンカーンはずっと先に死んでしまった。福沢諭吉ももういない。人の上に人を作らず人の下に人を作らず。そんなことは、ぼくの頭の中では死語になっている。民主主義とて然りだ。エレベーターは開いて、ぼくはその中に入って行く。ボタンは六階とお決まりなのだ。三階と五階にある映画館は素通りで、六階で下りる。そして又、階段をとぼとぼ歩いて上らねばならない。

 エレベーターには一組のカップルが体を付き合わせて乗っていた。あとはこの消費税紛いのぼくだけが乗っている。彼らはしっかりと引っ付いて離れないばかりに手を繋ぎ合わせている。ぼくがエレベーターに乗ると同時に、その若い男の子は、彼女の前に囲いを作った。彼らは高校生らしかった。まるでぼくを一歩も彼女に触れささんばかりに、両手いっぱいを広げエレベーターの隅っこに陣取っている。

 このハレンチナハイエナどもめ! ぼくの彼女は渡しはしないぞ! 

 ぼくは彼のその勇猛果敢なそぶりを見て、救われたような気がした。別にぼくは彼らをジロジロ見たわけではなかったが、ぼくを彼女に手をかけんばかりのハイエナのごとく認めて、彼はこのぼくをとおせんぼしているのだ。ここから一歩も入らせはしないぞ。俺は彼女を守って見せるぞ。そんな声がぼくには聞こえてくるようだった。

 彼の若々しい睨み付けるような眼。まるで野獣のような眼。ぼくは自分の中の混沌とした試行錯誤や疑念や失望が、いっぺんに広がった世界に突き落とされたような爽快な気分にさえなれた。そんなことがいったい何だというのだ。彼らはここに生きているじゃないか。そう思えることがぼくにはとても嬉しかった。

 ぼくは五階で下りて行く彼らを後ろ手で眺めて、エレベーターを六階で下りた。だれもいない通路を横切り、自分の足音だけを聞いていた。非常階段、と書かれた鉄の扉を押し開けて入って行くと、後方で扉がバタンと驚くべき音をたてて閉まるのがわかった。その頃にはぼくはコンクリートの階段を昇っていて、右に折れ曲がりもうひとつの階段を前にしていた。ちょうどそこに二つの短冊形の広告がはためいていて、わずかだが外を望むことができた。ぼくは立ち止まって、鉄柵から乗り出して顎を突き出さずに階段を昇って行った。

 ちらっと外をうかがいはしたが、ぼくは原稿を手にしたまま、ほとんど一直線に電気室に向かっていた。下を向いて、ゴマ粒のような人間を見るには、等身大の人間を見てしまったぼくにはあまりにも淡白すぎる。それよりも大急ぎでニュース原稿でも差しかえて、やがて君たちは税金を余計に払う、ことを知らしめてやった方がどれだけ役に立つことだろうか。といってこの電球のチカチカやるのを、うまくキャッチする人は皆無に違いないけれども。

 税金のかわりに―君に借りていたお金が少なくなったので、もう少し借りたいからお金ぼくにくれないかね、もしくれないというのなら、君は非国民だからね、国税庁、くらいのコメントを付け加えてやってもいい。君たちの税金は道路整備に、治安の維持に使われているんだ。これだけ素晴らしい都市ができたのも税金のお陰だと思え。こんな思い付きは、思い付き以上の効果をあげることはないだろう。ぼくはただ黒のマジックインクで、升目を埋めて、文字らしくしているにすぎない。飾り物然として置かれている時計の時刻を信ずれば、ぼくはあと二時間程でお役ごめんとなる。なんと素晴らしく正確な機械だろう、この時計という相棒は。

ぼくはすでに六時間程の労働を終えた、というわけだ。あと一時間程すれば、大相撲を記録するために、テレビとラジオをつけなければいけない。上位五番までの勝負を、この電光板に表示するためにだ。ぼくは何度もこんなことを体験しながら、ごくスピーディーに月日を送って来た。スピーディーというのも、単に早く感じられるから、なんていうしろものじゃない。少なくともぼくは、時間は早くなっていると信じている者のひとりだ。

 すでにアインシュタインは相対性理論において、時間と空間の伸縮性に言及している。それなににやつらは誰ひとりとして気づかないのだ。あのゴマ塩頭のやつらは。人生が五十年から八十年になったと、喜ぶだけ喜んでいるだけだ。実は時間が速くなったとも知らずに、空喜びをしているとも気づかないのだ。

 我々の持っているモノサシは、いやにガンコにできていて、五十年は五十年、一時間は一時間、十センチは十センチだという。ぼくも何度も教科書にムチ打たれ、そう信じることを覚えさせられた。もしそうだとすると、あのゴマ塩頭も、そう悪い人たちじゃあないんだと思えてくる。あの人たちはかわいそうな人たちなんだと。

 ぼくは少し年上のアルバイトの人に、ここに来て早々こんなことを言われた。

「実はね、あの人、ここにいた女の子にいたずらしたんだ。たまにくるでしょ? あの人にさ」

 ぼくはそうですか、とかなんとかいって聞き流しておいた。

「それからここでは男の子しか、使わなくなったんだ」

 そういえば、女の人は紙袋にお菓子をいっぱい詰めて時々やって来ていた。そうして二人は親しそうに、部長とやらの悪口を言い交わしていた。

「ある時ね、部長がさ、ハエをつかまえてね。その羽をちぎってさ、その後でニタッと笑ったよ。気持ち悪いったら」

 彼らの間で部長とやらの話がでる時は、決まってこんな話ばかりだった。

「で、あの人は(確かあの人の代わりに名前をいっていたが忘れた)ここの社員になることでなんとかかんとか解決したってわけ」

 ぼくは彼らの言い分を素直にそうですか、と信ずることができなかった。また、その反対に部長とやらの潔白さを証明してあげようという気にもなれなかった。ぼくはどちらかというと、この街中でも、この会社でも異分子なんだ、と漠然と思い込んでいた。その理由がどこにあるのかも知らずに、ただ単にそう思い込んでいた。

 ぼくの血圧は依然として低迷を続け、歩く度に物にけつまずくことになった。その事だけでぼくは友人間にも、比較的受けのいいジョークを飛ばすことで、何とか持ちこたえ続けていた。他人の不幸に自分の感情を交えずに対面するには、なんとも爽快なことだったに違いない。ぼくはぼくで彼らの笑い声を聞くことで救われた。少なくとも彼らはぼくの敵ではないのだ。それだけははっきりとしていた。しかし、そのことはある意味では偶然に過ぎない。それがアインシュタインの我々に与えたひとつの問題であるとしてもないとしても、大相撲冬場所をせっせとラジオで聞き取っているぼくの姿は、なにかどこかおかいしいのだ。ぼくが低血圧の上に、自律神経が少々弱っているからといって、それがすべて自己の性質や自己自身の責任だといえるだろうか。好色な新聞職員がいて、アルバイトの女性に手を出したか出さないか、そんなことをぼくが知る必要があったり、吟味する必要があるだろうか。事実は誰のまわりで回っていて、どこかに落ち着き、信じられるという形を持ったりするのだろうか。

 ぼくはある冬の一時代にいる。寒さも身にしみて感じる頃だ。けれど季節感もそれほど感じることなく、この寒空の下で、中央暖房方式に守られて、ビルの一角で仕事をしている。確かに電気室のドアを開けた瞬間、身を震わせ、時には冷たい風と共に、広告のはためく音も聞こえる。灰色の空を、偶然の連続のために、何日間も見続けることがある。街路樹の落葉から、まる裸の木々が現れることもある。その木々の枝が冷たい風に揺すられ、水墨画のように街の片隅でひっそりとたたずみもする。人々のすれ違う姿は、どれもこれも屈み込みちじまったように見える。クリスマスであればジングルベルと鳴り響き、正月であれば琴の音だって聞ける。どれもこれも完璧なまでに冬の趣を演出してくれるかのようだ。

 けれども、どこかおかしいのだ。このぼくがビルの中で何とも知れぬ仕事をしているのと同じくして、どこかおかしいのだ。ただそう思うだけで、決定的な証拠を握った訳ではない。なぜならぼくでさえ構成員の一人であり、クソッタレ、ということばをどこかでもっていながらも、そのことばをうまく処理できないでいる。その対象をどこにも見出だせない。広く現代的であるすべて、とたかをくくってみても、現代的であるには、その過去もクソッタレでなければならない。クソッタレの昔があり、その頃にもクソッタレと思う者がいて、そして現代のクソッタレが現代も未来にも続いてクソッタレと思い続けるだけのクソッタレがあらなければならない。

 ぼくはテレビも、ラジオのスイッチもオフにして鞄にカラマーゾフを詰め込んで、帰り仕度を始めた。アリョーシャ君、君の出合ったことは、それほど悪いことではないじゃないか。恥じる必要なんてどこにもないよ。確かに悲劇的なこともあるだろうけど、それらにはまだどこか温もりがあるよ。

 ぼくは頭のどこかでそう呟いていた。ぼくは壁にかかっている鍵束を取って椅子から立ち上がり、つかつかと靴音をたててドアに向かった。蛍光灯のスイッチを切り、真っ暗になった電気室を確かめた。赤や青のランプは点灯していて、この機械は正常に動作している。午後十一時になれば自動的に止まり、朝七時からはセットされた新しいメニューが放映される。ぼくは間違いなく、この機械が働くだろうことを知っている。いつか壊れてしまうことも知っている。けれどそのどちらとも、ぼくのいる間に起こるかどうかはわからない。

 ぼくはよろよろの身体に、コートをうまく丸め込んで、ぼくはロビーを出た。ロビーを出た瞬間、ちょっと寒いな、と思ったが、午後の晴天のためにいくぶんか気温が上昇していたためか、それほど長くはそんな思いも続かなかった。ぼくはコートの襟をたて、それからふっと上方を見た。ビルのてっぺんには、大きな電光板が大きな文字をすばやく通過させていた。ぼくには渦を巻くようにねじれて見え、文字たちはその渦の中心、電光板の端の方に吸い込まれて行くように見えた。

 ぼくはコート姿に、鞄を肩から垂れ下げたまま、薄暗い通りをしばらく歩いた。そこには、夜空の代わりに、きらめくネオンの星々があった。



 

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星の代わりに 穴田丘呼 @paranoia

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