(今日は近況ノートのみ。両親や親戚からの伝え聞きなので、事実と違うところもあるかもしれません。でも、私の覚え書きとして書きます^^)
1300グラムの未熟児──
4月生まれになるはずが、
3ヶ月も気のはやい1月に私は生まれました。
まだ自力で呼吸もできない、危険な状態。
そこは当時、私の父が勤めていた病院で、
祖父もそこの勉強会に通っていて──
私が生まれた日は、
なんとその勉強会の日だったそうです。
そのとき病院に勉強会に来ていた
各地の小児科のドクターたちが、
新生児の私が危険な状態だと知って
急いで駆けつけてくれて、
生まれたばかりの私の細い血管に
点滴を通したり、
処置をしてくれたりしたそうです。
遠くのお医者さんも海外から薬を取り寄せて、
わざわざ届けてくれたのだとか……。
そんなドラマみたいなことがあるのか⁉️
……と思うのですが、よくも悪くも、
そんな奇跡みたいな日に生まれました(笑)。
よく見る赤ちゃんの写真って、
コロコロとしてかわいらしいのですが、
生まれたばかりの私の写真は、
NICU(新生児集中治療室)の保育器に入って、
経管チューブと点滴、
心電図のパッドなどを貼った痛々しい姿。
保育器に1ヶ月間、入院期間は3ヶ月。
生まれたばかりで一番、
お母さんと一緒にいるはずの新生児期を、
私は病院で過ごしました。
未熟児網膜症で目が見えなくなるかも。
生き延びても障害が残るかも……。
親戚は、生まれたばかりの私の
お葬式の相談をしていたそうです。
そんな話を聞いた母が、
どんなにつらかったかと思うと、
やりきれない気持ちになります。
当時、小児科のドクターだった父は、
病院に泊まり込んで、
私の輸血に血を提供してくれていました。
小児科のドクターが産婦人科に
しょっちゅう顔を出すもんだから、
看護師さんたちは迷惑したと思います……(笑)。
そのシワ寄せが母にいって、
嫌がらせされて大変だったって聞きますが……、
そんな中でも母は私を守ってくれました。
母乳をしぼって冷凍して、
毎日病院に通ってくれました。
1月という早生まれで、
おまけに3ヶ月も早く生まれた私は、
どこにいっても一番ちびすけ。
その後の赤ちゃん健診でも、
いつも引っかかっていました。
当時、修正月齢の考え方はありません。
もともとおっとりとした内向的な性格で、
お友達と遊ぶよりも、
ぼーっと景色を見ているのが好きな子ども。
今から思えば、
立派な発達障害・知的障害予備軍でした(笑)。
でも、母は、
「この子はお腹の中から
3ヶ月早く出てきただけ。大丈夫✨」
と思ってくれていたそうです。
私と同じぐらいの体重で生まれて、
未熟児網膜症で視力がとても弱かったり、
脳性麻痺で車椅子だったりした方もいました。
多分、生き延びて障害出なかっただけでも、
奇跡だったんだろうなぁって思います。
たくさんのひとたちから愛をもらって、
すくすくと育って、
大人になって、今があります。
そんな奇跡の中で生きていることを、
つい忘れちゃうけど……。
生まれたときの母子手帳を見て、
どこかなつかしい気持ちになりました✨