新年あけましておめでとうございます。
みなさま昨年はお世話になりました。
本年も、何卒宜しくお願いいたします。
はてさて、年もとっくのとうに明けまして本日12日。
遅ればせながら、昨年の振り返りと今年の抱負などについてまとめておきたいと思います。
なんか前回記事で4月いっぱいはどうのこうのという話をしているんですけど、今や2018年は終わりを迎え、それどころか平成の終わりまであと5ヶ月を切ったところ。
ちょっとやばくないですか? 2018年終わるの早すぎでは?
例年より6ヶ月くらい短くありませんでした? そんなことはない? はい。
昨年、2018年は創作面において七転八倒した年でありました。
とにかくスランプを脱しようと。
そも着手するのが遅すぎる。そして書いても書いても終わらない。そのうちに締め切りが来る。「こんな出来のものを出すわけにはいかない」で、出さない。
その輪廻を断ち切るためにもがいていました。
そもそもこれが始まったのは三年ほど前の話で、当時どうしても合同誌に寄稿する作品が書けず、書いては捨て書いては捨てを繰り返し、そのうちに他の作品も、なにも書けなくなってしまったのですよ。
なので「成果物がゴミのようなクソであったとしてもとりあえず提出する」という経験をする必要がありました。
○提出先
・第25回電撃小説大賞(一次にすら通らなかった)
・翡翠文学賞(未完のまま出しやがった)
・第27回文フリ東京(唯一の頒布物であるコピー本を当日の朝にセブンで印刷 & ブースで来場者に挨拶しながら製本)
まぁこういう……うん……こういうことを……しておりました……。
こうして改めて振り返ってみると、あまりにも駄目すぎる行為の数々……しかし……当時はこれが限界……! できなかったことよりも……できるようになったこと……そして……! 『挑戦した』『提出した』という事実……! 今はそれを自ら認め、評価してやる……それこそが肝要……!
もちろん、苦しいことばかりではありませんでした。
万年筆エッセイ『万年筆探訪記』のプレビュー数が1000を突破したことをうけて書き始めた『万年筆探訪記<番外編>』が、大変ありがたいことに星を9つもいただいております。嬉しい。とても嬉しい。
万年筆好きの同士から、万年筆に対する愛の言葉も続々と届きました。
そもこのエッセイを書き始めたのは「万年筆好きの同士に出会いたい」という思いからでした。見事に目的を達成できて、僕は感無量であります。
そんな昨年を乗り越えてやってきた本年亥年。
一年の計に掲げる抱負は、ずばりこれ。ででどん!
『今年こそ新人賞を受賞する』
ここ5年間、毎年同じことを言っております。いったいいつ受賞するつもりなんでしょうね!
しかし、まあ、これ年齢がばれそうな発言なんですが、創作仲間たちには
「僕は30歳までにはデビューするからね! 見ててよね!」
と、ビッグマウス叩いておりまして、その実現のためのタイムリミットが、もう目前に迫っているのですよね。
っていうか、受賞ではなく刊行をもってデビューとする場合、もう今年が最後のチャンスになってしまうんですよね。
もし今年を逃してしまうと、僕は『ビッグマウスを叩きました。申し訳ございません』という看板を首から下げ、インターネット大通りを逆立ちして練り歩かなければいけないことになります。
まあたとえ30までにデビューできなかろうがどうしようが、別に諦めるわけではありませんが。
ただ、体力的な問題とか今後のキャリアとか先にデビューしてばりばり活躍している同年代の人々に対する嫉妬めらめらとか、そういうことを考えると、はよ仕事したさが募るというか。
なので、今の目標として「30までに」と公言しているのです。
もうほんと、年下が……年下の躍進がすごいんですよ。
2chの掲示板で読んでた頃から好きだったげんふうけい氏こと三秋縋が年下だと知ったときは「うっそだろ」って口からこぼれおちましたね。
米津玄師も年下だし仮面ライダーオーズの渡部秀も年下だし、最近電撃大賞諸賞受賞してる人たちも半分くらい年下だし。
彼らと同じだけの時間を僕も生きてきたはずなのに、彼らが努力して栄光を掴むまでの間に、僕はいったいなにをしていたんだ?っていうお気持ちがむくむくと湧いてきます。答えは「なにもしてませんでした」。はい。
神社の鈴をがらんがらんと引き鳴らし、今年も産土神様に宣言して参りました。
今年は。今年こそは。
平成31年1月12日 紫藤夜半