エンタメでデスゲームって飽和状態じゃないですか?
上げたらキリがないので書きませんが、正直もう食傷気味で今更感あったんですよね。それに侍といったら、先に公開された『SHOGUN将軍』という超大作があるので、相当に分が悪いのではないかと。嫌でも比べられますからね。『SHOGUN将軍』と数多のデスゲーム物(ネトフリではイカゲームとの比較多し)と。
ということもあり、そこまで期待もせず視聴を始めました。
ちなみに原作未読です。
第一話、人を斬ることができなくなった岡田准一演じる主人公・嵯峨《さが》愁二郎《しゅうじろう》が、人を斬れないくせに蟲毒《こどく》というデスゲームに参加。一癖もふた癖もある落ちぶれた士族(元武士)が集まって、さあ、最後の一人になるまで殺し合ってくださいと二宮和也演じる槐《えんじゅ》の合図でゲームが始まります。
映像はいいですね。殺陣は世界基準で陳腐さは皆無。『SHOGUN将軍』と比べても引けは取らないです。カメラの長回しで難局を乗り切るシーンはバトルロイアル状態だからこそ、生えてましたね。るろうに剣心ほどのアクロバティックな派手さはないですが、リアリティをぎりぎりで保つバトルは十分に見ごたえのあるものでした。
なのに、こう、ぐっとくるものがない。
理由は分かってました。
①バックグランドも不明の中でのデスゲーム。
最初だから当たり前かもしれませんが、嵯峨愁二郎が戦う理由以外、何もわからずでいきなりの殺し合いですからね。応援したくなる参加者が誰もいない(嵯峨愁二郎は人も斬れないのに参加してることに違和感)状態でバトルロイヤルだけを見せられる状況だったこともあり。
②人を斬る気がない主人公。
嵯峨愁二郎が「人斬り刻舟」という剣の達人ということが後にわかるのですが、その時点でまず、るろうに剣心の「人斬り抜刀斎」と被りました。ってことはこのまま剣も抜かずに柄で戦っていくのかな、と冷めた気持ちになったんですよね。侍ドラマなんだからバッサリいってくれよ、バッサリと――という残念感。
この二つの要因が、私が一旦、第一話で視聴を止めた理由でした。だけど、評価が異常に高いことを知りましたね。あれ、これもしかして第二話から面白くなるのかなって、なんとなく第二話を視聴したのですが――……
面白くなってきましたっ!!
嵯峨愁二郎だけの視点ではなく、蟲毒を運営する主催者側と大久保利通率いる新政府側の視点も入ってきて、日本の社会・制度の大転換である明治維新の臨場感がたまらなく心地いい。この時点で世界観が急激に強固になり、単なるデスゲームものから完全に脱却。ちょっと目が離せなくなってきたところで、今作の絶対悪である伊藤英明演じる貫地谷《かんじや》無骨《ぶこつ》VS玉木宏演じる菊臣《きくおみ》右京《うきょう》の一本勝負がっ!
明治維新の荒波に名誉も財産も持っていかれた菊臣右京の悲しきバックグラウンドが、その美貌も相まってもの悲しさを誘いましたね。めちゃくちゃ応援したくなりますっ。バトルの結果は敢えていいませんが、貫地谷無骨は第六話まで生き残ります(笑
面白くなってきた。うん、面白くなってきた。でも結局、嵯峨愁二郎は剣を抜かぬまま。私の最大の懸念事項はそこで、殺さずの剣客は剣心だけでいいんだけどなぁ、と観ていたのですが――。
「ふざけんな……お前達はそんなに偉いのか。無用となった武士になら何をしてもいいと思っているのかッ」
ん?
あれ?
嵯峨愁二郎の手の震えが止まり、次の瞬間。
バッサリ、いったああああああああああっ!!
嵯峨愁二郎、《《覚醒》》。
高速首ちょんぱからの無双で全、10人ほどの警察官を一気に斬り殺すこのシーンはすでに50回は観ているほど、お気に入りのシーンです。この嵯峨愁二郎の覚醒から、物語は中だるみすることなく貫地谷無骨との文字通り熱すぎるバトルまで突き進んでいきます。
『人斬り刻舟VS乱切り無骨』の斬り合いはおそらく後世に語り継がれるであろう、最高のシーンだと思います。私みたいに、もしかしたら第一話で脱落しそうな方もいらっしゃるかもしれませんが、ぜひぜひ最後まで観ていただきたい作品です。
いやぁ、やっぱり日本人には侍が似合いますね!!
ちなみに、ヒロイン役の藤崎ゆみあさんが、前髪ぱっつんなこともあって何度も若い頃の持田香織に見えたの私だけ??
