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「第十一 静夜踏破」第43話、今朝方更新いたしました!
皇太子の殿内に乗り込んだ皓月が見たものとは……?
「巫澂。そなたの願いを聞き入れるのならば、わたくしの願いも聞き入れてくれますね?」
(
https://kakuyomu.jp/works/16817330669250683815/episodes/16818023212469795871)
大分重要な秘密が明らかになった回でした。
次回は皓月、宮外に飛び出します。
浩の都 瑞耀の雰囲気を味わっていただければと思います!
◆ ◇ ◆
創作こぼれ話②
大体執筆が大詰めになってくると、
本の山が机の周りにいくつも形成されてまいります。
大体は、『楚辭』、なんだかんだ引いちゃう『詩經』、今作には少ないですが『論語』。
あと、今作は『史記』などから表現を借りたりなどしました。神怪や仙の類が登場してくる二巻ですと、『山海經』『列仙傳』などになってくるのですが……。
なかでも『楚辭』は、
「離騒」、「九歌」、「天問」などなど、今作の創作の発想の根っこにあるので、影響は大きかったりします。
特に、キーパーソンの1人である、巫官の澂を含む一連の巫の行う儀式のあれこれなどはそうです。
『楚辭』は、神々の祭祀や、呪術的な儀式などで用いられた文辞に由来するという説がございます。そうしたものから、はっきりとした文学としての意識をもつ作品へ消化させた。ということで、巫系文学とも云われます。
(※本来でしたら、誰の説かを明示すべきなのでしょうが、検索避けのため、敢えて載せません。気になる方はXなどから訊いてください。)
皓月が作中で書いている祝文は、
その中でも特に有名な「離騒」を少しイメージしています。「離騒」はこのように始まります。
帝 高陽の苗裔(びょうえい)、
朕(わ※)が皇考(こうこう)を伯庸と曰ふ。
攝提(せってい)孟陬(もうすう)に貞(ただ)しく、
惟れ庚寅(こういん) 吾以て降れり。
皇(ちち)覽(み)て余を初度に揆(はか)り、
肇(はじ)めて余に錫(たま)ふに嘉名を以てす。
余に名づけて正則と曰ひ、
余に字して靈均と曰ふ。
我が家は高陽帝のはるかな子孫であり、
我が亡父は、名を伯庸といった。
めでたくも私は寅年の正月、庚寅の日に生まれた。
父君は、私の生まれたときの条件を推し量って、
私によい名を与えてくださった。
私に名づけて正則といい、
私に字して靈均という。
※「朕」を帝王の自称としたのは秦の始皇帝であり、それ以前は、上下の別なく一般に用いました。
前半は儒教的な政治観が、後半は幻想的な神話の世界が展開される長篇の抒情的叙事詩となっております。
一方、斟の儀自体は「九歌」という作品群を少しイメージしながら書きました。
楚辭を巫系の文学としてみたときには、祭祀にあたり、巫覡らに上演された神舞歌劇ではないかと考えられています。
その首篇に「東皇太一」という作品があり、
吉日辰良(きちじつしんりょう)、
穆(つつし)みて将に上皇を愉しましめんとす。
長劔(ちょうけん)の玉珥(ぎょくじ)を撫すれば、
璆鏘(きゅうそう)として琳琅(りんろう)鳴る。
吉日に時もよろしく、
つつしんで上帝を楽しませ申し上げる。
長剣の玉の柄頭を撫で、拝礼を奉れば、
(腰に下げた)佩玉が鳴り響く。
皓月に剣舞を舞わせたのは、まぁ、この辺をイメージしていたからです。あとは単純な好み。
剣って、それだけでもいいんですけれど。ドラマがあります。
(ちなみに私は武侠ものも美味しくいただきます)
そこへ、明眸皓歯な美人の取り合わせ、最高じゃ無いですか?
わ た し は だ い す き で す。
……あ、思考があほな方に流れてきたので、
本日はこれにて。