●山科会長のうんちく
ようやく、ここまで来たという感じかしらね。
藤原定家によって編纂された『小倉百人一首』。実は1951年、昭和26年に国文学者である有吉保先生によってもう一つの定家編纂による百人一首……『百人秀歌』が発見されました。
この二冊は内容が酷似していますが、『百人秀歌』には後鳥羽院、順徳院の歌がなく、代わりに『小倉百人一首』にはない歌、三首が収められています。
よもすがら契りしことを忘れずば恋ひむ涙の色ぞゆかしき 一条院皇后宮<枕草子に出てくる中宮定子様です>
春日野の下もえわたる草の上につれなく見ゆる春のあは雪 権中納言国信<定家の親友である源顕兼、古事談の作者の四代前です>
紀の国の由良のみさきに拾ふてふたまさかにだに逢ひみてしがな 権中納言長方<父俊成の甥で、定家の従兄です>
まあ、政治的配慮による修正版ではないかという説がありますが、他にも色々と諸説があるそうです。