みなさん、こんばんは。
わら けんたろう です。
いかがお過ごしでしょうか?
今日もやって来ました。最近読んだ作品シリーズ第三回。
今回ご紹介する作品は、あの名作。
谷川流著『涼宮ハルヒの憂鬱』(角川スニーカー文庫、2003年)デス。
スニーカー大賞応募を目指す作者さまならご存知のように、第8回スニーカー大賞(2003年)大賞受賞作品ですね。
奥付を見ると、初版は2003年。今年の3月15日に第79版……。
ええええっ! ス、スゲェな。
20年経っても、いまだに売れ続けているということです。
じつのところ、ワタシ、ずいぶん前にネットカフェでコミカライズの方を読んだような読んでいないような記憶があります。
これまで、原作の方は読んだことありません(笑)
コミカライズの方は一巻を読んで、なんか、ついていけなくなりました。
当時のワタシ「なんで、こんな話が最近話題になってんだ?」とニワトリか鳩のように首を傾げたものです。
なんですが、ラノベ書き始めたクセに、この作品を読んだこともないというのは勉強不足の感が否めません。
というワケで、読んでみました。
が、
……冒頭(プロローグ)から、挫折しそうに(笑)
「サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話にもならないくらいのどうでもいいような話だが、それでも俺がいつまでサンタなどという想像上の赤服じーさんを信じていたかと言うとこれは確信を持って言えるが最初から信じてなどいなかった」(谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』(角川スニーカー文庫、2003年)5ページ)。
これだけ長い文章でも、内容はしっかり伝わってきます。
文章力ハンパねぇス。
そして、この一文は、物語全体の雰囲気というか「背景色」になる重要な書き出しになってます。
でも、現在好まれるラノベ作品の文体と比較すると、なんか時代を感じる?
Web小説に馴染んだ読者は、この書き出しでサヨナラしそう。
次の文章も、
「幼稚園のクリスマスイベントに現れたサンタは偽サンタだと理解していたし、記憶をたどると周囲にいた園児たちもあれが本物だとは思っていないような目つきでサンタのコスプレをした園長先生を眺めていたように思う」(同書5ページ)。
という具合ですしね。
物語全体としては……、そうですね、細田守監督作品とか新海誠監督作品のようなテイストです。
べつの表現をすれば、「日常のなかの非日常」というカンジでしょうか?
全体の構成は、おそらく三幕構成。
第一章・第二章で「第一幕」。
自己紹介時、ハルヒの名セリフが飛び出します。
第三章~第五章までが「第二幕」。
第四章で朝比奈さんが正体を明かすところが、ミッドポイントになっているのかな。
そして、第六章・第七章が「第三幕」。
クライマックスは、『白雪姫 ⋂ sleeping beauty』(笑)
で、読了して思ったんですが、この作品、劇場版の方が面白いんじゃないか?
12回のアニメとか20巻も続くコミカライズは、ちょっとダルくなるような気もします。
長門さんが正体を明かすまで、物語の核心が見えてこない展開。
そのシーンでさえ、「ああ、長門さんて電波少女だったのね」という感想デス(笑)
物語が大きく動くのが、第五章の後半過ぎたあたりですからね。
読者が一番驚くポイントであり、物語の核心を把握できるポイントです。
物語自体は、なかなかクセになりそうな面白さでした。
なるほどね。
原作の方は、空前のヒット作と言われるだけのことはあります。
うん、やっぱり読んでみるもんだ。
さすが、スニーカー大賞《大賞》受賞作品ですね。
勉強になりました。