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油布 浩明さんへ(連絡用)

こちらは『ジェントルシーカー』その他に関する、油布 浩明さんとの連絡用ページです。

30件のコメント

  •  いいとか悪いとか。モノサシが違うとよくわからないと思います。僕なりのモノサシで計ってもいいでしょうか?

     最初に各項目の評価を記載して、その後に全体の感想。それから思ったことを書きたいと思います。途中での反論も大歓迎です。そしてこれは一つの視点です。そこを踏まえた上で、思う通りのことを書こうと思います。プロを意識しているのなら、より厳しくなります。よろしいでしょうか。
  •  それでは、評価基準です。最大5点で評価します。3点がカクヨムの標準50パーセントラインとしますが、これは一般の同人誌なら部長レベルなのでかなり高いです。5点は公募上位常連レベル、同人誌なら神レベルです。カクヨム内での最高ランクです。その上に、今回は評価できないレベルであるプロのSSランクがあると思ってください。

     まずは着想、アイディアです。主人公おっさん高校生、余命一年、異世界探索。キャッチコピーはかなり目を引きました。そして実は主人公が作られた生命であったことにつながるのも秀逸です。4点以上だと思います。これは作り方によってはもっと伸びる可能性があります。

     次にキャラクターですが、主人公と明依だけが3.5点。この2人だけ一貫性があり作者の感情がのっています。
     主人公の行動には疑問が多いのですが、最後に作り物だとわかった時、痛々しさも含めて矛盾ではなくなってしまいました。予測していた効果じゃないと思いますけどね。モブキャラは設定人形レベルです。行動に矛盾があり、セリフも不自然です。合計して判断するとカクヨムレベル2点となります。

     ストーリーですが、これはプロットがいいんでしょうね。最後のオチに持ってくるまでが秀逸です。ただし後半バタバタしたのと、全体としてストーリーラインの流れが悪かった(場面展開がスムーズじゃない)ので、3.5点。

     アピールポイントにもなっているエンシュリオン、マテリアルについては、恐ろしく斬新とはいないものの組み合わせとしては面白いです。ただ、それを矛盾なくあるようには書けていません。亜人がいたり、ほとんど謎だったり、無茶苦茶危険だったり、サークルでピクニックみたいに行っちゃったり。マテリアルも魔術との関係とかがよくわからないし。これを成立させて読者に納得させるのにはレベル5以上の筆力が必要です。なので僕の評価は3点です。

     アピールポイントに触れたついでに主人公の生き様についてもコメントします。
     これについては極端な行動や本文でも指摘したカツアゲへの対応やエゴイストな行動とかが、ずっと引っかかっていました。作り物ということで、逆にすごく納得しちゃったんですが、共感というよりは哀れみを感じてしまいました。

     長くなったので、技術的な部分は後でまたコメントします。質問や反論など、よろしく。

     
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。
    返信が遅れて申し訳ありません。

    まず、率直なご意見感謝です。最初に打ち合わせたとおり、互いに実のある意見交換ができればいいと思います。評価に対して意見を述べる機会なんて、特にWeb小説周りでは希少ですからね。

    では、ひとつひとつ返信していきたいと思います。

    まずアイディアについて。
    作品の大まかな骨格が見えたときに、柱として据えたアイディアでした。主人公が作られた生命体であったことは、だいぶ後の方になって生まれた設定です。構想を練っていく内に設定同士が結びついて良いアイディアとなったのですが、もう少しこれを活かす描き方をしたかったですね。
    お褒め頂き、ありがとうございます。

    キャラクターについて。
    主人公の行動については、実は設定として『明依が創造主であるため、主人公は無意識のうちに彼女に絶対服従している』というのがありました。本来ならば、主人公の出生の秘密が明らかになった後に、明依に対する感情(同時に、主人公に対する明依の感情)に葛藤するシーンを入れ込む予定でしたが、断念しました。『父と娘』から『対等な男女』にシフトチェンジするための重要な部分だと認識してはいたのですが、さらっと乗り越えさせてしまったのは心残りです。
    モブキャラについては、今となって振り返ると人数を減らすべきだったと思います。一人一人にかける分量が減っただけでなく、役割や雰囲気が似通ってしまったように感じます。
    どうもキャラを動かすのは昔から不得手のようで、ひとりひとりについて何度も推敲する必要があるなと思いました。名前ありのキャラについては全て一貫性を持たせることが今後の(もしかしたら一生の)僕の課題です。

    ストーリーについて。
    プロットが良いと言って頂けてとても嬉しいです。
    実は数年前から『ストーリーメーカー(著:大塚英志)』という本のメソッドを使って作品を作っています。(『ラヴァ・ラ』もそうですね)
    おっしゃる通り、後半バタバタしたところは大きな反省点ですし、まだまだストーリーメーカーを自在に使いこなしているとは言い難いですので、精進が必要と感じています。
    商業化も目標ですが、自分が本当に納得のいく物語を作ることも生涯かけての大きな目標です。

    アピールポイントについて。
    エリュシオンに関する設定はだいぶ作り込んだのですが、それをどこまで明らかにするかは迷いました。で、浅ましくもエリュシオンの一番核となる設定は次回作(あるのなら)以降のために取っておこうと判断しました。そこまで明らかにしなくても物語は成立しそうだと考えたのです。
    おっしゃられた各ポイントを見ると、やはり読者のために明らかにすべき情報を見落としていたのだなと感じます。具体的には、亜人とか、マテリアルと魔術の関係とかですね。
    書き切ることができれば、今の倍くらいの分量になっていたかもしれません。

    油布さんのご指摘を受けて、全体的に作り込みが足りなかったと感じました。
    今回のご指摘分に関する返信は以上です。

    最後に、僕の方は感想が遅れがちで大変申し訳ありません……。
  •  それでは技術的な指摘をしたいと思います。

     これ、本当に心苦しいのですが、上の採点方法では2点です。文章のつながり、言葉選びが悪く、表現上の誤りも多い。セリフ文も変。正直、読むのに苦労しました。途中で土下座して感想をつけるのを断念しようと思ったくらいです。

     冒頭シーンなど、特殊なシーンが映像で浮かぶような書き方ができていない。だから状況がどうなっているかわからない。公務員の件、主人公の妻の件、ほんの一言語らせればいいのに、ぽっかりと穴があいたまま放置。魔術の設定などの説明もあまりない。理解させることができなくても感じさせることができればいいのですが、その描写ができていない。

     セリフについては、妙な文語表現が混じっていたりするのが気になりました。使っていけないことはないのですが、ただ、作者のリズムを整えるためだけに使っているような気がして不自然でした。

     下僕は……の文章は僕の評価では4点です。新地さんのような文学オタクが認めるラヴァ・ラは、おそらく4.5点はあるはずです。最上位に近い文章力と平均以下の文章力。同じ作者が描いた物とは思えないレベルの差があったので、僕は正直、戦慄しました。

     これ、本当に自分でわかってないんでしょうか。もしかしたら、僕の感覚がおかしいんでしょうか。

     これだけ差があるのは、小説と一体感を持って書くというメンタルを失ってしまう場合くらいだと思っていました。その経験なら僕にもあります。流れるように美しく書けていた文章が、突然、ヘタクソになってしまう現象です。
     もしそうなら、雲江斬太さんのエッセイにその経験談が書いてあります。

     推敲して、推敲して作り上げていくタイプなら、推敲した方がいいです。
     
     
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。
    まず、苦しい思いをさせてしまったことをお詫びします。申し訳ありません。このような状態で最後まで読んで頂き、ありがとうございます。

    ご指摘を拝見して、おそらくジャンルと舞台設定によって生じた違いかなと考えました。
    「少し軽めの雰囲気がいいかも」
    「このくらいは省略できるかな」
    そういう意識が働いたのだと思います。

    正直に言うと、僕は『ジェントルシーカー』の文章を特別おかしいとは思っていません。
    ただ、油布さんのご指摘で、まだ発展の余地があるのだなと思いました。

    自分でも意外なのですが、今回のご指摘を僕はとても肯定的に受け止めています。
    言い換えれば「違った雰囲気の文章も書ける」ということですから。
    今後は自分の、あるいは作品ごとのベストの文章を模索していきます。やる気出てきました。

    推敲については反省しています。はい、本当に大事です推敲……。
  •  もしかして、そうかもと思っていました。
     全く違うものを書いて、イチからですか……。そういう姿勢は尊敬します。
  •  前の補足。ハイファンタジーとは違って現代を舞台にしているから、そのための文章を模索しているってことですよね。ハイファンタジーではコップ一つの描写から説明しなければいけないけど、現代なら大胆にカットできるはずだ、とか。それはわかります。ある程度はそうだと思います。

     ソウイチさんはあまり他人とは比較しない方なのですね。僕は他人と比較するのは当然の欲求だという前提で考えています。その上で、人というものは自分に都合よく解釈するもの。それをいかに排して正確に解釈できるか。ずっとそのことを考えてきました。
     他人に惑わされないということは、凄いことです。ただし、プロになるとかを考えるのであれば、そういう分析も必要だと思います。点数化した評価はその一端です。

     色々と失礼なことを言って申し訳ありません。
     
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。

    僕も以前は他人の評価をとても気にしていました。
    一時は、「他人が厳しい感想を抱いたのは事実なのだから、その指摘はすべて正しいものとして受け入れ、作品に反映しなければならない」という気持ちでいたときもあります。
    最近は、評価に対してどういうスタンスでいるかは人それぞれでいいと思うようになりました。ただし、自己分析をしっかり行った上であれば、です。
    自分の中で揺るぎないものが見つけられるかどうか。あるいはそれを見つける過程そのものが小説を書くことなのかもしれませんね。

    書けば書くほど、まだまだ勉強が必要だと感じる今日この頃です。
  •  他人の評価を必ず取り入れるっていうのは違いますね。

     もちろん必ず意味はあります。
     そういう考えをしている人がいる。それを自分の考え方の参考にすることは常に必要です。重みはいろいろあるでしょう。単なる統計資料に過ぎない場合もあるし、鋭い指摘であることもある。でも、必ずなんらかの意味はある。

     でもそれって、あんまり理解されない考え方なんですよ。残念な話ですが、意見を取り上げるから柔軟、取り入れないから偏狭。そう考える人が多いのが現実です。
  •  キャラクターの書き方について。たぶん認識が違うようなので確認したいと思います。
     設定人形レベルと僕は書きました。
     一方で、キャラクターが勝手に動くんだよって自慢して語る人がよくいます。ソウイチさんはそれをどう思い、分析しますか?
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。

    評価について。
    意見を全て取り入れる。あるいはまったく取り入れない。
    実はどちらも楽なことだと僕は思います。判断の必要がないからです。
    評価や意見について、自分の意思で取捨選択や軽重の判断をすれば、その結論や結果については自分で責任を持たなければなりません。
    書き手からすると、責任を負うのは避けたいと思う人が多いのかも。
    読み手からすると、自分が下した評価を認めて欲しい。その通りだと言って欲しい。否定されたくない。
    意見を採り上げるから柔軟、取り入れないから偏狭という評価は、そうした書き手読み手の考え方が表れているのかもしれませんね。

    キャラクターの書き方について。
    先の返信で触れたとおり、僕はキャラを描くのが苦手です。
    より正確には、「キャラクターが良いね」と言ってもらえるような描き方が上手くできません。
    おそらく、僕はキャラに役割を与え、それに沿ってきっちりと動かすことを一番に考えているためだと自己分析しています。
    一方、「キャラクターが勝手に動く」ことについては、良い悪いは判断できないなあと思っています。
    「キャラが勝手に動く状態」って、たぶん、「キャラの行動や台詞がどんどん湧いてきて、さくさく物語が進む状態」のことですよね。
    そういうときって、2パターンあるんじゃないかと思うんです。
    ひとつは、「作者が持ってるキャラのパターンや情報が最速で組み上がったとき」。
    もうひとつは、「作者の頭の中で既存の設定・情報が化学変化を起こし、まったく新しいキャラ設定が生まれ続けているとき」。
    前者は自分の持ってるモノ以上を出すことができないはずなので、単に「速く書けている状態」。
    後者はキャラの可能性を凄く広げるけれど、物語に収めるのが大変そう。
    いわゆる「キャラが勝手に動いた結果、すごくイキイキしている」のは、後者のパターンかつ、物語に収めるのが上手くいった状態――なのかも。
    いずれのパターンでも、さくさく書けているのは共通しているので、そこは羨ましいです。

    キャラが苦手な僕が考察するのもおこがましいですが、今、パッと思い浮かんだのはこんな感じです。
  •  いきなり変な質問をして申し訳ありません。
     ソウイチさんのキャラが苦手という認識は、僕の想像と一致しています。実は僕は以前、同じことを自分の作品に感じていました。ストーリー重視の作者には、むしろ自然なことかもしれません。
     結果、僕の場合はそこに苦しんだ結果、書けなくなりました。二十年くらいほぼ断筆していたんですが、その理由はまさにソコです。

     その当時、食える作品を書くためにははキャラクターが生きていなけりゃダメだと思ったんですね。キャラが魅力的じゃないと読んでもらえない。当時から、小説はキャラクター重視の時代に向かっていました。
     現代はどうか。キャラクター重視ですが、それよりも雰囲気、設定重視であるためにハードルはかなり下がった気がします。ただし、ストーリー軽視は以前よりも遥かに進んでいます。

     僕はフォームを完全に変えようとしたんで、長期間、投げられなくなっちゃったわけです。また書けるようになったのは自分では奇跡のようなものです。今はストーリーを大切に進めながら、キャラクターを内側から書くようにしています。ストーリーもキャラクターも呼吸を間違えると死んでしまうので毎回、必死です。キャラクターのセリフを小手先でいじれないというのは、それが理由です。修正するには、内側からのアプローチが必要です。

     僕はキャラクターが勝手に動くと言っている人のほとんどはキャラ設定が滑っているか、ストーリーを考えずにキャラの動きを楽しんでいる人形遊びをしているように思えます。ですが、ほんの一握りですが、本物はいます。
     不思議なことに新地さんのように文学論で頭を固めた人には見えない世界のようです。文章表現の鬼みたいな人のキャラクターは大体が生きていません。ストーリーにこだわるばかりというのと同じ法則が当てはまるのかもしれません。

     ソウイチさんの現在のアプローチは正しいと思います。主要キャラクターに想いをのせ、他の人物は背景と割り切って正確に、矛盾のないように書く。そこを突き詰めるという選択の可能性に、当時の僕は気づけませんでした。
     
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。

    なるほど。油布さんにはそのような葛藤があったのですね。長いブランクから立ち直り、再び筆を執るのは並大抵のことではなかったと思います。凄いことです。

    油布さんが折に触れて「キャラが死ぬ」と表現されていたのは、キャラ毎の内側を大事にされていたからなのですね。
    息づかいというか、台詞や行動の一つ一つがキャラの中から溢れたものであるかどうかということを、細心の注意を込めて描いていらっしゃるのだと感じました。

  •  キャラクターの生命には三種類あると思うんです。
     生きている作者と一体になっている場合。人形に魂を吹き込む場合。そして既に生きている他の世界から連れてくる場合。
     僕は三番目を目指しています。だから僕のキャラクターに対する距離は自分自身でも親でも神でもないのです。強いて言うなら友人です。

     これ、作者の言動でどのタイプかはすぐにわかります。
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。

    となると、僕は二番目になるでしょうか。
    やはり、自分が納得できるまで極めていくことは重要だと最近、強く思います。
  •  現状は一番目を目指すべきだと思います。
     二番目は自分の生命力を分け与えるようなものなので、ソウイチさんと自分の生み出したキャラクターとの距離感では難しいでしょう。心を込めて込めて、込めて……そこに何かが生まれるのだと思います。これが完璧にできる人は非常に稀です。できる人も真摯に心を込めるという姿勢を失うと、すぐにその力を失います。ただの技量を突き詰めた先にある境地ではないのです。
     そういう例を最近も見ました。悲しいことです。

     そうでもなければ、僕も一度、筆を折ったりしません。
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。

    重みのある言葉ですね……。
    僕はキャラについて、まだ胸を張って「こうだ!」と言えるものがない状態です。高みを目指す姿勢は失いたくないですが、あやふやな部分がある以上、まだまだ精進は必要ですね。
  •  今、新地さんが復活しているのに気づきました。
     エッセイを見てみてください。思うところがあるはずです。
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。
    返信が遅れて申し訳ありません。

    僕も新地さん復活を確認しました。お元気なようでほっとしています。正直、僕のコメントのせいで離脱してしまったのかと不安だったもので……。

    そして、エッセイと合わせて近況ノートのやり取りも拝見しました。
    僕の方からコメントは控えたいと思いますが、ひとつだけ書くとすれば、キャラクターやストーリーなど、作品の要素要素について、お二人の意見をもっと拝見したかったなということです。
  •  結局また、コメントしてます。
  • 意見交換ができるのは貴重なことですよ。
  •  そうだ。気になっていたことを思い出しました。
     土下座の効用について。
     土下座ってすごいことのようですが、それはどうしてかって言うと、屈辱的だからです。嫌な相手に無理矢理土下座させられる。これは、キレそうな忍耐を表現するシーンになります。本当に済まないと思って、恥を忍んで土下座する。これも感情表現として強いものがあります。
     つまり、本当はしたくないけど土下座する。正にしろ負にしろ、葛藤が感情を示すんです。

     土下座すること自体をなんとも思っていないと、それはパフォーマンスとしての土下座になります。相手をビビらせる手段ですね。心がこもっていなければ、芸人の芸と同じです。僕もやったことがあります。
     これは精神的には相手を騙す行為であり、駆け引きです。大切な相手にすることではありません。

     最後に、自分の謝意を表現するゴメンナサイの最上級としての土下座がありますが、これはこれで小説として使うのは難しい表現です。
     おそらく、主人公の土下座はこれでしょう。でもこれって、もののわかった大人は使わないんですよ。逆に言えば、こういう表現をすると子供っぽい人間に見えちゃいます。
     それは、土下座による効果を計算できるのが大人だから。相手に衝撃を与えるとわかっていてやるとパフォーマンスになっちゃうから。わからない。すなわち精神的に幼いとなるわけです。
     主人公は作り物であることが明かされるので、それでも不思議はありません。ただ、大人の魅力を感じさせながら引っ張るのであれば、相当の工夫が必要だと思います。
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。
    また、返信が遅れまして大変申し訳ありません。

    さて、土下座についてですが、油布さんのご指摘を元に改めて整理してみました。

    油布さんのご指摘は、

    【土下座の効用】
    「済まない、申し訳ないという気持ち>恥、屈辱」を示すことで伝えたい気持ちを強化する。

    【パフォーマンスとしての土下座】
    上記効用を一種のテクニックとして使う。実際の感情よりも誇張して見せる。土下座の持つイメージを逆手に取る。

    【大人であれば謝罪に土下座は使わない】
    なぜなら「パフォーマンス=保身になるとわかるから」、そして「パフォーマンスにならないと考えているのなら、それは大人ではなく精神的に子どもと言えるから」。

    ――であると理解しました。
    あわせて『ジェントルシーカー』の当該シーンを執筆したときを思い出し、自分がどういう理由で土下座をさせたかを考えて見ました。

    結果、どうやら油布さんと僕との間で『土下座』に対するイメージが違ったのだと考えました。比重を置いたポイントが異なる、という感じでしょうか。
    油布さんは、(特に現代社会における)パフォーマンスとしての土下座の問題点を重視したように思います。
    対して僕は、土下座本来の意味(深い謝罪や請願の意)を強く意識しました。正直に言うと、パフォーマンスという発想はまったくなかったです。土下座に悪いイメージを持っていないということも大きいと思います。

    確かに、土下座はパフォーマンスで嘘っぽく見えるかもしれない、と主人公が思ってもおかしくない場面ですね。
    上記の僕のスタンスから、このシーンで土下座をさせたこと自体は今でも後悔していませんが、果たして土下座の意味を正しく表現できる状況が整っていたかと言われると、疑問は残るかも知れないと思いました。

    個人的には、土下座がただのテクニックではなく、本来の意味で広まればいいなと思います。素朴に。『極度に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表す』(Wikipedia)なんて、そうそう乱発できないはずですし……。日本限定にはなってしまいますが。
  •  ソウイチさんの返信を読んで、僕の方も訂正しなければいけないと思いました。
     謝罪の最上級としての土下座をする=子供っぽい、ではないですね。そういう例も多いと思いますが、もちろんそうでない場合もあります。

     ただし、使いどころが難しいということです。
     まず、土下座が素直にできる特殊な(あるいは優れた)精神性を読者に納得させるのが難しい。それを使う以上、それはキャラクターの性格に強く反映される。例えば無神経な言葉を吐いたりすると違和感につながる。そういうことでしょうか。
     特に冒頭に近いシーンでは、特別な行動はキャラ設定に決定的な影響を与えるということです。
  •  明けましておめでとうございます。
     今年もよろしくお願いします。コメントはいつも通り向こうでします。
  • 油布 浩明さん、あけましておめでとうございます。
    こちらこそ、よろしくお願いします。
  •  突然なんですが、『俺オレサーガ』を公募に出そうと思い立ちました。

     非公開にしないといけないそうなので、1月10日には公開を停止します。せっかく感想を書いていただいているのにごめんなさい。
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。

    なるほど、公募ですか。
    1月10日ですと、ノベル大賞でしょうか。
    こちらも良い結果になることを祈っています。
    僕の方は気にしないで下さい。むしろ、遅々として感想を進められなかった僕の方がお詫びしなければなりません。ご迷惑をおかけしました。
  •  ご理解いただいてありがとうございます。感想については、とてもありがたかったです。修正点も多々ありましたし。お詫びなんてとんでもありません。お申し出に感謝して、ここで区切りとしていただければと思います。

     『鬼狩り神三郎』の話ですが、かなり苦しんだのでいつもより長くかかった感じです。最後の追い込みがなければ半年以上はかかっていたでしょう。
     他の作品はだいたい長編一本分で3ヶ月くらいの時が多かったと思います。ただし、しっかりとイメージができた場合です。150枚くらい書いてから頓挫したことも何度かありますから。あれはしんどいです。自分のせいですけど、作品に申し訳がない思いです。
     これからもよろしくお願いいたします。
  • 油布 浩明さん、コメントありがとうございます。
    『俺オレサーガ』の感想については了解しました。こちらこそ、色々と勉強させていただきました。ありがとうございます。

    カクヨムコン用の作品について。なるほど、そのくらいの期間をかけられたのですね。
    「かなり苦しんで書いた」こと、僕も覚えがありますので、そのキツさはよくわかります。そんな中で期限内に完結まで持っていったのは凄いです。
    こちらの質問に答えていただき、ありがとうございました。

    これからもお互い頑張りましょう!
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