• に登録
  • 現代ファンタジー

とことん読者に優しくない小説 第2話終了。

 人間は、自分が罰することのできないものは許すことができず、明らかに許すことが出来ないものには罰することはできない。これは、人間自称の領域におけるきわめて重要な構造的要素である。これは、カント以来「根源悪」と呼ばれている罪のまぎれもない印である。私たちは、公的な舞台でこのような「根源悪」のめったにない噴出を目撃しているのに、この「根源悪」の性格は、その私たちにさえよく判っていない。私たちにわかっていることは、ただ、このような罪は、罰することも許すこともできず、したがってそれは、人間自称の領域と人間の潜在的な力が共に根本から破壊されてしまうということだけである。

              ハンナ・アレント『人間の条件』より抜粋

 
 『偶像の暁』2話の投稿を終えました。第1話『欺瞞』が『現に存在する”差異”とどう向き合うか?』をテーマにしており『異世界転生チート系小説』に対するアンチテーゼとなっていましたが、第2話『贖罪』は『不可逆性と、どう向き合うか?』をテーマにしており、『やり直しが効く』『記憶そのままに、新しい人生をスタートできる』という都合のいい妄想小説に対するアンチテーゼとなっております。つまり、とことん読者に優しくない。
 上に抜粋した文章は、政治哲学者ハンナ・アレントの政治思想書『人間の条件』の5章『活動』の中の『不可逆性と許しの力』という項目の一部なのですが、第2話は、まさにこの『不可逆性』と『許し』を軸にしています。
 私がこの小説を書いたのは、一年以上前で、それから『人間の条件』を読んだものですから、この思想をベースにして書いたわけではないのですが。ただの偶然です。
 私は色々な本から、着想を得て物語を書いていますが、2話に関していえば哲学者、中島義道さんの著書『反《絆》論』(ちくま新書)にインスピレーションを受けていたと思います。カントの『根本悪』(根源悪)について書かれている箇所です。
 第2話の主役、美月が、両親の性格の相違により不安定な存在になるという設定は、作中にも書かれているラシーヌの『フェードル』、政治哲学者のマックス・ヴェーバー、また作中に書かなかったものの、ドイツの文豪トーマス・マンや、彼の書いた小説の主人公を参照にしています。


 なにやら、今はアイドルの結婚発表で、ネットが賛否両論になっているそうで、芸能人に興味のない私は対岸の火事なのですが、奇しくも『アイドルの恋愛模様』についても描いている『偶像の暁』が、タイムリーなものとなってしまいました。
 『偶像の暁』におけるアイドルたちは『スター』や『女の子の夢』のようなプラスな描き方をしておらず、どちらかというと『マス・メディアによって祭り上げられる偶像』『自分を商品にする商売人』というマイナスな描き方にしています。彼女たちは『正統な価値評価』されない『不純』の象徴なのです。

 そんな彼女たちも、第3話にて、アイドルとしての矜持を見せ付ける予定です。

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する