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はむえん (書き下ろし)

ハム園を知っているだろうか?
日本人ならハム園を知っている者は多いと思う。(わかった人は退場w)

第一次大戦でドイツ人捕虜多数を日本に抑留した時、彼らドイツ人達は多くの欧州文化を日本に紹介してくれた。
その一つがハム・ソーセイジの正統製法だ。
すんげーうまいので、その製法はすこしづつでも速やかに日本国内に拡散していった。
各地に小規模の製造工場た建ち始めた。
価格は安くなかった。でも工場主は特にぼったくってはいなかった。原材料、製造法などにより製造原価が掛かってしまうのだ。
一般人には、月に一度の贅沢品、くらいの位置づけになっていた。

で、第二次大戦時、「肉なんぞ贅沢品だ!!」と、ハム・ソーセージをめったに買うことができない地元民達のひがみ・ねたみと八つ当たりの対象として、ハムソーセージ工場が焼き討ちにあった。で、その事件がニュースになって国内各地で同様の事件がおこりまくった。

終戦後、随分たってから、その工場主も家族も殺害されてしまい持ち主のいなくなった場所は役所が管理することに成る。事件を調べようとする者、それを言い出す者もいなかったし。ほぼ全員が加害者のようなものだから仕方ないね!

でも、その場所の近隣の住人たちは怖がった。なんか祟でもあるんじゃね?とか。自分たちがやつあたりで一家惨殺したし罪も問われずにいることが、そう思った理由かも知れない。
で、
その場所に花が植えられ、花が咲く木が植えられ、サクラが植えられ、ベンチが置かれ、・・・・人々が散策するような場所になった。
いつしか、ある場所で、その入り口に看板?が建てられていた。筆で木の板に書いたそまつなものだったが。
一度失敗したらしく、そこは縦二重線が引かれ、その横にはハム園。
失敗した部分はハムソーセージと書こうとしたのだろう、ソーセージのジの部分が書けずに板の下に来てしまっていたので、略してハムだけのものにしたのだとわかる。

そこはハム園と呼ばれるようになり、その話は次第に各地の元ハムソーセージ工場跡地の住民達にも届いた様子で、その跡地にはぽつりぽつりと、だれが書いたか、「ハム園」と立て札や看板が建てられた。

いつしかそまつな看板が朽ち果てる頃、新しい看板を立てる者もではじめ、その者達は次の世代だったので、事件を知らない。なので縦書きのハム園を勘違いしていた。
地元民達もその場所をハム園とはあまり呼ばなかったから。自分達の虐殺の事実を言葉にするのもいやだったのだ。ハムやソーセージなどの話はしないし、地元の店にも並ばない。地元では無かったことになっているし、跡地は「鎮魂」のために花を植えたりしているだけなのだ。

次世代は「公園」と、しっかりした、綺麗で立派な看板を設置した。

犯人達第一世代はそれをみて、救われた気がした。心底。
犯罪の証拠であるハム園が無くなったのだ。誰も「ハム園」とは呼ばなくなるのだ。

まだ生き残っている犯人達は多い。大半はボケてるが、まだ罪を覚えている者達もいるのだ。でも反省していない。
なので
各地の公園は
ハム園
と読んでやろう!!










うっそぴょ〜〜〜ん!♪



まぁ、最初からバレてたよねw

コメント

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