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近況のーととか

短編か?w
いや、他サイトでは短編の中にいれてたりもするw

逆に昔の時事ブログでUPしていたりもw


日本人に無い、特に今の日本人に無いのは
「こういう考えをしてもいいんだよ。」
という例。

ただ、日本人はすぐ人に押し付ける。0か1しかない思考。
それじゃ全く駄目、ねこでさえそんなん無い。

ひと、なんだから、それぞれの考え持っていていい。

そこがしっかりわかり、どこまではそれが通用するのか?がしっかり構築できるか。

多宗教の者達が混在し、悪意を持たない社会に、そこの社会に混じって、
しかも、それぞれの宗教の元の国にも滞在したことが在り、更に、そいつらが日本にいたとき=他の宗教に非寛容的(=理解しようとしない)な地域にいたときの事も一次情報として知り(当時知り合いが何人も居た)、そういう情報を比較しいろいろ勘案した結果、

他の文化を持つ社会に余計な口出しする奴らは皆、その存在を消さねば問題を引き起こすだけ。
ということはわかる。

どこまで干渉していいのか?
を考えた時、
世界で最大の多民族を抱える国が、長くうまくやってきていることを知った。
ロシアだ。
ロシア人は基本「鑑賞するのは面倒くさいので嫌」。権力とか面倒くさいのは嫌。権力志向、金儲け志向は例外になるような民族のようだ。
なので、あれだけの自治国が一緒になっても問題なやっている。外部からの意図的な悪意に基づく侵略的干渉がなければ。
大衆は簡単に思い込まされて利用されるから。

個人でもそうだろ?
個の存在が当たり前の社会と、個の素材を許さない社会。
もちろん社会は人間の個人の集合体。
同じような思考・志向の集合が社会のルールや暗黙の行動の下地になっている。
いじめを見ないふりするとか、な。気づかないふりをする、とかな。


なので、

ここでもたまに。
作品や、
他のサイトのみの作品などでも、
根っこは
自分以外の個を尊重した者達による社会
つまり、
徹底的に糞どもを排除すりゃ、ここまで気軽になることはさほど難しくない
というような感じになっている。

特に若い子達が楽しんで読んでくれたら、心のどこかにそれが引っかかっていて、大きくなったら海外に出てみて、その時に「自由ってこれなんだ」と築くためわずかでも寄与できればいいな。
と願って書いている。

これらの物語を書き始めた大本はそれ。

あとは、メイン作品は全ておバカ物語なので、社畜の被害者たちが、僅かな休憩時間にでも一瞬でもその最悪環境を忘れて笑ってくれたらいいかな、とも願って書いている。

自分はともかくも、他の人たちが無邪気に笑っている姿は一番良い。

無邪気に笑えるひとであってほしい。

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