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ぼんやりと思うこと。



 今年の大河ドラマは、紫式部が主人公。
 私と私の友人、平安時代が好きなので(といっても私は末期から鎌倉初期、友人は平安中期)、毎週その話をしてる。

 紫式部といえば、「源氏物語」。誰もが知る、日本の古典文学。時代を超えた、大ベストセラー作品。
 清少納言も大河ドラマに出てきていて(史実では、接点はなかった説が強いらしい)、こちらも「枕草子」を書いた大作家。

 作者本人に関する記録が少ないので、創作する余地が多分にある両人。いろんな味付けがされていて、見ごたえある。

 今回のドラマを見てきて、思ったのは、彼女たちが書いたものが、千年後も「現代語訳」され、教科書に載り、知識として記憶されていること。それは、とても尊いことなのだと気づけた。

 印刷技術がなかった時代、全部写本だもの。
 相当の熱量がないとできない。
 筆で手書き、誤字脱字も時々あっただろうし(写本でも「完全に近い形」と注意書きされたり、やはり完コピできていない以上、表記のブレがある)。
 それでも「この物語を手元に置いておきたい」「あの人に布教したい」「読みたいと言われたので書き写している」といった理由で、その当時の人々が手塩にかけて書き写した本が、現代まで受け継がれてきた。(藤原定家自筆本源氏物語は、戦国武将にとっては「めちゃくちゃ貴重な美術品」扱いだったとも聞くし。)

 言葉は移り変わり、現代になっても、いろんな作家さんが書いた「現代語訳」が出版されて、当時の文化や風俗を知るために解説本も出る。

 この熱量の高さ。
 千年前の書物が持つ、この魅力はなんなんだろう。


 千年前の出来事は、現代人にはファンタジーに近い。エッセイのはずの「枕草子」の「香炉峰の雪」のエピソードは幻想的すぎるくらいに。
 でも、あの時代の宮中仕えの女房には、リアルだったわけで。
 そう思うと不思議よね。異世界のような世界観なのに、軸は自分が生きている世界。だから古典は面白い(漢文は嫌いだったけど)。


 その一方で、現代の作品が千年後、どう扱われているかはわからないな、と思う。
 千年後も、訳してまで読んでくれる作品はどれだけ残るのか。
 現代は消費の時代って言っちゃ、それまでなんだけど。
 今から千年後には、「源氏物語」「枕草子」も廃れているんだろうか。
 とか、ぼんやり思った。

 ちなみに私は、「源氏物語」より「平家物語」が好き。(※今までの話をガン無視)
 だってさ、書物として受け継がれていく一方、また別に、琵琶法師が口伝で「平家物語」を繋いでいったって流れ、めちゃくちゃ興味惹かれる。それだけの魅力があるって証。いいよねぇ。


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