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外伝 才能限界クソザコナメクジ一般現地冒険者の憂鬱⑧


 荒谷迅路は己の生涯を思う。”そもそも生まれたことが間違いだった”と。
 前世からの筋金入りの酒カスであり、二度目の生でも同じ轍を踏み……運命に出会った。
 心が震えるほど良い女に出会い、泥沼の底から抜け出した。良い女だった、そうとしか言えないくらいに良い女だった。
 キッパリと酒を断ち、己を磨き、女が呆れて根負けするまでアプローチをかけた果てに結ばれた時は前世含め人生最良の瞬間だったと断言できる。

 そしてその幸せはある日唐突に崩れ去る――この世界が《文明崩壊ダンジョンサバイバー》、いつか必ず滅び去る砂上の楼閣と気付いたその日に。
 
 不幸中の幸いは滅びに立ち向かうのが迅路一人だけでは無かったことだろう。
 《サバイバーズ・ギルド》の同胞。そして幼馴染のお銀をはじめとする肩を並べともに理不尽と戦う仲間達。
 彼らのお陰で苦しくとも辛くともけして最悪ではなかった。なにより妻と娘を守るためなら命を懸けても惜しくはなかった。
 無論トラブルもあった。妻に泣かれたことは今も迅路のトラウマだ。
 はたから見れば夫がカルトじみた怪しげな新興企業にハマったように見えたのだろう。
 金だけは財布から溢れるほどに入れていたが、日に日にすり減っていく迅路の姿に妻となった女は何度も心配し、叱りつけ、時に泣いた。
 お銀には妻の誤解を解いてもらうために随分と骨を折ってもらったものだ。
 そんなトラブルを重ねながらも数年が経ち、レベルを上げていった迅路だがけして順調ではなかった。
 家族を守る”力”が足りない。
 焦がれるほどに”力”を求め、剣城に師事し、命を砥石に死力を磨いた。だが何故か成長の伸びが悪い。剣城はその原因を恐らく適性の問題だと答えた。
 真っ当に腕を磨き、地力をつける。お前にそんなやり方は向いていないのだと。
 ならばどうすれば……そんな苛立ちを滲ませながらも他に道もなく非効率な努力を続けた迅路に二度目の、そして正反対の転機が訪れる。

 九州大迷災。総人口約1000万人を擁する九州全域が《迷宮領域》に落ち、住民の多くが犠牲となった。その犠牲者の中に迅路の妻子の名もあった。

 何よりも救いがないのは迅路がこの災害を生き残ってしまったことだ。それも最悪に最悪を重ねたにも程がある形で。
 迷災に巻き込まれた当初、迅路は仲間と肩を並べながら家族を守ってモンスターと戦い……友を失い、同胞を失いながらも九州脱出まであと一歩というところまで逃れ――妻と子を喪った。

 迅路は絶望した。仲間からの呼びかけにも気付かない程に。

 妻を失い、娘を失い、生きる希望を失い、周囲にはモンスターしかいない。
 絶望の底で人生最後と浴びるように飲んだ自棄酒をキッカケに迅路は魔王の加護を授かった。”授かってしまった”。
 彼自身が気付いていないだけで条件は揃っていた。
 魂魄に刻まれたアルコール依存者が酒を断ち続けた苦行。
 周囲全てを敵に囲まれた危機的状況。
 そして――愛する者を失った絶望。
 全てがかの暴虐と酩酊の魔王が求める資質に一致した。
 迅路は焦がれるほどに求めた”力”を手に入れた――”力”を求めた理由を全て失った後で。皮肉と言うならこれ以上皮肉な状況はあるまい。

(俺が……俺がクズのままだったらあいつらを救えたんじゃないか?)

 モンスターが互いに殺し合い、血肉の海と化した大地にただ一人生き残ってしまった迅路は以来そんな非論理的な考えに憑りつかれてしまった。
 同時に別の考えがそれを否定する。彼の妻は自他共に認める人間のクズに射止められるほど安くないと。
 要するに荒谷迅路とその家族が幸福に生きる運命は”最初から存在しなかったのだ”。
 酒に溺れながらも女のために更生した一人の男が、再び酒に溺れたのも無理はなかった。彼にはもう守るべき”モノ”は何一つ残っていたのだ。
 残ったのは周囲に殺戮を撒き散らすだけが能の爆弾じみた”力”だけ。だがその”力”を振るう理由も、振るってよいと思える正しさももう迅路は持っていなかった。

(……そんなクズをよくまあ拾ったもんだよ。物好きめ)

 フ……、と。気のせいかと思う程に微かに笑う迅路。
 いつものように飲んだくれて路上で寝ていた迅路を見つけたパッチは愚痴りながらも介抱し、説教し、ツッコミを入れた。そこから彼らの縁は始まった。
 パッチは迅路の生涯を知らない。酒カスとしての迅路しか知らない。だから迅路に対して遠慮も容赦もない。正すべきと思ったから口に出し、たまに手も出す。ツッコミで。
 なにより故郷を守るという志を持ち、実行に移した。
 人生の針路を見失っていた迅路からすれば眩いほどにパッチは正道を歩いていた。
 ”力”の振るう理由はなくしても、無差別に振るうほど腐っていなかった迅路にとってその眩さは光だった。荒谷迅路は間違えた、だけどきっとパッチは間違えないだろう。
 根拠などない、危うくも強固な信頼が迅路を《東北ダンジョンライバーズ》に繋ぎとめた。己の”力”をここに預けると決めた。
 ……だが、その居場所そのものがなくなってしまうかもしれない。

(《東北ダンジョンライバーズ》の解散、か。……ま、しゃーねーわな)

 Bar《ブルーローズ》で耳にしたパッチの悩みを思い出す。
 そして今回遭遇した命の危機がパッチの決断を後押ししても驚かない。
 少なくとも荒谷迅路は必ず守るなんて口が裂けても言えやしないのだから。

 ◆

「――――ダンジョン攻略から一線を退こうと思います」

 そして案の定というべきか。
 《小鬼の巣窟》を血肉の赤で染め上げて帰還した迅路を迎え、《ブルーローズ》の個室でささやかな打ち上げを行ったあと。
 神妙な顔で「大切な話がある」と切り出したパッチはそう二人へ伝えた。

「……そうか」
「そんな……パッチさん……」

 迅路は酒杯を傾けながらも視線を下げ、ユウキはもっと分かりやすく眦から零れ落ちそうなほど涙をためていた。

「引き留めるな、ユウキ。俺らに口出しする権利はねぇ」
「……はい」

 命を懸ける冒険者の進退に部外者は口を挟めない。否、挟んではいけない。そうと自重したからこその言葉だった。
 だからと言って何も思わないはずがない。二人の口は自然と重くなった。

「……別れ酒だ。確か成人してたろ、今日ばかりは付き合え」
「わ、私もください!」
「未成年はジュースで我慢しな。大人の特権だ」

 普段は絶対に酒を手放さない迅路が透明なストレートグラスにウィスキーを注ぐとパッチの前に押しやる。
 琥珀色の液体を一足先に口に含み、味わうように、惜しむようにゆっくりと舌の上で転がした。
 が、グラスを受け取ったパッチはなぜか困惑したようだった。

「お、おう……そこまで惜しんでもらえて嬉しいです。まあ《東北ダンジョンライバーズ》から離脱するわけじゃないんですけどね」
「「え?」」
「『え?』……って、え?」

 困惑の空気が場に下りる。
 三人がお互いの顔を見遣り、漂う空気感の違いに何か理解の溝が出来ていることを察した。

「……ちょっと待て。パッチ、説明しろ。最初から最後まで全部だ」
「だからダンジョン攻略から一線を退いて……”これからはダンジョン外で二人のバックアップに回ろうかなと”。ほら、丁度大和君のところのみそPみたいな」

 《東北ダンジョンライバーズ》の元ネタでもある《文明崩壊ダンジョンライバーズ》で、チャンネル主の大和を助ける万能サポーターの名を上げるパッチ。
 そうと説明されれば二人にも理解できる。要するにLv.の頭打ち問題で最前線を引くが、戦力ではなく別の形で貢献しようという、言われてみれば当たり前の選択だった。

「紛らわしいんだよデコッパチィ!? らしくもなくシリアス決めちまったじゃねえか酒返せ!!」

 だが神妙な顔をしたパッチの雰囲気に二人して完全に誤解してしまったという訳だ。
 キレた迅路は目の前の空になった木製の小皿をパッチの顔目掛けてぶん投げる。額に当たった小皿はカン! と軽く高い音を響かせた。パッチは額に手を当てて涙目になった。

「痛ッ、小皿を投げるな!? お銀さんに言いつけんぞ酒カス!」
「やってみろ! 今回ばかりはあいつも俺に付くわ!」
(多分両成敗になるんじゃないかなぁ)

 と、醜く罵り合う二人を見てユウキは思った。

「でも二人とも楽しそう♪」

 周りを忘れていつも通りの空気で喧嘩をする二人を頬杖を突いたユウキは嬉しそうに眺めていた。

 ◆

 それからしばしの休息期間を経た《東北ダンジョンライバーズ》は再始動する。新たなメンバーを加え、新たなフォーメンションを組み、新しい形で。
 一行のリーダー、パッチが前線を引いたことは一時惜しまれたがすぐにその声も消えた。
 パッチに冒険者の才能はない。だがどうやら”それ以外の才能”は有り余るほどにあったらしい。
 資金管理と物資の手配。依頼《クエスト》の処理、依頼人との交渉、攻略ダンジョンの下調べ及びメンバーのスケジュール調整等のダンジョン攻略以外の業務全般に加え。ダンジョン攻略時はオペレーターも務め、あらゆる攻略でパーティメンバーを一人たりとも死なせなかった。
 これはそんな無才の怪物に率いられ、やがては東北有数の有力パーティとして成長する《東北ダンジョンライバーズ》がまだ小さかった頃のお話である。

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