三回目です(挨拶)
「こいつは日頃こんな感じでキャラや話を作っているのだ」みたいな読み物としてお楽しみいただければ勿怪の幸い。
【ドルセン・ブリッグス、ヨハン・ブリッグス親子】
・作劇上の役割は、主人公に「お前はクビだ」と宣告する追放系ラノベでよくある係と、主人公側に立つフォロー係。
要するに、ドルセンは物語進行上のフラグ。
一方、シドが性格上ドルセンに対してあんまり反駁したりしなさそうなのを踏まえ、後々の展開を踏まえてドルセンの印象が『過剰に悪くなりすぎないように』、主人公側に立って抗弁する立場の存在として投入したのがヨハンです。これは、シドを取り巻く状況の説明を促す役でもありますね。
ふたりを「親子」という近しい立場に置いたのも、作劇として一方的にドルセンを悪役として使うつもりがなく、後でクビの理由も含めひっくり返す心積もりがあったから。
――と、書くと計算ずくでこうした構図を作ったように見えますが、実のところヨハンを出すことを思いついたのは二話目を書き終わって三話目を書き始めようかというところだった気がします。大変いきあたりばったりです。
・もともとこの辺り、「ギルド長(=ドルセン)」「優しい宿の女将さん(=ミレイナ)」「懐いてくれる宿の看板娘(=ターニャ)」でふわっと必要なキャラのポジションだけ決まっていたのですが。
実際に書いてみた段で、ドルセンのフォロー役がほしいなぁというだけの理由でヨハンを登場させた結果、
「同じ年に生まれた一人息子(ヨハン)が、今年結婚するってくれえの年月だ」
――という台詞が飛び出し、ここでヨハンとターニャが結婚を控えているという設定が急遽爆誕。
これをもって、現在のターニャの設定が固まりました。
キャラクターの造形や描写の方針も、この時点で固まりました。
後半の展開もざっくり追加・変更になりました。本当に。
書いてるうちに設定が増設されるの、私はよくあります。皆さんもありますよね?
あるって言って。
言え。
・ドルセンに関しても、書き始めた段では「お前はクビだ」と言うことと後のフォロー(真の理由の開陳)以外は外観のイメージくらいしかなかったのですが。
ヨハンの登場に伴い、「息子の説得で意見を変えるなんて絶対にしなさそうな、昔気質の頑固親父」というディテールが固まりました。もともと「実はいいひと」くらいにしたかったのですが、「頑固者のおやっさん」って感じに解像度が上がった感じで落ち着きました。
書き出してから玉突き式にいろんな設定が増えていってますが、私はこういうことちょいちょいあります。
皆さんも(略
・ドルセンに関して。
「主人公にクビを言い渡す役」「実はクビを言い渡した理由は、当初語っていたとおりのものではなく……」というエモエピソードの骨子に基づき構成したキャラで、これといった遊びの部分はありません。
ヨハンの登場に伴いバックボーンが増強された部分はありますし、細々した詳細の部分は書く段になって固めたところが多くありますが、基本的にドルセンまわりの描写は既定の路線に則ったものです。
ただ、後から生えた「昔気質の頑固親父」設定のせいで、総体として昭和人情不器用親父、みたいな感じで落ち着いた気がしてます。
・設定上、ヨハンは母親似です。一応親子と分かるくらいに似てるところはあるんでしょうが。
その母親が影も形も出てこないのは作劇上の都合(出したところで、キャラが増えて進行を遅滞させるノイズにしかならない)だったのですが、あまりに存在感がなさすぎるので死別したことにしてしまいました。
なんか、こう、ドルセンは作劇上も、ミレイナと対照でセットみたいな扱いでしたし、まあ…。
・ヨハンに関して。
ポップアップに伴い周囲のキャラへもたらした影響が甚大な彼ですが、当人は設定も描写もメイン級のキャラと比べてまったく気を遣うところがなく、
・父親であるドルセンとの対比として「爽やかな青年」
・クビを言い渡す父親の対比として「主人公を慕ってくれる青年(=昔から慕ってくれてた子供)」
と、決め打ちで設定してしまいました。
名前もぱっと思いついたのをそのまま充てており、一人称に至っては、ここまでのキャラが「俺」系統ばかりだったからと、同時に喋った時の重複回避のために当初「おれ」だったのを「僕」に変更したという適当ぶりです。書く際も完全に手癖で書いてました。
総じて、すごく書きやすくて便利な子でした。もともとターニャ一人の想定だった「懐いてくれる子供」がふたりに増えたおかげで、周辺が賑やかにもなりましたし。
かわいいお嫁さんと、いつまでもお幸せに。