SS「狂犬アーロン」本編第五話・裏
探索者ギルドの程近くに店を構える、某酒場のマスターは、ちらりと一人の客の様子を窺った。
彼の視線の先では、男が一人で酒を飲んでいる。まだ若い男で、羽振りは良くないのか、飲んでいるのは安酒で、つまみのソーセージもチマチマと勿体なさそうに噛っていた。
典型的な金無し探索者。落ちこぼれの有象無象、その一人にしか見えない。
しかし、店主は僅かに緊張していた。
(あれが狂犬アーロンか……)
すでに噂は出回っている。『初級剣士』で「限界印」が出たとんでもない才無しであるという噂だが、狂犬のように沸点が低く、ケンカっ早いという。他の酒場で派手な乱闘騒ぎを起こした挙げ句、出禁となったことで注意喚起の情報が酒場の店主たちに出回っていたのだ。
(どうか、ここでは騒ぎを起こしてくれるなよ……)
――などと、心配していたのも数週間前。
初めてこの店にやって来てからこれまで、件の狂犬は大人しいものだった。
(何だ……悪酔いもしねぇし、だいたい一人で飲んでるし、大人しい奴じゃねぇか)
狂犬だなんて噂は、きっと何かの間違いだったのだろう。人の噂なんて、当てにならないものだ。
そう確信して、胸を撫で下ろしてから何日経っていただろうか。
「お、お前ら見ろよ。才無しのバカのクソ雑魚野郎が酒飲んでやがるぜ」
同じく常連である、少々素行のよろしくない中級探索者パーティーが、アーロンに絡んだ。
人数は圧倒的に向こうが上だ。これでは流石に喧嘩にまでは発展しないだろうと思いつつも、店主は止めるべきか静観するべきか悩み――、
「てめぇえええああああッ!! 上等だ表出ろぶっ殺してやらぁああああああッ!!」
(ええええええええッ!?!?)
結論を出す間もなく、アーロンは絡まれた直後には椅子を蹴って立ち上がり、絡んできた男どもに殴りかかった。
(ちょ待っ!? 今表出ろって言ってなかったか!? もう殴りかかってるんだが!?)
男の一人が殴り飛ばされ、他のテーブルを巻き込んで盛大に転倒する。その間にもアーロンは、
「おらぁあああッ!! 舐めた口利いてんじゃねぇぞボケどもがぁああああッ!!」
他の男どもに全力で殴りかかり、跳び蹴りをかまし、他のテーブルから酒瓶を奪っては男どもの頭部に全力で振り下ろす。まさにやりたい放題であった。一方、男どもも黙ってはいない。
「ザケンナッ!! いきなり何しやがるテメェコラッ!!」
腰に佩いていた剣を抜いたのだ。さすがにこれは喧嘩では済まない。そう思って焦る店主だったが、
「うるせぁああああああああッ!!」
(えええええええッ!? 躊躇なく殴りかかりやがった!?)
剣を抜いた男は、何もする暇もなくぶっ飛ばされてしまった。
たまに、妙に喧嘩が得意な人物がいる。そういう奴は大抵、人を殴ることに躊躇しない。凶器を出されても怯まない。普通なら躊躇し怖じ気づくような場面で、真正面から虚を衝くように一瞬も逡巡することなく襲いかかっていく。
明らかに、アーロンはそういう人間だった。
この後、驚いたことに奴は自分に絡んできた男どもを一人で全員薙ぎ倒した。だが、無関係で被害を受けた他の客たちが激昂して、酒場内は収拾がつかない大乱闘に発展してしまった。
それから数十分後、ボロボロになって床に転がっているアーロンを見下ろして、店主は表情だけは優しく声をかけた。感情が怒りの向こう側に振りきっていた。
「お前、ウチの店出禁な?」
二度と来るなと思った。
★★★おしらせ★★★
――というわけで、上記は諸般の事情により、「極剣のスラッシュ第一巻」でボツになってしまったSSでした!
眠らせておくのもアレなので、公開いたしました。
本編第五話「棒切れでも同じだ」で絡まれていたシーンの、裏話的なやつです。
そしておしらせなのですが、明日1月5日に極剣をフォローしていただいている皆様に、SS付きのフォロワーメールが配信される予定ですので、そちらも是非見ていただけると作者が喜びます!
あ、あと、ファンタジア文庫様に「極剣のスラッシュ」特設サイトを作っていただけましたので、下のURLから見に行っていただけると嬉しいです! 灯先生に描いていただいたイラスト等々、色々公開してあります!
https://fantasiabunko.jp/special/202401slash/