フィオナ・アッカーマンはその日、珍しく実家に帰省していた。
「おや? これはフィオナお嬢様」
「――マルコさん? お久しぶりですね。ご無沙汰しております」
ネクロニアのブルジョア階級の中でも、そこそこに大きい屋敷を持つアッカーマン家には、取引相手の商人だけではなく、時折、顧客である料理人たちも訪れることがある。
手に入れるのが難しい調理器具や食材、珍しい調味料の仕入れなどで相談に訪れるのだ。
母のもとを訪れようと廊下を歩いていたフィオナが出会ったのも、そんな料理人たちの内の一人であった。
マルコ・ブッチャー。
とある高級料理店の総料理長を任せられる、丸々として恰幅の良い、五十を過ぎた壮年の男性だ。
彼は孫娘を相手にした祖父のように、にこにこと優しげな笑みを浮かべながらフィオナに会釈する。
「こちらこそお久しぶりでございます。フィオナお嬢様の勇名は、私の耳にも届いておりますよ。探索者として獅子奮迅のご活躍だとか」
「えっと……はい、まあ……」
フィオナは言葉を濁しつつ頷く。幼い頃から見知っている相手に、探索者としての自分を知られているというのは、バツが悪いものがあったからだ。
フィオナは探索者としてよりも、幾分かお嬢様じみた口調と態度で、話題を変えるように話しかける。
「そういえばマルコさん、今日は当家にどういったご用向きでいらっしゃったのですか?」
そう。もしかしたら皆さんお忘れかもしれないが、フィオナは騎士爵家とはいえ貴族家出身で、さらに母方の実家であるアッカーマン家も、ネクロニアの食材流通の多くを取り仕切る大商会、アッカーマン商会なのである。世間的に言えば十分以上に「お嬢様」と呼ばれてもおかしくない家柄だ。
ゆえに、若干お嬢様っぽい口調で話すことなど、フィオナにとってはその気になれば造作もないことなのである。
「ああ、いつもと同じですよ。食材と調味料の仕入れの相談と、あとは上質な炭を探していまして」
「炭、ですか?」
マルコの勤める料理店は高級店であり、高価な調理用魔道具が十分な数、用意されている。そのため、火を使って調理するにも薪や炭などは使わない。強いて言えば、窯を使う時に薪を使用するくらいだろう。
そのことを知っているフィオナは、不思議に思って首を傾げた。
「料理に使うのですか?(食材として)」
「ええ、料理に使うのです(肉を炭火焼きにするために)」
「それは凄いですね。……どのように使うのか、お聞きしてもよろしいですか?」
「おお! 興味がございますか?」
「ええ、とても」
――このように、フィオナは子供の頃からマルコを始め、アッカーマン家を訪れる一流の料理人たちから、料理に関する様々な知識を聞いていた。
それは食材、調味料、調理器具など、食に関する品物を手広く扱うアッカーマン商会の一員として、常に料理の話には興味関心を向けているから――ではなく、単にフィオナ自身、料理に関心を抱いているからだ。
なんせフィオナは料理が得意であると自負しているし、最近では母から料理を習ってもいる。半ば以上、同居人となっているアーロンに手料理を振る舞う機会も増えているし、美味しいという感想をもらったことも(フィオナの中では)何度もある。
まあ、ごく稀に失敗することもあるが、まだ料理を習い始めてから一年も経っていないのだ。たまに失敗する分には、仕方のない事と言えよう。
失敗を恐れては何もできないのだから。失敗こそ成功の母であるとは、フィオナの座右の銘である。
「どうも最近、ウチの店の肉料理には香ばしさが足りないのではないかと思いましてね」
「香ばしさ、ですか?」
「ええ。屋台の串焼き肉とは言いませんが、やはり香ばしさを付けるには炭が一番です。焦げすぎは言語道断ですが、ほんの少しの焦げならば、それは食欲をそそる良い香りになりますからね」
「焦げが、良い香りなのですか?」
「実はそうなのですよ。何の食材にしても、適度な焦げならば食材の美味しさを増してくれます。肉の他にも穀類や砂糖を使った料理やデザートなんかでは、あえて焦がすこともあるのですよ」
「へぇ」
「いわば、焦げも調味料の一種ですからな」
「なるほど」
フィオナは感心しつつ頷いた。
焦げすら調味料になるという一流料理人の含蓄ある言葉に、ぽろぽろと、目から鱗がダース単位で落ちる思いだった。それはフィオナにとって、あまりにも革新的な知識に思えた。
普通ならば――そう、普通ならば、肉を敢えて炭火で焼くか炙るかすることで、炭火特有の香ばしい匂いを肉料理に香り付けしたいのだと理解するだろう。
しかし、料理の才に恵まれたと自負しているフィオナは違った。
フィオナは知っているのである。一見して料理の素材には使われないようなものでも、料理に使われることがあるということに。たとえば乾燥させて砕いた海老の殻や、玉ねぎの茶色い皮の部分などだ。
(炭を使って香ばしさを付ける……)
そこから導き出される解答は……すなわちッ!!
(分かったわ! 炭の粉末をお肉の表面にまぶすことで、香ばしさを加えるのね! 炭そのものを食材にするのではなく、調味料としてほんの少し使う。これがマルコさんの言う、「ほんの少しの焦げ」というやつに違いないわッ!!)
フィオナに言わせれば、炭とは木材が焦げた物である。ならば「ほんの少しの焦げ」は、ほんの少しの炭で味付けしてやる――という意味に違いない。
フィオナは全てを理解した。
「――なるほど。とても興味深いお話でした。もしよければ、また料理について教えてください」
「ええ、もちろんですとも。私としても、フィオナお嬢様とこうして料理の話をするのは楽しいですからな。また機会があれば、いつでもお話しましょう」
「ありがとうございます、マルコさん。では」
そうして、立ち話を終えたフィオナは予定通りに母のもとへ向かって歩き出した。
その後ろ姿を眩しそうに見送っていたマルコは、感慨深そうに呟く。
「子供の頃から料理の話を楽しそうに聞いておられましたが、まだ料理好きなのは変わられていないようですな……それに、最近ではお母上から料理を習っているとか……ふむ」
いったい今では、どれだけの腕前になっているのだろうか、と。
何しろアッカーマン商会のご令嬢だ。それはそれは、素晴らしい腕前に違いない。
「それに、お嬢様もそろそろ結婚を考えるお歳ですからな。もしかしたら……」
料理を習っているという話から、もしかして手料理を振る舞いたい相手がいるのではと考えて――マルコはとても微笑ましく思った。
「お嬢様の手料理を食べられる相手の方は、幸せ者ですな。ふふっ」
などと呟き、踵を返して歩き出す。
この数日後、とある場所で炭の粉末をまぶされた度しがたい肉料理が夕食に出されることになるが、マルコ氏には与り知らぬことである。
なお、それを食した木剣職人曰く、
「この程度なら、ポーションを飲むまでもない、な……」
味はともかく食べても体調を崩さないだけ、割と成功の部類だという話であった――。
★★★おしらせ★★★
更新の方、滞っていて申し訳ありませんッ!!
あと少しで本格的に更新再開できますので、もう少々お待ちくださいm(_ _)m
それとおしらせなのですが、「極剣のスラッシュ」書籍化に関して、レーベルの情報が解禁されましたのでお伝えいたします。
「ファンタジア文庫」様より発売予定です!
発売時期や担当されるイラストレーター様などに関しては、追っておしらせいたします。
以上です。
では(・ω・)ノシ