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新年にあたって、言いたい事(チョーまじめなので、あしからず)

 あけましておめでとうございます!
一応、遅ればせながらご挨拶と共に、以下の和歌をご紹介したいと思います。

『新しき 年の始めに かくしこそ 千歳をかねて 楽しきを積め』

お断りしておきますが、この歌、本当に新年の歌なのかどうかはわかりません。

この歌は、古今集の最後の巻「大歌所御歌(おほうたどころのおほんうた)の東歌」の巻頭に収められています。
「大歌所(おおうたどころ)」とは、儀式や神事で演奏する音楽を司り、楽師の養成をした役所です。

詞書に「おほなほひの歌」とあり、新嘗祭(五穀豊穣を感謝し、神とともに新穀をいただく神事)の際に行われる宴で詠まれた歌ではあります。
しかし、大歌(奈良時代以降の宮廷の神事・宴遊などにうたわれる歌)の東歌(東遊びという宮中で流行った歌舞で謳われる)の巻頭を飾る歌なので、元々は新嘗祭で歌われていたのが新年に歌われるようになったのかもしれません。
そういう昔から伝わる儀式的な歌の系列は、正解が無い世界でもあり、諸説ありなのです。

そして、この歌の底歌らしきものを見つけました。
『正月立ち春の来らばかくしこそ梅を招きつつ楽しき終へめ』
(むつきたち はるのきたらば かくしこそ うめををきつつ たのしきをへめ)
これは、あの令和という元号の由来である万葉集の梅花の歌32首の序文で有名な、その32首の一番最初の歌です。
最後の楽しきをへめ・・ここ、楽しきを経めとする説もあり、実は、冒頭の歌も楽しきを経めとする写本もあります。

なので、確実な事はわかりませんが、もう、そんなのはどうでも良いのです、というのが結論になりました。
つまり、今まで述べた学術的な?感じの話など、学者に任せておけばよいのです。
いま、心に響くモノは何なのか、何が私を楽しくさせてくれるのか?
それが大切なのです。
この和歌から、いろいろな知的好奇心を刺激され、いろいろなことを考え、知りました。

しかし、調べると、いろいろと諸説ありが出てくるのです。
そんなの、昭和の戦前の話ですら諸説あるのですから、古代の頃などただの仮説の積み重ねでしかありません。
何が大切なのか、結局は元に戻って、自分はこの歌をどう感じるのかってことです。そんな簡単な話なのです、なのですがしかし。

しかしですよ、そこへ辿り着くのに、こうして遠回りするのも面白いのです。
そう、いろいろと調べて、令和の元号の起源まで辿り着くとは思いませんでした。
面白い、楽しいのです、私には。
そんな事を気付かされた元旦の一日でした。

私が言いたいのは一つ。
冒頭の歌にあるように、年の初めとなり、これから後は楽しい事を年と共に積み重ねていきましょうということです。
あるいは、「楽しきを経め」を採用して、楽しい事を千歳に渡ってやっちゃおーぜってことです、同じことですがw

因みに、かくしこそ=このように、なのですが、これは古来、歌謡つまり謡曲で良く使われる言葉のようで、調子を取る意味で、合いの手としての役割もあったような感じで、故に、あそれっ!かくしこそ、あそれっ!かくしこそ、的な使い方?が歌謡の中に見られます(諸説あり)。

かように、和歌は、もともとは、歌なんです、これは漢詩も同じ。
なんか、形式ばった感じというのは、後々の話で、万葉集や古今集はそんなものの系列上にあるので、あまりにもカシコばった訳とか解釈とかしなくても、歌らしく音を楽しむ、声に出して楽しむことをもっとするべきなんです。
ちょっと話しが逸れました。

私が言いたい楽しむ、ですが、それは心を潤わせ豊かにしてくれるモノ、心を鍛えてくれるモノ、心を震わせてくれるモノ、心を気持ち良くさせてくれるモノ、心を優しくしてくれるモノ、心をワクワクさせてくれるモノなどを持つことです。

私は、毎日、楽しんでいます。
そうでないと、生きている意味がありません。
趣味はたくさんありますが、人によっては一つをとことんするってのもあるでしょう。
何でもよいので、楽しんでいくことが出来たら、それが生きるってことなんではないでしょうか?
なので、それをぶち壊そうとする戦争とか、強制とか、洗脳とか、虐待とか、差別とか、暴力とか、権力とか、そんな事などには断固反対なのです。

長くなりましたが、カクヨム、これからも楽しんでいきましょう(#^.^#)

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