こんばんは。
『続三国志II』はラストテンカウントで夏休みを投入してガッツリやってます。8月前半で片付けてやる!くらいの勢いです。
でも読みたい作品もあるからどーかなー。
▼translating high
翻訳はあんまり楽しくなくて、どっちかと言うと浅い呼吸でゼヒゼヒ(©︎藤田和日郎さん)なってる感じで苦しいんですけど、急に楽しくなる瞬間がありまして、今がまさにそれ。
まあ、脳が疲れてハイになってるだけなんでしょうけど。読み返すとアラが多そうです。残念。
▼北魏末を語る
ちょっと好きなことを語ってみたいと思いました。みんな語っているから、語らないと損だ!
動機は、いずれは何らかの形でまとめたいと考えていた北魏末を描いた作品が現れたので、それを言祝ぎたい、というだけ。
そうですか、好きにしなさい。ちなみに長いです。
※
とある北朝のアイドル丞相。
ほしみやあかり
https://kakuyomu.jp/works/1177354054886521301実際には、ははそしげきさんの以下の作品が一番早かったのです。宇宙大将軍=侯景を描いておりますが、こちらは吉川忠夫『侯景の乱始末記』という素晴らしい本もございます。
異聞南北朝 逢魔ヶ刻
ははそ しげき
https://kakuyomu.jp/works/1177354054880906055※
語りスタート。
宇宙大将軍の名で一部に著名な侯景は北魏が東西に分かれた東側、山西中部から山東を基盤とする東魏の高歓に従った武人です。
陰山南麓から山出しの侯景が立派な武人に育つには、慕容紹宗という鮮卑慕容部の末裔が関わっていたようですが、史書はそんなおいしいところにチラッとしか触れてくれません。もう。
高歓と侯景の二人は単なる主従というより、劉邦と曹参のような同郷の朋輩に近く、高歓を支えた軍事力は懐朔鎮軍閥と称されます。
同郷集団なんですけど、六鎮はすべて辺境の軍事拠点ですから、そこの同郷集団というとなかなか物騒なシロモノです。
で。
山西南部から関中を占めたのが宇文泰率いる西魏、後には尉遅迥を用いて漢中と蜀をも落とし、涼州までを版図に含めて東魏と拮抗するに至りました。
ちなみに、初期西魏は関中だけでイッパイイッパイ、東魏の圧倒的な優勢に苦戦つづき。
それと言うのも、高歓が旧主の爾朱栄の死後にその一族を滅ぼして麾下の鮮卑兵を押さえてしまったから。彼らは山西晋陽の周辺に置かれ、晋陽は東魏の軍事的中枢となったのです。
東魏は鄴を国都として帝もそこにある。ただし、高歓と夫人の疋婁昭君は晋陽にあり、鄴には長子の高澄を送り込んで遠隔操作したのです。
実はこれが北齊という歪な国家を作り出してしまう一因なのですが、それはさらに後のお話。
さて。
東魏が山西中部から山東、西魏が山西南部から関中となると、河南が抜け落ちております。
実は河南は東魏の版図、宇宙大将軍になる前の侯景に任されていたのです。何しろ専制すること10年とまで史書に書かれたほどです。
秦末に劉邦の部将でありながら齊王になった韓信みたいですが、高歓と侯景の信頼関係が伝わる逸話です。
ただ、西魏にあっても隴山の西は匈奴名門出身の獨孤如願すなわち獨孤信に委ねられており、ほぼ専制状態にあったらしいです。
獨孤はすなわち屠各の意であるとされ、ようするに匈奴単于を輩出した屠各部です。ご案内の通り、獨孤信の娘は北周、隋、唐の宗室に嫁いでおり、唐代に至っても匈奴の血脈は中華の支配階層に食い込んでいたのです。
北周、隋、唐の支配者層は一括して関隴軍閥と呼ばれますが、獨孤氏はその中枢にありました。他には河西竇氏(紇豆陵氏)にも同様の機能がありますが、彼らは費也頭とも呼ばれ、同じく匈奴の末裔クサイ。
何ゆえに高歓と宇文泰が一部の領域を有力な朋輩に委ねていたのかは、イマイチはっきりしません。
なお、西魏も政治的中枢は長安にありましたが、宇文泰自らはあまり長安にはおらず、潼関や蒲坂に近い同州にあって軍団もそちらに屯していました。東魏に備えつづける一生です。
この頃、隋文帝楊堅の父の楊忠、それに唐太宗李世民の曽祖父の李虎も同州に家があったらしいです。若い頃の楊堅と李昞がキャッキャウフフしてたかも。
後年を考えると、なかなか燃えます。
西魏を掌握した宇文泰ですが、彼自身も爾朱栄に仕えた身、爾朱天光が関中の叛乱平定を命じられた際に上司の賀抜岳に従って頭角を現したのです。
ちなみに、宇文泰は一族とともに反乱に参加して爾朱栄に捉えられ、その際に家長だった兄の宇文洛生は爾朱栄に刑戮されています。
宇文泰が生き残った理由は謎。史書にはそれらしいことが書いてありますが、傍証を含めて考えるとすこぶる怪しい。ちなみに、個人的には宇文氏は六鎮の乱に連なる一部の叛乱を主導した疑いを持っています。
宇文氏の道義的怪しさはさておき、注目すべきは高歓や宇文泰、さらに賀抜岳が仕えた爾朱栄です。
爾朱氏は史書に契胡とされますが、そんな種族は他に聞いたことないです。
まともに考えれば山西の山中に蟠踞した歩落稽、通称山胡が稽胡と呼ばれますから、それかとも思いましたが、爾朱氏は稽胡を討伐した記事もある。かと言って羯との関係を疑うにも呼称以外に繋がりが見出せない。謎です。
そんな爾朱氏ですが、山西北部に集まって軍馬の育成に従事しておりました。馬は財産、当然のように財をなし、北魏宗室とも姻戚関係を持つ有力豪族です。
夏は山西、冬は洛陽にいる、いわゆる雁臣だったかも知れませんが、明確な記述はなかった気がします。
その爾朱氏の若君として生まれたのが爾朱栄、字が天寳というあたりはかなりキテます。天の宝ですってよ、奥さま。
自分でつけたのならかなりヤバイですね。
北魏の崩壊は六鎮の乱が原因というのが定説ですが、六鎮の乱が爾朱栄を洛陽に誘い、河陰の変という朝臣大殺戮を経て北魏を掌握させています。ざっくり、六鎮の乱→河陰の変→爾朱氏専権→東西分裂という流れ。
だから、実質的に北魏の滅亡は爾朱栄を含む爾朱氏によりなされたと言っても過言ではありません。
コレホント。
その爾朱栄は当然のように簒奪を狙っていましたが、北魏朝廷の反撃により暗殺され、その一族の爾朱兆が跡を襲うも爾朱栄には遠く及ばず、麾下にあった高歓の離反により滅ぼされます。
この時、関中にあった賀抜岳も爾朱氏の残党を平定したものの高歓には与せず、自立の道を探った結果、北魏は東西に分裂することになります。
高歓や侯景が懐朔鎮出身であるのに対し、賀抜岳や宇文泰、先の獨孤信たちは武川鎮の出身、賀抜岳が高歓に降らなかった理由はその辺でしょうか。なお、武川鎮も六鎮の一つです。
どうも高歓は河陰の変の首謀者だったらしく、我に帰った爾朱栄に対して賀抜岳は高歓の誅殺を進言していますから、賀抜岳と高歓の仲がよかったはずはない。
当然、高歓にとって賀抜岳は目の上のタンコブ、鬱陶しいことこの上ない。
なんで、賀抜岳とともに関中の軍事力を分けあっていた侯莫陳悦と結んで暗殺させる。賀抜岳の死を受けて、麾下の諸将が盟主に推戴したのが、宇文泰だったわけです。
宇文泰が朋輩から推戴されて関中の軍権を握ったため、その死後に宇文氏の権威を確立すべく強力な専権を敷いたのが、宇文泰の甥にして悪評紛紛たる晋蕩公こと宇文護だったのは、大変に気の毒なことでありました。
西魏を襲った北周は、宇文氏の権威を確立するために宇文護がやむなく作り上げた国家と言ってよいと思います。
ひたすら実直で気宇壮大とは言い難い宇文護の器量では、他にやりようもなさげでしたからね。。。
ゼーゼー。。。
以上、北魏末の東西魏の分裂期を超マクロに眺めてきましたが、何というか、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康チックなんですよね。
織田信長=爾朱栄
豊臣秀吉=高歓
徳川家康=宇文泰
どうもこんな印象です。まあ、曲がりなりにも信長の盟友だった家康に対し、爾朱栄に対する宇文泰はかなり格落ちではあるのですが、爾朱栄→高歓はなんとなく信長→秀吉チック。
高歓と宇文泰が秀吉と家康よりも激しくドンパチを続けて互いを滅ぼすまでやめないところは、より殺伐感があります。
小牧・長久手の戦いで秀吉と家康が和睦せず、東西に分かれて臨戦態勢がつづいたと考えると、ちょっと日本人好みではないかと思います。
このあたりは、ともに魏帝を擁立してしまった二人としてはやむない仕儀ではあります。途中で放り出すわけにも参りませんし。
実際には南朝は菩薩天子こと梁武帝蕭衍の御代ですから、久々の三国鼎立の時期でもあります。久々の三国鼎立ですよ!
戦争面では南朝はほぼ空気であります。目につくのは陳慶之と呉明徹くらいかなあ。むしろ、漠北では柔然から突厥に覇者の交替があり、そっちのが活発に動くんですね。
また脱線しました。
東魏を襲った北齊高氏は酒乱のキ●ガイさん勢揃い、兄嫁を烝するなんかアタリマエの鮮卑習俗100%の野蛮ぶり。
高歓の弟や子が高歓の妾を烝した記事もあり、高歓の子の世代になるとシャレにならない乱倫を繰り広げますが、コレ、高氏一族の異常だけでは片付かなさそう。
どうも鮮卑習俗を歪んだ形で残していたんじゃないかと邪推しています。
鮮卑名門の宇文氏と比して高氏は一般庶民に近い家柄だったっぽいのです。古い文化習俗は社会の低い層に名残を残すことが往々にあります。
一方の西魏は西魏で宇文泰の死後は甥の宇文護が専権を振るって宇文泰の子を帝位に即け、しかも二人まで弑逆して三人目の宇文邕に誅殺される。
この宇文邕がすなわち北周武帝その人であり、気づけば河北の分裂期も大詰めが迫っているのです。
そんな北魏末の混乱期に展開された政略・謀略・人間の喜怒哀楽や漢人と鮮卑の摩擦がオモシロくない訳もなく、いずれは何らかの形で読みやすくまとめてみようと考えておりましたので、同じ時代を扱う作品の登場を楽しみにせざるを得ないワケで、期待大であります。
以上、一番好きで作品を読みたいなーと思っている時代についてでした。
漢人だけにとどまらず、匈奴・鮮卑・高車、費也頭、歩落稽に羌族などの異民族が大活躍するあたり、秦末や三国時代とは違う複雑さがあります。江南ではまた別の形の漢文化が展開されていますしね。
翻訳するなら、『通俗南北史演義』かなー。大変だなー(棒
なんか盛大にネタバレしたような気がしなくもないのですけど、歴史のハナシだからまあいいやー。