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物語の結末(ネタバレではないよ)

今まで書いてきた小説が結末を迎えるとき、それはその物語が辿るべき道を辿った結果行き着く結末なのであり、それを小説に書きながら「あーハッピーエンドだなー楽しー」とか「あららバッドエンドかしんどー」とか思いはするものの、自らがしでかしたこととは微塵も思えず特に責任を感じたことはなかったが。

なんか今回の主人公はとにかく私が幸せにしてやらなければならない気がして、もしやこいつ、うちの嫁か?ってなってる。あーもー因果をねじ曲げてでもお前は幸せにしてやるよ!任せろ!

13件のコメント

  • 問題はその登場人物が何をもって幸せだと思うか・・・だよな。
    俺もいつも幸せを願うんだよ。だけど、同じ結末にはならない。
    それってきっと、幸せのカタチが人によって違うからだと思ってる。

    まぁしかし、そう思ってくれる筆者から生まれたってのが、幸せだよ。
    俺はそう思うけど。
  • 果たしてやつはなにを以て幸せと思うか……?( ; ゜Д゜)
    本格的に嫁のようだな!
    えー。えーと。……美味しいものが食べられればいいかな……。

    まぁ、いくら作者がハッピーエンドだと思う結末だったとしても、登場人物のすべてが幸せになることなんてないからなぁ。
    考えるだけ無駄なのかもしれない。
    自分が創作したといいつつも、彼らはみんな別の人格をもつ他人だ。と思ってる。
  • 同感だ。(最後の二行)
    なんだ、ずいぶんアーティスティックな馬鹿脳をお持ちじゃないか(笑)。

    ようは、どの登場人物も完全燃焼することじゃねぇかと。
    カレラを使い切ってやることが、彼らにとってのハッピーじゃね。
    登場後五行で死ぬヤツが使いきられてないんじゃない。打ち上げ花火みたいなヤツでも線香花火みたいなヤツでも、いい加減に終わらせないことがヤツラそれぞれの生き様だ。
    それが矛盾や不発しないようにするのが、筆者の役目だと、自論を並べて昼休み終わり(笑)
  • たかぱしさんはアーチストだからな!知らんかったんけ?(笑)
    ふうむ。完全燃焼か。なかなか難しいな。
    あいつら勝手に生きてるからなぁ。でもそれをどう切り取るか?とか、どう描くか?は確かに作者の役目だな。
    こう、カメラマンの気分?
    なかなか監督にはなれない。
  • そう。登場人物は勝手に生きてる。
    だがその登場人物をどう運命付けるかってのは筆者。
    これはどうするかって、筆者が作れるものは"歴史”なんだと思う。
    例えば、東に行きたがるカナタ君を西に向けるために、地震が起こせるのが筆者だろ。世界にいる以上、歴史のうねりは誰も無視できない。
    ザイアスがキスナモルダに向かったのだって、(←なつかしい?)
    たまわめが単身敵の渦に飛び込んだのだって、(←覚えてる?(笑))
    そうせざるを得ない"歴史"があったからじゃん?(歴史という言葉が適切かはわからんけど)
    彼らは歴史的事実の積み重ねを経て、その衝動が抑えられない状況となった。

    そう仕向けられるのが、筆者だと思ってる。
    そういう仕向け方なら、登場人物はブレない。
    それで、完全燃焼させられるように仕向けられるんじゃないかねー。
    俺はあの二人、特に完全燃焼だと思ってるけど(笑)。

    てか、これほど真剣になる話かはわからんけど。
  • ザイアスさーん!たまわめちゃーん!覚えてるにきまってんだろー
    いやしかしカナタ君なんていたっけ?(笑)

    へー。そういう感じに描いてるのかー。って感じだ。
    状況のセッティングをして、そのなかで彼らがどう動くかってことだな。世界の神だな!

    なんてーか、私はいうなれば傍観者だな。あるいは観測者。
    物語に丸投げ……。
    もう少し干渉したほーがいいんだろうか。もしやそこが私の物語の欠点では……?
  • カッパの彼方君のハナシよ(笑)。

    干渉すべきかどうかってのは、ガチ格闘技とプロレスの差だと思う。
    ガチ格闘技はナマナマしいけど、いつもドラマティックってワケじゃないじゃん。
    「ええ!? もう終わっちゃったの!?」ってこともあれば、「なにそのウダウダ・・・早く終われよ」ってこともある。
    だけど、天から神様が降りてきた時のドラマ性は、プロレスの比じゃない。
    逆に、プロレスはショー的要素が盛り込まれるから、展開的にいくらでもドラマチックにできる。でも一時期プロレスよりもガチ格闘技がウケたのは、やっぱりそれが「作られた現実」であることがガチ格闘技のせいで思われたからじゃないかと。
    しかし、そんなプロレスにまったくの魅力がなければ、今も続いちゃいないと思う。俺はプロ格闘技は、極めるとプロレスになってしまう気がしている。

    小説は、その二つの要素を筆者が調整できる。
    俺は100%プロレスみたいな物語は嫌いだし、だけど100%ガチ格闘技みたいな物語は偶然の奇跡がない限りうまく行かないと思う。てか純文学ってガチ格闘技を突き詰めていく分野なのか?

    そんなトコじゃね?
  • そうかそうか。なるほどなるほど。面白いな。
    てかお腹すいた。そして確定申告までに帳簿が間に合いそうもない……。逃げたいぜ。

    そんじゃせっかくだから矢久さん風に持論を説明してみよう。
    格闘技とプロレスの違い、分かるが実感としてあるわけじゃないから例えとしては的はずれになるかもしらんが、そこはご愛嬌ってことで。

    あの共感の話にも通じるんだけどね。
    結局すべては中身ではなく見せ方、だと思ってる。
    目の前で血沸き肉踊る生格闘が繰り広げられていようが、ドラマチックに練り込まれた魅せるプロレスが行われていようが、路上のルールなし泥臭いほどの喧嘩がおっぱじまろうが、幼稚園児のじゃんけん勝負だろうが、最終的に重要なのはそれをどう中継、あるいは報道するか。
    読者は隣で一緒に観戦してる人じゃない。テレビの向こうにいるかもしれない視聴者だ。
    その人に目の前の戦いをどう伝えるか?
    どんなに迫力のある格闘が行われていても、それを固定カメラで撮るだけで視聴者は面白いと思うか。ときにアングルを変えたり、場面をカットしたり、リプレイで引き伸ばしたり、ファイターの解説を入れたり、CGエフェクト入れたり(笑)、変なとこでCMぶちこんで顰蹙かったり。
    そう言う意味で登場人物や物語を生かすも殺すも作者次第、だな。
    共感も『共感できる内容』ではなく『共感できる伝え方』にすればいいだけだと、傲慢に思ってる。
    ああ、ちなみに、この段でいくと、純文学は格闘模様をカメラ映像ではなく筆者自筆の絵で見せてくるいかれ野郎の作品。だと思う。
  • ついでに。
    だから例の『多くの読者が共感できる、独創性のある作品募集!』ってやつは、共感を内容でどうにかしようとする作者が多くて、その結果平凡なほうへ流れる駄作が増えるんで、編集部が『内容で共感させるんじゃねぇ!独創的な内容を共感させられる見せ方で書いてきやがれ!』って台詞をオブラートに包んだ結果生まれた意味不明な要項だと思う。
  • その純文学評は面白いね(笑)

    そうな。
    >その人に目の前の戦いをどう伝えるか?
    その部分こそ作者の文章技術だと思ってる。視点や切り取り方も含めて、それが小説のキモだと思う。
    同感だからこそ
    『文章表現の巧妙さよりも魅力的なキャラクターが求められる』
    とかいう風潮に腹が立つわ。繰り返すけど、小説よりキャラでグッズが売れればいいという発想だ。
    ちなみに魔王様(♀)がプリキュア大好きなんで、俺もメンバーの顔と名前が一致する程度になったが、あれってマンガの視聴率は二の次で、どれだけ露出してグッズが売れるかなんだと。5人メンバー、一人一人で億単位稼ぐらしい。

    そりゃそれですげーけど、ストーリーなんか「あればいい」ってことなのか。実際魔王様(♀)にストーリーの質問したら「わかんなーい」とか言ってるしな
    そういう時代で、小説もそんなトコが求められてるとしたら、どもならんわ。

    共感できる伝え方・・・か。
    まぁね?俺も、わざわざわかりにくい言い方を目指してるわけじゃない。できるだけワケわからんことにならないよう、努力はしているつもり。
    物語も人間が登場する以上は頭から尻尾まで理解できないやつは人間に見えないと思うんだ。そういう意味では確かに伝え方・・・なのかもな・・・。
    なるほど・・・そうだな・・・(←噛み下してる最中(笑))
  • 純文作家「生映像より私の絵のほうが美しい!!!」

    ラノベ作家「CG再現映像作りました」

    たかぱし「赤パンツの方、鼻毛でとる。アップで撮ったろwww」
  • 矢久「それより今月の支払いどうしよう」

    ネコ「にゃんにゃんにゃん」

    彼方さん「品(毎日新聞)っっっっ!!!」
  • ネコの優勝です。
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