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嘉永三年二月二十日(1850/4/2) -大村藩情報・開発経過-

-大村藩情報・開発経過-嘉永三年二月二十日(1850/4/2) 

 ■次郎
  ・海軍伝習所、陸軍調練所設立へ。(兵学の他、数学・理化学・国語漢文・オランダ語・英語・国内国際情勢)
 
 
 ■精|煉《れん》方(信之介)佐久間象山は全部回る。
  ・電信機の距離延長研究。(コイル・継電器・絶縁体)……宇田川興斎、ブルーク。
  ・電力、発電、蓄電、アーク灯……水力発電。……信之介・廉之助・隼人・東馬・村田蔵六。
  ・既存砲の更なる安定化とペクサン砲の開発+ジャスポー銃と褐色火薬の研究。……高島秋帆・賀来惟熊・村田蔵六。
  ・造船所(ハルデス他)建設地の造成。……ハルデス他職人と学生・村田蔵六。
  ・蒸気機関の研究開発……65トン級の蒸気機関34馬力は成功。56馬力に挑戦。ハルデス・久重・功山・弁吉
  ・製茶機の研究開発と製造……ハルデスと久重と功山&高林謙三+弁吉
  ・写真機の研究開発。……俊之丞とブルーク、杉亨二。
  ・高炉セメントの研究開発ならびにポルポライドセメント製造のための設備建造。(信之介+α)
 
  ・ゴムの性質改善(酸化マグネシウムと石灰水)とスクリュー(潤滑油+ゴム)とゴーグルの製作。……ブルークと適塾の四人+佐久間象山
  ・ソルベイ法と石炭乾留によるアンモニア抽出の研究……ブルークと適塾の四人。
  ・魚油のけん化(水素添加)の研究。……ブルークと適塾の四人。
  ・冷蔵庫の改良……高野長英+廉之助+隼人(リクルート中)
   
 ■五教館大学(賀来|惟準《これのり》・三綱。|惟舒《これのぶ》)。+ブルーク。
  ・石油精製方法……火災発生も、被害は少なく精製の研究を続ける。+佐久間象山。
  ・焼き玉エンジンの研究開発……+佐久間象山。
  ・缶詰製造法の機械化とドラム缶の研究開発。(オランダ人技術者とともに)+佐久間象山。
 
 ■医学方(一之進、宗謙、敬作、俊之助、イネ)+洪庵&適塾メンバー
  ・下水道設計ならびに工事開始、高炉セメントの開発は同時進行。間に合わなければポルポライドセメントにて施工。……橋本勘五郎。1858(~1857)期限。
  ・新薬の研究開発、臨床。
  ・|殺鼠《さっそ》剤。
  
 ■火術方
  陸軍掛
   高島秋帆
   立石昭三郎
    新式銃と大砲を用いた戦術運用
  海防掛
   江頭官太夫(+次郎左衛門+ライケン)
    沿岸警備と艦隊運用(設立)
 
 ■産物方(お里、賀来惟熊)
  ・領内の鉱山の状況調査と鉱物の選別保管。
  ・石炭、油田の調査。
  ・松代藩に人を派遣し、採掘の準備に入る。(越後は価格交渉、相良油田はさらに調査)
  ・増産と仕入れ先の全国的な確保、機械化(高林謙三他)が課題。
  ・桑畑の増加と生糸の生産。
  ・魚油の精製(酸性白土、領内産出モンモリロン石)、販売。

10件のコメント

  •  パッキングが効かないのはゴムの素材もだけど火薬の方も従来の黒色火薬から燃焼速度の緩やかな褐色火薬に切り替える時期なのかも?(´ω`)たしか何処かのコメ欄で誰か「硝石に硫黄と不完全燃焼させた木炭を使って作れますよー」と言及してたよーな、それともとっくに褐色火薬を使ってる描写があったかな?だったらこのコメントは見なかった事にしてくださーい(^皿^;)笑ってごまかせワハハハハ♪
  • コメントありがとうございます^^

    そーなんです!私もすっかり抜け落ちて入る事を忘れていました。本文中に研究経過を書いていた時は、コメントの通り褐色火薬を入れていたんです;;

    ノートに書き写す際に漏れてしまったようで。やってます。そもそもこの近況ノートは皆さんのご指摘を受けて、研究開発が必要なものを忘れないように、という目的もあったんです。……加えておきます;;
  • お茶缶

    https://www.osaka-seikan.co.jp/kan/caninfo/history/

    一斗缶

    https://www.canhouse.co.jp/features.html

    登場年度はドラム缶やアーク溶接実用化より古いですね。

    オランダからブリキ缶来てる筈なのでお茶缶は自作してる人も居るのでは。
  • コメントありがとうございます^^

    おお! そうですね。ブリキ缶は来てますね。技術者いるので。

    さっそく実用化に入りましょう^^(天の声)
  •  史実同じ技術体系なのに登場時期に半世紀の差があるのはドラム缶と一斗缶の単純に中に納める内容量の差(ほぼ10:1)から来てると思われます(重さがそのまま缶の構造にかかる圧力になるんだもんね)だけど運搬するのにほぼ人力のこの時代なら200キロのドラム缶より18キロの一斗缶の方が使いやすいと思えば一斗缶がこの時期ならベストな選択なのかも?まあ、今は大村藩だけの産業革命を最重要に動いてるけど、いずれ目指すのは「開国して大型の蒸気船で世界と交易する」ルートになるのならドラム缶を研究し続けるのは間違っちゃいないのも確か(・Д・)現状の技術ツリーから在りモノで大きめの容器がどうしても必要ならドラム缶より高価で破損しやすいけど琺瑯タンクならペクサン砲の鋳造規模で1立方程度の容器(ほぼドラム缶1/2)を作れるけど使い勝手が悪いかなぁ?
  • ドラム缶は転がしたり回したりして移動できる点が強いんですけど、確かに体積=質量耐性が問題になりますね。
    まぁ今のドラム缶と同一サイズ同一容量にしなければならない理由はないのですが。
  • 大八車の積載量は112kgなので現代の200lサイズのドラム缶は無理です。

    kanagusudonさんの仰ったサイズでギリギリですね。

    街道の馬車の通行許可は未だ出てないので輸送は牛車になるでしょうが。
  • コメントありがとうございます^^

    検討させていただき、お茶⇒一斗缶⇒ドラム。

    その過程でペクサン砲も研究中ですので、琺瑯タンクですか?あれ、ググったら左右に回して蓋閉めるやつですかね?

    諸々検討するように信之介に言っておきます(天の声)^^
  •  昔の保健室に有った悪臭を外に漏らさないゴミ入れの琺瑯容器が姜維先生のおっしゃる奴ですね、半回転ぐらいのねじ込みですが蓋の重さとゴムのパッキンの力でアルコール類の保存容器にも使われてましたから密閉容器としては中々優秀なんですよね(^ ^)鋳造だから厚みが2〜3ミリぐらいとブリキ板より重めになるけどドラム缶ハーフサイズに液体入れてだいたい海猫さまの言うリヤカー積載にドンピシャの計算、ちなみにリヤカーはこの時期なんと既にお隣の中国では木製ながら車輪の表面と車軸を鋳鉄で補強したのが荷役などで広く使われてますから現代風の鋼管パイプとゴムタイヤのリヤカーより大八車を改良したら手っ取り早いのかも。
  • コメントありがとうございます^^


    なるほど~。

    確かにドラム缶サイズのあの、例の蓋付きのやつ見ませんもんね。

    重いからかな?

    へえー、中国にはもうあったんですね!
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