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【8/1】真の共感と本当の読書について

 ぼくは悩んだとき、いつも自分の心に答えを聞いていた。
 自分のことは自分が一番理解しているつもりだった。
 自分の本心は誰にも分かってもらえないから、ぼくはずっとうつ病だったから、誰にも分かってもらえないと諦めていた。
 ずっと一人でいろんな本を読んで、人間の心について勉強してきた。人間の心については誰よりも理解しているつもりだった。
 だからこそ、僕は過ちを犯した。それを他人に当てはめてしまったのだ。

 僕は、人に共感するのが得意だと思っていた。自分のことを偏見のない人間だと思っていた。
 自分がたくさん苦しい思いをして、色んな哲学を考えて生きてきたからこそ…… 自分の経験を当てはめるだけで、その人の本心とか人間の本質が、ある程度理解できてしまっていたのだ。
 だから、その程度で僕は、他人を理解するのが得意だなんて勘違いしてしまったんだ。

 僕は、キャタクター作りで困ったら、まずは自分の心に答えを訊く。自分の経験から答えを探そうとする。
 これまでずっとそうしてきたし、それでそこそこ良い小説が書けてしまっていたのだ。

 でも僕は本質的に、人の話を聞けていない。
 他人に自分を投影して、理解した気になっていただけだったんだ。
 特にネットでは顕著になる。
 現実世界では相手の表情が見えるから、僕も自分なりに相手を理解しようと頑張れる。
 でもネットでの言葉だけの会話では、どうしても相手が見えないから、自分本位の受け取り方ばかりしてしまう。
 
 しかし本質はきっと、ネットでも現実世界でも変わらないのだ。

 僕は無意識のうちに、自分と他人との間に壁を作ってしまっている。それを取り払って出ていきたい。

「読書感想文や小説感想が、自分語りになってしまう理由」
 自分の頭のなかで考えることは、何も悪いことじゃない。
 小説家として必須のスキルであるはずだ。
 けれど、作品の中に、「作者のエゴ」が入りすぎると駄目になるのだ。

 自分の中にある感情だけで、今まで、これほどまでの小説を書けたのならば、
 今日から自分の外の感情を学べば、僕はもっと心が豊かになるはずだ。
 
 自分をその人に置き換えて考えるんじゃないんだ。その人に憑依するんだ。
 その人のものの考え方で世界を見るんだ。
 その技術が身につけば、創作活動でも無敵になれる気がする。

 人の書いた文章を読もう。
 自分が作者とか登場人物そのものになったつもりで、完全にまるごと入り込むんだ。
 作家はある意味、誰よりも役者じゃないといけない。
 だって全てのキャラクターのセリフを生み出さないといけないのだから。
 キャラクターの口で作者が喋っちゃいけない。作品内のキャラクターが話すのだ。
 自分とは違うものを、のみこまれるように理解しよう。

 キャラクターと会話しよう。自分ばっかり書いてちゃつまらないでしょ。俺ならきっとできる。
 自分以外の心を書く潜在能力は、持っているはずだ。

【具体的な行動】
・「人の文章を読む、人の話を聞く」
・「自分として読むのではなく、その人本人そのものになったつもりで読んでみる」
・「自分がその小説をエッセイとして書いているつもりで読むのだ。モーニングページと同じ要領で」

 真に共感して読む読書は、自分が読むより何倍も面白い。
 小説ごと、他人ごと読むのだ。
 本当の読書には、自分なんてでてこない。

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