【陸奥(むつ)】
・艦として
・艦種:戦艦
・艦級:長門型戦艦二番艦
・前級:伊勢型
・次級:大和型
・建造:横須賀海軍工廠
・進水日:1920年5月31日
・所属:連合艦隊直属部隊
・全長:225m
・最大幅:34.6m
・基準排水量:39,000噸(トン)
・対艦兵装:四十五口径三年式四一糎(センチ)連装砲×4 五十口径三年式十四糎砲×12
・対空兵装:四十口径八九式十二糎七連装高角砲×12 九六式二十五粍(ミリ)連装機銃×20 同単装機銃×28
・対潜兵装:なし
・搭載機:約4機(偵察用)
艦名は通例通り旧国名で、日本で最も広い国である陸奥国にちなみ、初使用。艦の性能としては長門に同じく。長門と交代で連合艦隊旗艦を務めた為、彼女と並んで帝国臣民に最も親しまれた戦艦と言ってもいいだろう。
ワシントン海軍軍縮条約では未完成艦は全て破棄すると言うことになったのだが、陸奥は明らかに未完成艦であった。にも拘わらず、造船所から海軍に無理やり引き渡して完成しているという扱いにして、保有が認められた。
1924年9月、射撃試験も兼ねて長門と共に薩摩型戦艦安芸を撃沈した。1927年10月、海軍特別大演習観艦式においては、昭和天皇の御召艦を務める栄誉を賜った。1937年8月の第二次上海事変では、長門などと共に陸軍の輸送に従事した。
大東亜戦争においては特に戦闘に参加することはなく、長門と共に温存された。1942年8月の第二次ソロモン海戦には一応参加したが、多少の対空戦闘を行っただけであった。1943年1月7日、瀬戸内海の柱島沖で爆発事故を起こして沈没した。原因は不明である。
沈没当時から海軍は陸奥を浮揚することを考えていたが、損傷が激しく再生は不可能と判断され、しばらく放置された。戦後は艦体を複数に分けて浮揚し、可能な限り鉄材を再利用して、陸奥は再建造された。和泉型戦艦が竣工するまでは長門と交代で連合艦隊旗艦を務めていた。その後は軍令部直属艦として各地に派遣されている。
・船魄として
・技術系統:日本式第二世代
・身長:168cm
・体重:64kg
・血液型:B型
・髪:黒
・目:黒
・好きなもの:雪・チョコレート
・嫌いなもの:火薬・苦いもの
長門とは違って自由奔放な性格で、誰にでも親し気に話しかける。また何かにつけて人をからかいがち。しかし内心では誰に対しても警戒を解いてはいない。基本的にはどの艦隊にも属していない為、取り立てて仲のいい艦は長門くらいである。また連合艦隊直属という地位から、何かと情報通である。