ミクロ経済学って……

今、近日連載予定の『妖刀タメンシオン』(鎌倉時代×多次元宇宙×マルサスの人口論のSFです)の執筆のために、経済学の知識を取り入れている最中なのですが……

ミクロ経済学って、SFと構造が似てる?

と思いました。

需要曲線とか供給曲線とか色々言ってますが、どれも「完全なる理想的前提条件下での」理論に聞こえるんですよね。

色々目を通して、何を言わんとしてるかは理解できるんですけど、腑に落ちない。何というか、詭弁のような感じがする。

SFも、言ってしまえば、科学という(現時点の地球の人類の間では)普遍的な存在をベースに、演繹的に、だが部分的に魔改造、存在しないトンデモ普遍法則適用したりして、筆者の絶対王政のもと、読者をある種言いくるめて不思議な世界へ誘う、そんなものだと思っておりますが、そういう点と、ミクロ経済学の「正しいんだろうけど正しくない感じ」がピタリと重なってしまったんです。

まぁミクロもマクロも一長一短あるでしょうから、双方の視点を持つのがいいのかもしれませんが、ミクロは、その分野に明らかでないものを用語とそれっぽい論理でいいくるめる手段に見えてきてしまうというか、なんというか、メディアが出来事の一部を切り取って捏造、偏向報道するのと同じような感じがします。

伝わるかわかりませんが、そんな風に思いました。

2件のコメント

  • ある極限状態での正解を詰めているのが、ミクロ経済学なはずです。一方、現実経済に当てはめた途端に巨大な開放系に触れてしまうので、破綻するのが問題になるはずです。つまり閉鎖系における調整可能な例えば社内経済においての問題分析であれば、意味のある分析と思います。例えばどこが構造的な赤字要因であるかとか。
    ただしそこを切除したとして開放系にしてしまうと意味がないというのが一つのミソなので、現実にはなかなか運用が難しい。
  • 小稲荷一照様

    コメントありがとうございます。

    素直に、とても嬉しいです。

    また、非常に丁寧かつ明快に解説いただき、感謝いたします。

    おっしゃるとおり、確かにミクロ経済学は、企業内の経済でいきるもののように思います。

    コメント終盤でのご指摘をさらに具体化すると、このミクロ経済学、どうも「国家」においても同じように当てはめようとする輩が、世には蔓延っているように思います。

    企業と国は、その財源が、有限or(国債発行と通貨発行による信用創造で実質上の)無限であったり、経済活動に関わる大元のルールを作れないor作れる、というように前提条件が異なるので、似て非なるものであることを、知識ない者にひた隠して、新古典派経済学ばかりを押し付ける妖しい識者が多いように思うのです。経済・金融・財政がらみの国会答弁など見ていてもそのような印象を受けます。

    これはまさに理想論ですが、もっと中庸というか、多角的視点で経済を語ってくれる人が、メディアや、政治家の中に増えると、世の中良くなるのでは、と思ったりします。

    加賀倉 創作
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する