某チャンネル、ニコ生にて、オタキングこと「岡田斗司夫」氏もそう豪語し、しがないただの雑魚ファンの一人でもある小生も「うん、うん」と寝違える程に頷いていた事があります。
昨日、また別の動画にて「藤田和日郎」氏の談話、トークをお目にかかり、その思考を聞いているといい話を聞けたと感じて、ここにアウトプットすることに思いたちました。
それは
本当の「リアル」と「エンターテインメント的『リアル』」
ホラーしか書かない私にとってはとことん「リアル」を追求することが殆どなのですが、しかしホラー側ですら先生の仰られる「エンターテインメント的リアル」は霊やクリーチャー、殺人鬼の動きや言葉にはエンターテインメント性は必需品だわ、とも感じつつ、それらの「さじ加減」に想いを馳せる今日でございます。
よくある
「学生がこんな思考にはならない」「高齢者がこんなこと言わない」
という、年齢や性別、出身や環境を考えると不自然な設定が多々ありますよね。
ただ、藤田先生は言う
「面白ければウソだって言うよ」と
しかし
「でも、この人(キャラ)ならこういう事も言うよねぇ」と思わせる所が”上手さ”だと。
またまた、首がモゲラ
現代、まるでこれが「独り言?!」と思われる程に「心情語り」が流行っていますが、それは現代っ子が「心情が分からなくなっている」との現れであり、特に漫画やアニメは昔から「時代の写し鏡」だなぁ、と痛感してます。
この過度な「心情語り」も、先生からすれば上手い下手が明確に表れる部分であり、自分にはそういった恐ろしいことはやっぱり出来ないなぁ💧と恐れおののきますm(__)m
昔「漫画夜話」という番組がありまして、私の大好きな「ベルセルク」をテーマに、件の岡田氏を筆頭に幾人かの漫画家さんが議論するのですが、その会話の中に
「グリフィスの心情は聞きたくなかったなぁ」と言われる漫画家さんが居ました。
(蝕の直前のやつね)
個人的には、そこでグリフィスの内面、心情があるからこそ、深見もあるじゃん!とも思いましたが、でもすっごくそう言いたくなる気持ちも分かったことがあるんです。好きだからこその、そういった言葉ですねぇ(●´ω`●)
『エンターテインメント的リアル』
これを簡単に考えちゃうと「感動」「愛情や友情」「正義」「完全懲悪」「説教」など
そういう風に安直に捉えられ、安易に「だから、こうすればいいんだろ?」ってマニュアル的に、岡田氏が言う所の「感動ポルノ」は、もしかしたら今の子供には通じるのかもしれませんが、今の目の肥えた大人には真逆で完全にシラけちゃうんだろうねぇ(-_-;)
そういった「読者層」を明確に意識して書くことも、重要だよね(^_-)-☆
スニーカー大賞かぁ、と見てて「十代を対象にした」とあって、あ、絶対に私は場違だわ、と思いました(>_<)