実は
私の処女作『CHIMERA』を書いたきっかけは、実験でもモンキーでも、遺伝子やウイルスでもなく、
今回のテーマ「純」と「善」なのです。
ってか、そうだったなぁと思い出しました(≧▽≦)
『CHIMERA』~嵌合体~⇩
https://kakuyomu.jp/works/16817330662632214402「善」とは
良い、悪いをしっかりと判断し、「善」を最終的に選ぶこと
これ、まぁまだ分かり易いですよね。
問題なのが⇩
「純」または「純粋」「潔白」とか
これを「善」としている人や、
逆に「純」の人は「善」の人を「悪」だと勘違いしているケース、
そして
「純粋悪」だから「善」と思い込んでいる場合があるなぁ
という話です。
例えば
無知でなにも考えず、ただ欲望のままに行動をする人。
これを「純」とする傾向が現代にあります。
言いたいこととは、「純」=「善」では無い!ってことですね((+_+))
そして現代では、「善」が様々な言い分で駆逐されつつあることが恐ろしい💧
人間にとって都合がいい理想的な「純」とは、「善」を把握した上で純粋であること。という土台があってこそ。
ただの野性的であるシンプルな「純」は残酷、残忍でしかなく、その「純」を善とするのはちょっと問題しかない……
最悪な「純」とは何か
それを具体的に知りたいって人が、まだ現代にいらっしゃるのであれば、是非『CHIMERA』を読んでみて下さい。
胸くそ半端ないことうけあいです( ´艸`)