最近の映画(○○オリジナルとか)を見てて、思う。
あ、決してあーだこーだが言いたい訳ではない。
グローバルな世界、媒体、メジャーな世界ではどうしても「無味無臭」でないと、方々が五月蠅いんだろうなぁ、仕方がないなぁ、って理解はあります。
ただ
やはり寝てしまいます笑
マニュアル化された展開、人と名を変えただけの物語、作業と化した商業制作……
以前まで、映画館で寝るという類に嫌悪し信じられない族でしたが、彼らにとっては今、私が感じている「無味無臭」感をとっくの昔に感じていたのかもしれないなぁ、と、自分の未熟さだったかもしれないという戒めを感じつつも、映画で感動しなくなってきた自分を嘆いています。
かと言って
何の映画かは言いませんが、非常に差別的で自国のイデオロギーに溢れた物も実は多く、イメージ操作と一定数の称賛、評価を得るための不純な動機に溢れたものは見るに堪えない……
その様な「悪意」という悪臭は論外ですよ。それならば、無臭の方がマシと言えます。
大きく分けるのならば
日本とドイツ、この二か国の敗戦国であれば何をしてもいい、どのようなレッテルを貼ってもいい、という傾向に憤りを感じるのです。
ここで問題なのが、例えば
右から左へ、は禁止され弾圧し、左から右へはなぜか許されている部分。
特定の団体の尊厳や中傷を禁止するのなら、どちらもダメなら問題も違和感も差別も感じません。ただ一方通行で許されていることにこの人間世界の陰湿部分が見えてきます。
両方を禁じるか、両方を寛容するか。そんな本当の「平等」な社会を、私は夢見ています。
事実は事実として、偏狂することもなく……