• エッセイ・ノンフィクション

眼が変わる。。何度か言われた言葉。。
しかし、思い返せばその瞬間が私にも分かって、、
「行き過ぎたかな?」と思った時には、後でフォローする言葉を発したり、
態度を変えたり自分なりに調整したりもする。。。

要は自分でもある程度自覚があるからなのだと思う。。

眼が変わる。。
そう。。
そう言う眼を持つ者は、相手の眼もよく見ているということ。。
分かっているだろうか?
特に眼が変わる人に敏感だという事。。

変わり方にも色々ある。。

例えば、声を荒げたり激高する様の眼が変わるではなくても、

静かに気の抜けたというか。。
「あなたには別に関心ありません!」だとか。。

そうそう。。
「別に~~!」と気の抜けた態度。とでもいうのか。。
丁寧な言葉遣いの中で一見穏やかな表情の中で周りには察知されず、
こちらにだけ向けてくる目の変化でさえも、

己を自覚した者だけはその変化を感じる事が出来るって事だろう。。。

不条理だとか理不尽って何も私のような経験者だけが体験するものではない。。

「どうして?」「何故?」と思えるような出来事に遭遇する人って何か抱えているのだと思う。。

自分の人生で言えば祖父祖母の辺りから親への影響のの生きざまが孫・娘である私に不条理を運んでいる。。

もしかしたら、自分の人生を決めるのは人間を操る創造主が居て、こうすればこうなるああなると何代にも渡ってるルールづくりがあってその通りに人間は動めいているのか?とさえ感じる事もあるくらい。。

さて。。眼が変わる人。。
「慇懃無礼」と言う言葉がある。。
案外そういった態度をとる人の方が、己を知る事ができないのかもしれない。。

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