• エッセイ・ノンフィクション

「人のせいにするな。」という言葉

私が本を書こうと思い、ある程度何度かクリンナップし、心もおちついてきているころに、ある人に言われた言葉を思い出した。。

「そんな事本にするって。。。親の性にしてどうするの?
人のせいにしているからあなたが不幸なんですよ!」

私の心の中で、この時あまり不幸感を感じていなかったので、驚きましたが、
たやすく言えば、
長い半生の中で、社会なんてそんなもんだったよなぁ~と
実感し、そういう言葉で今まで何度も傷ついている訳で、
固定概念というものは、時として凶器になるのだなと思った。

まず、どうして虐待親の事を隠さねばならないのか?
何故この時私が不幸だと相手に決めつけられねばならないのか?

自己を反省するのも程度もので、
不条理や理不尽な事に対してまでも他者や環境のせいに出来ないなら
己を責めて果ては?どうなればよいと言うのか?

虐められるものにいじめる相手のせいにするな!という前に
その環境をどのように変えられるのか?それは場所なのか心なのか?
その子に一喝「人のせいにするな」と言う前に
その子の心をまず緩める事からしないと。。。
逃げ場を失った者の行きつく果てを考えた時、恐ろしさをかんじてしまいます。。

虐待親の事を憂いて生きづらさを語った被害者に
体験もせず、知りも知らぬ狂気の世界をその環境のせいにするな!とは
どの口が言わせているのだろう?と心を疑いたくなる。。

これは世間に向けての発信だけれど。。

私たち被害者。。仲間内に対してではどうか?

自助ミーティングに通った後半の頃には

それは。。「気づきなよ!」と心の中で思うような事はあるにはあったのですが。。言わないようにしていた事もあって。。。

不条理な事でもいつかは気づかねばならない事も多々あり、不条理でも
いつまでもそのせいにはできない事がある。。

それは各々違っていて、本人にしかわからない事。。

「人のせいにするな!」という事は簡単だけれど、相手が自ら気づくチャンスを奪ってしまうもの。。

誰に言われるでもなく、「ああ~私って人のせいにしていたな。」と気づく事が大切なのだと思う。。

世の中の出来事には時として反省しなければならない事もある。。
そんな時だって「人のせいにするな!」といわれたから反省したのでは情けない。。

自分で気づいて自責の念にとらわれ過ぎないように心をコントロールしながらひそかに反省すれば良いのだと思う。。

いづれにせよ、「人のせいにするな!」ときっぱり言い切る人の姿は
傲慢にみえるのかもしれない。。。

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