• エッセイ・ノンフィクション

読者レビュー

某大手ネット書店で私と同じ経験者の本を購入したのが昨年夏だったか?
読んでみてお粗末と思った私はレビューを早速書いていた。。
私の思うお粗末とは?
それは文体がどうのこうのという事ではなく、
この自叙伝の場合、どんなに内容が優れなくても、
それまでの様に星は5つで、誉め言葉でレビューを書くつもりだったのに。。。
というのも、同じ経験者にはどんな経験であっても社会に知ってもらいたい。。
書いただけで凄い事。。そういった感情が私の中にあるからで、この本の場合もそんな気持ちで読み始めていた。。。。
ところが。。読み始めると自叙伝ではなく、私たちのような経験者の対処本。。生き方指南のような形にまとめられていて。。
私の場合こうやって乗り越えたから、参考に書いたとあった。

ふと、この作者の開催していたセミナーに行ってがっかりした事までも思い出されてしまった。。
あれはお金を支払って聞く講座(セミナー)の内容ではなく、一方的に彼女の経験を聞いてあげなくてはならないお粗末なものだった事を思い出したのだ。

自助ミーティングなら一方通行ではない。。聞いてあげる代わりにこちらの話も聞いてもらえる訳で、しかも参加費は寸志で良い。
何で金まで支払って彼女の経験。。それもどうもスッキリしない話を
特に庇ってくれた母親の話ばかりで。。どのように克服したか?という一番大事な部分をぼやけさせてしまっている話には
うんざりした。。

さて。。今回批判された事は、私としてはどちらかというとあまりネガティブではありません。
それに対する返事を書く事が出来る。そもそもレビューも長ったらしいものでしたから。。。
私の癖でしょうか。。まだ書き足りない気がしていましたので、
お返事を書くついでにより明確に自分の意見を書き込めるチャンスをいただいたような気分でした。

勿論私は未成年で経験した近親姦という被害がいかほどに人生を狂わせるか?
社会の無知というものが、またその後の被害者たちをどのように追い込むか?
この不条理な世界を社会に知ってほしいと願っておりますが。

じゃぁどのように分かってもらうの?
と考えた場合、
こんなに苦しくて、悲しくて、
酷くて、、と事例を書き、又は語り、涙ながらに訴えても人の心に響くものは
んなに大きくはない。

元々、一番苦しかった当時に自助グループなど無かった私は社会にさらされて
傷の上に塩を塗り込むような思いや行動までもして生きてきた訳です。

50歳過ぎて酷いフラッシュバックをして自助ミーティング通った時には役立ちましたが、
すぐに物足りなさを感じた。。
ここの居場所があるから良いよ。。と仲間は言ってくれても、
社会から隔絶された場所で安心できるといったところで生き抜く上でここで満足していたら
いけないと思い、卒業した。。
再び社会の人と仕事でつながってみると、それは。。揉まれるわ揉まれるわ。。。

でも、だから心がもっと強靭になれたと思う。。
そこで気づいたのだ。。

分かってほしい。。ばかりではダメだ。。
晒されても、苦しんでも立ち上がり、気づけば周りとは何も違わない。。
そんな経験をしていた事を知らせなくとも周りより飛びぬけて明るく、元気にはつらつと生きていく様を見せつけて
実はその影ではこんなに苦しい経験をしていたんですよ!という事を文章で表現できた時に
人を説得できるのではないか?

こんな言葉は被害者を傷つける、そんな思いは回復には邪魔だ。
と他力本願ばかりを願っても心は一向に回復しない。

社会の風は冷たく厳しいもの。。
でも、冷たさ厳しさを知るからこそ、
時々吹く優しい風や温かい風を敏感にキャッチ出来るのだと思う。。

社会に変わってもらいたいなら自分が変わろうよ!
被害者たちへ。。
いつまでも安全圏でとどまっているのは卒業しましょ!

通う事が悪い事ではないけれど、勿論必要な時だってある筈。。
それに信念をもって通うのは大いに結構!
でも、行かないと生きていけないがなが~く続くのは
依存のはじまり!

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