心がある程度回復したかのような目線を変えないといけないかなと思う。
あれだけの経験があって、スッキリとはいかない。
もっと悲惨さ、残酷さが終わりに無いと嘘のような気もする。
勿論、その日、その日で気持ちは変わる。
「もう大丈夫」と思える日もある。
比較的元気に生きていられるからといって、終わりではない。
そうだった。この問題は終わりがないということ。。。
心理学者が言うのだから間違いない。
重荷は軽くなったけれど、それは前より軽くなったわけで、
無くなったわけではない。考えを深めすぎれば又重さが加わる。
壊れた部分は修復可能。。殺した部分は不可能だよね。
殺されて歪になった心でも生きていけるんだから大したもんだけれど、
殺してしまった部分を認めるのはやっぱり折れそうになる時もある。
考えを深めるのはある程度の回復までにしておけばよかったような気もする。
本なんか書こうとするから、触ってはいけない心の深淵を触りすぎたのかもしれない。
そんなこんなでコンテスト。。取り下げてしまった。
心を触りすぎるのも自虐。
コンテストを取り下げたのも自虐ともいえる。が、まぁ、稚拙な文章だから、お話にならなかったのかもね。。
心が回復。。=優等生。。
あり得ん。
もう少し尖ってみようかな。。
ちょっと尖りたくなるようなコンテストが始まるみたいだし。。
それにあの物語。。私と同じだよ。。
で、世の中からは時代とともに「話」。。すり替えられてる。
6世紀と13世紀頃、そして今。3人同じ運命じゃない。。
それとあの衣装デザイン。。首元の。。
6世紀は首。。私は手首に後遺症?13世紀頃は首元のデザイン。。首つながり?それにエゴの塊の遺言。。その解釈を狂った心で受け止めた3人の父親。13世紀ごろの娘。物語をタブー視されて、後に話をすり替えられている。
6世紀の娘は神話にされている。娘時代の私。嘘つき呼ばわりされた。
無かったことにされたのではたまったものではない。
そんな歴史だから、アダルトサイトのエロ物語として蔓延するんだよ。
近親姦は気持ち悪いって?
被害者でもない者が気持ちいいのか?気持ち悪いのか?どう比較するっていうんだ。
経験者だからハッキリ言えるんだ。
経験者だから言っていいんだ。
「気持ち悪い!」って。。
どこかの映画監督が言っていた。。。
「美しい禁断の愛」愛を表現したかったって?
冗談じゃない。。
狂ったものまで「愛」に入れたら世の中なんでもありになってしまう。
弱者に対して狂った支配者の地獄絵図。
これが本当の物語。。そこに支配者側からの本来あるべき愛など存在しない。あるとするなら、子供側から見た当然受けるべき親からの愛情を与えられなかった無念からくる幻と加害してしまった親の哀れな歴史だけだ。。