皆様、いつもありがとうございます。
こうやって折れずに投稿を続けていけるのも、読んで下さる皆様がいらっしゃるからだと思っております。
そしてタイトルの通りに、やっと自分で間違えていたことに気付くことが出来ました。いつの間にか説明調に変わっていて、表現が固くなって、ついでに細かくなって・・・でもそれから抜けだせなくて、抜け出す手段がわからなくてずっと悩んでいました。
その辺りは読者様の方が気付かれていたのではないかと思います。でも私は気付くことができませんでした。
一成の心理描写に違いはないとずっと思っていました
だから、最近の堅い説明調も、語尾や文体を調整すればいいだけだと思っていました。でも、いつの間にか根本的に間違っていたんですね。
264話を執筆していて、やっとそれに気付きました。
以前、A、B、Cのどれがいいかという質問をしましたが、それでも私は戻ることが出来ませんでした。
でも今ならわかります。
A
俺は今、自己嫌悪の真っ最中だった。
本当はあんなことするつもりではなかったのに、どうしても我慢できなかった。もう今更後悔してもどうにもならないが、せめてフォローくらいはしようと思う
B
はぁ・・・自己嫌悪だ・・・
なんであんなことをしたんだろう?
本当はするつもりじゃなかったのに、どうしても我慢できなかった。
今更後悔してもどうにもならないけど、せめてフォローくらいはしようと思う。
言葉の固さの違いもありますが、特に1~2行目は、自分の気持ちを語っていいても、Aは「自分の気持ちを解説している」のに対して、Bは「そのまま自分の気持ちを出している」んですね。
私はいつの間にかAの方へ向かい、それを細かく書き始め、どんどん癖になって結果今の状態になっていたんです。
だから、細かい描写を書くことが悪いのではなくて、それを心理として書くときに「分析して解説」するような書き方をしていたから、表現が固くなり、しかも分析ばかりしているから「だろう」「と思う」といった表現が多くなっていたことに気付きました。
それも一成の思っていることだから、心理描写として間違ってはいないと思います。でもそれは私の本来の書き方では無かったので、その違和感に気付いて混乱してしまったみたいです。
今回264話は、動きを表現するときに、一成が見たままの動きをそのまま表現してみました。無駄に自己分析させずに、でも動作表現としてはなるべく削らずに書いてみました。以前はそんな書き方をしていたと思います。
263話は、初期に立ち戻り過ぎて、一成の心の声ばかりになってしまいました。シンプルではありますが、あれでは動きの表現が全くないのでどこかで破綻する可能性がありました。
でもあれをやって初期の頃に戻ったことで、結果的にこれに気付くことができました。
本当は書き直していきたいんですが、まだまだ癖が抜けないので、油断すると同じ表現に取り込まれてしまう可能性もあって複雑な気持ちです。
という訳で、今後はその辺りに気を付けながらリハビリを続けていこうと思いました。
全て思うままに書いていると、いつの間にか自分が変わったことに気付けないんですねぇ。我ながら驚きでした・・・