独り言なんで、気分により削除するかもー🐈⬛
と、思いながら、これを書いてます。
Xのバンが解除されたか確認するのにログインしたら、仲良くしてるフォロワーさんの呟きを目にした。
「小説を書くことが本当に好きか」という問いかけ。
本当は別の手法でやりたいけど、それができないから小説を書いてるのかっていう問いかけだった。
はて、自分はどうなのかと考えたとき、自分の場合は「好き以上」の事だと思った。
上手い下手は別として。自分の中で「小説を書く事」は、ごく自然な自分の呼吸の一部なんだと。
個人的な話になるが、自分の家は特殊な家だった。「だった」とするのは、自分はその「組織」から逃げ出した人間だから。
自分が育った環境は、家族を含め親族は、様々な分野で「その道では」名が知れた人間ばかりで、その中で自分はある種「出来損ない」だった。
様々な分野で、日本や世界で様々な賞や勲章なんか貰っちゃう様な人間に囲まれて育った。
みんな、それぞれ文章を書く事はしていたが、こと小説となると、読みはするが書く事はしない人達だった。
そんな中、自分は子供の頃、初めて書いた絵本の文章が褒められた。それが嬉しくて、楽しくて。
気が付いたら、作文も大好きで、小学校へ上がると時間さえあれば、いくらでも「小説もどき」を書いては友達に読んでもらって。
中学に上がると、「小説」と呼んでもいい出来の文章を書き始めて。授業中に小説を書いていたら先生にバレてノートを没収されて、読まれて笑
でも、その時に先生がめちゃくちゃ褒めてくれて。実は他の先生にも回し読みしたって言われて笑笑
すごく嬉しかった。
自分は親族の中では落ちこぼれで、弾かれた存在だったけど、初めて存在を認められた気がした。
でも、上には上が沢山いて。
未だ自分は、何の賞も取っていない。
だから自分は、未だに彼等からしたら「出来損ない」の「落ちこぼれ」のままだ。
今までずっと、公募勢で1人書き続けてきた。何度も諦めようと思ったけど、最終選考まで行った経験が、今も自分を繋いでる。
ネット小説に投稿する様になって、公募に出す時と書き方を大幅に変えた。最初は自分の中の違和感に苦労したけど、今は楽しい。
中学の頃を思い出した。色んな人に読んでもらえて、感想をもらえて。めちゃくちゃ嬉しいし、励まされて。
そして最近の児童小説コンでも、また自分を繋ぎ止めた。
自分にとって小説を書く事は好きを超えた存在だ。
小説を諦めようとすると、小説が自分を繋ぎ止める。
諦めるということは、きっと自分の呼吸を止める事なんだ。だから自分を生かすために、小説の神様が「まだ出来るだろ?」って。
諦めるなって。なら、やってやろうじゃ無いか。
何歳になったって、いいじゃないか。
賞を取るだけの作品を書けるように、今日も精一杯に頑張ります。