唐突な自分語りになりますが、わたしは音楽制作をメインに創作をおこなっています。
ソロプロジェクトという形態で作詞作曲と全楽器の演奏、ミックス/マスタリングからアートワークまでの全てを手掛けておりまして、主に欧米圏のレーベルからCDやカセットテープなどの音源をリリースしたり、また稀に国内外のマニアックなラジオ番組で曲を流していただくこともあるのですが、なにぶん音楽性が特殊なものでミュージシャンとしての知名度はほとんどゼロです。まあ普通にアマチュアですね。
小説は音楽活動をはじめる前から書いていましたし、五年ほど物書きを生業にしていたこともありますが、創作の主軸はあくまで音楽だと自覚しています。
ということで、文章を書く際にも作曲や演奏の技法を応用できないかと試みているわけです。
まず、小説における文体は音楽でいうところの音質に相当するものと考えています。読みやすさ、聴きやすさに直結する要素ですね。
わたしは音楽を作る際に、わざと音割れさせてノイズを発生させたり時代錯誤なモノラル形式で出力したりと、一般的なリスナーが数秒で脱落するような音作りを好んでおこなっておりまして、拙作「愚者の火」ではその劣悪な音質を文体で表現しようと試みています。
おそらく大半の方は、本文が目に入った瞬間に読みづらそうな文章だという印象を抱くものと思います。だとすればわたしの目論見は成功です。
誤字脱字や日本語の間違いは、音楽における楽器のチューニングですね。
音楽ではわざと微妙にチューニングを狂わせて生理的な不快感を演出することもありますが、さすがに誤字脱字や日本語の間違いはゼロを目指しています。ここがわたしの甘いところだと思います。もっと尖らなければ。
音楽におけるリズムを日本語の文章に置き換えるなら、漢字と平仮名のバランス(配置)でしょうか。
もちろん音読したときのリズム感や言葉の響きも大切ですが、漢字と平仮名の配置によって視覚的にアクセントを作ることで文章としてのリズムがより強固になるのではないかと考えています。
メロディーやハーモニーといった要素に関しても一応の持論はあるのですが、キリがないのでこの辺で。
これも近況ノートに書く内容ではなかったな……。