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「鏡」への☆とレビューのお礼

6月5日に投稿した作品、「鏡」に☆とレビューをいただきました。
☆だけをくださった方のお名前は、通例として挙げないことにしております。簡素ではありますが、ここにお礼を述べさせていただきます。
ありがとうございました。

レビューをくださったロクナナさん、ありがとうございます。
さかてはんおし!、楽しく読ませていただきました。少々見ないうちにずいぶんと話が更新されていて、筆の遅い私は感心するばかりです。
また時間を見つけて、続きを読ませていただきます。

さて、本題ですが。
「巧い」「おもしろく読ませていただきました」というお褒めのお言葉をいただき、恐縮の限りです。
私は日頃より自分の至らなさを痛感しておりますゆえ、あまり身につまされるとも言い切れないのですが、それでもお褒めの言葉はほんとうに嬉しいものです。ありがとうございます。

誤読が怖い、ということですが。私は作品に「誤読」というものは存在しないと思っております。
無論文章にはっきり明示されていることを、漢字の読みや言葉の取り違えなどはありましょうが、それ以外の部分はすべて「解釈」だと思っています。
たとえば「鏡」の中で、はっきりと明示されているものは多くありません。視点とならない八雲の感情など、私の稚拙な表現から推察することしかできません。
一方で一人称の視点に基づいて表現しているため、視点である三村の内面は決して間違ったものではない。しかしそれも、三村が「自分でそう思っているだけ」に過ぎません。
人は自分のことほど分からないものです。三村は八雲のことを好きだ好きだと言っていますが、実は他にもっといい人が現れたらすぐ心変わりしてしまうかもしれません。
いずれ八雲と付き合うに至ったとして、彼は学生ですので、まだ狭い世界に生きています。
その後彼が歩む人生で八雲に対する気持ちが変わってしまったり、あれは本当は好きじゃなかったんじゃないかと思い悩むこともあるかもしれません。
そうであった時、三村は嘘をついたことになるのでしょうか? 三村の当時の気持ちを読者の方がありのままに受け取って、それは「誤読」だったと言えるのでしょうか?
私は、このどちらにもNOと答えます。三村本人が嘘をついたと言うこともなく、読者の方のそれを誤読と呼ぶこともない。

同様に、一切確たるもののない八雲の気持ちを、三村の想いを、二人の関係性を、そのすれ違いを。
どのように「解釈」するかは、個人の自由なのです。
ひょっとしたらその解釈は私の思っていたものと違うかもしれません。しかし答えは一つではない。
私はこういうつもりでいたけれど、読者の方はこう考えた。「ああ、それもまた一つの解釈だな」と、私はそう思うだけです。
大切なのは、何を思ったかです。私が伝えたかったことを正確に読み取った読者の方がいたとして、その読者の方は果たしてそれをその後の人生に生かすでしょうか?
私には分かりません。何らかの影響を受けて、少しだけ考え方が変わるかもしれません。でもきっと、それは私が思った通りの、私が期待した通りの変化ではないでしょう。
逆に、私と違う解釈をした読者の方が、私の思うものとはまったく違った道程で、私の期待した通りの変化をするかもしれません。
解釈はひとそれぞれ。そこから何を考え、どう行動するかもひとそれぞれ。
私はそれでいいと思っています。

つまり、「理解したくなる」と言っていただけたことが、私にとって最も満悦なのです。
そう言っていただけたロクナナさんは、きっとこの作品から何かを受け取り、いずれかの解釈をしたことでしょう。
その解釈が、ひょっとしたらロクナナさんにちょっとした変化を与え、それはやがて池に広がる波紋のように、人生のどこかしらでちょっとだけ先を示すのに役立つかもしれない。
決して高い可能性ではありませんが、何かの奇跡でそうなることがあれば、私にとってそれが至上の喜びです。

長々と失礼しました。
最後にもう一度、読んでいただいたことにお礼を述べさせていただきます。
ありがとうございました。

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