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【ナイショノート⑧ ~テーマのための思考実験②シリアステーマの扱い~】

 またしても一ヶ月……ノート空けました(笑)
 でも読んでいるのは毎日活動中。
 新作は絶賛挫折中。
 まぁそう言うこともあります。

 テーマのための思考実験の続きですね。

 最近シリアスなテーマを物語に落とし込む、ということを他の方のノートで話す機会がありました。
 そこでまぁいろいろと考えたわけです。

 シリアスなテーマというのはどちらかに偏った肩入れしたスタンスはあまりよくないとは思ってます。
 右と左、肯定と否定、そのどちらの要素も入れたうえで「あなたはどう考えますか?」というスタンスが理想なのだろうと思うわけです。

 一番怖いのは極端な立場に立ち、反対側の言葉に耳を貸さなくなる状態。
 頭からの否定、意思疎通の拒絶というのが一番悪い状況だと思うわけです。

 ここで大事なのがコメディーの要素。
 苦い真実を甘いチョコレートでくるんでそっと差し出す。

 そんな風に物語に落とし込めたらいいな、と常々思っております。

 甘いと思っていたら結構、苦かった。
 甘いだけの話じゃなかった。

 物語にこんなものが仕込めればいいなぁと思ってたりします。

   ○

 ということで今回は一つ短編をサクッと書きました。
 まぁこんな感じの流れって最近感じてるわけですね。
 それが良いとか悪いは別としてそう言う潮流がある。
 それをテーマにしてみたわけです。

 私が興味あるのはこう言う―マを扱った場合、他の人はどんな物語に仕立ててみるんだろうか?ということです。
 気が向いたらぜひ教えてください。
 短編仕立てでなくとも、こんな感じのストーリーを書くな、なんて教えてくれると嬉しいです。

 ちなみに何らかの御批判あるようでしたら、このページはまるごと削除したいと思ってますので、あらかじめ断っておきます!

5件のコメント

  • 【植物になる日】

       ○

     いつだって決断の時なんてものは急にやってくるのかもしれない。
     あたしの場合、それは家族の団欒の時間だった。

     その日、その時、その瞬間、あたしはどうにも耐えられなくなったのだ。

    「母さん、あたし決めた……」

     あたしはサラダを食べていたフォークをトレーに置いてそう言った。
     あたしのトレーに乗っているのはサラダだけ。
     あたしの食事はいつもそれだけなのだ。

     一方の母さんたち、父さんと弟はトンカツを食べている。

     ちなみにあたしだけサラダだけなのは虐待とかではない。
     
     あたしはベジタリアンなのだ。
     それも家族の中でただ一人。

       ○

    「どうしたの? 急に改まって」

     母さんは小さく切ったトンカツの一切れを上品に食べながらそう聞いてくる。
     母さんは美人だし、優しいし、非の打ちどころのない人だ。

     でもその口元がラードの油で艶々とテカッている。
     あれは動物の脂肪由来のモノだ。
     それを考えただけで吐きそうになる。

    「あたし、やっぱり『光合成手術』をうける」

     あたしのその言葉にみんなの箸が止まる。

     ちなみに光合成手術とは、細胞に葉緑体をとりこむ手術である。
     この施術を受けることで、水を飲み、太陽の光に一定時間当たるだけでほとんど食べ物を摂取しなくて済むようになるのだ。

     デメリットといえば、皮膚が緑色になる事。
     それから夜はあまり動けなくなること。

     あたしからすればたったそれだけだ。
     
       ○


     だがまぁ家族が驚くのも無理もないだろう。
     それだけ大きな決断なのだ。

    「なぁ、それ本気なのか? よく考えて決めたのか?」
     そう聞いたのは父さん。

     父さんはたいてい私の決めたことを応援してくれていた。
     口数は少ないけど、いつだってあたしのことをちゃんと見守ってくれて理解してくれていた。
     そんな父さんでも今回のあたしの決断には戸惑っているようだ。 

    「もちろん本気」
     あたしはきっぱりとそう答える。

    「お前の決めたことだから、あまり口出ししたくはないんだが、それは考え直した方がいいんじゃないかな?」
     
     そういう父さんは冷ややっこを食べていた。
     豆腐はいい。あれは大豆だから。
     醤油をかけてもいい。

     でもその上に乗ったシラスがだめだ。
     なんだって一度にあんなに沢山の小さな命を食べてしまうのか……

     ちゃんと成長すれば大きな魚になるはずなのに。
     命を無駄にしすぎている。

     それを考えてあたしはまた吐きそうになる。

       ○

     そう、あたしはもう食事をすることに耐えられない。

     何かの命を奪って自分が生きていること。

     そうしなければ生きられないという事。

     そんな自分の身体に耐えられない。

       ○

    「姉ちゃん、体がミドリになるんだぜ? いいの?」
    「もちろんよ。その代わり、これからはもう何も食べなくて済むのよ」

     その言葉にちょっと母さんの手が止まった。
     今のはちょっと言いすぎたかも。
     それを知ってか知らずか、弟が言葉をつなげる。

    「母さんのご飯、美味しいのにもったいなくね?」
    「それは分かってるよ。でももう何かの命を奪って生きるのに耐えられないの。母さんのご飯が嫌なんじゃない。ただただ食べることに耐えられないのよ」

       ○

    「今みたいにサラダ中心の食事じゃダメなの?」
     そう聞いたのは母さん。
    「あなたの分だけ作るの、負担でも何でもないのよ?」

    「ありがとう。でも、もう限界なの。ごめん」

    「夜とかは動けなくなるんじゃないのか? 会社とかは大丈夫なのか?」
     そう聞いてきたのは父さん。
     ちなみにあたしも普段は事務職のOLとして働いている。

    「調べたんだけどさ、そういう時はご飯食べればいいんだって。胃がなくなるわけじゃないしね。それに会社の規定も平気」
     それもちゃんと調べておいた。
     現代は自由と多様性の時代。
     どんな少数者に対しても差別があってはならないのだ。

       ○

    「まぁ、お前がそう決めたのなら……」
     父さんはちらりと母さんを見た。

    「……仕方ないわよね。出来ることあったら協力するから、困った時はいつでも相談するのよ」
     母さんはそう言ってにっこりと笑った。

     うん。この人たちの娘で本当に良かった。
     心からそう思えた。

    「なんかホッとしちゃった。実は反対されるかもと思ってたんだよね」

     あたしはまたサラダの続きを食べ始める。
     なんか安心したらお腹がすいてしまったのだ。

     ミニトマトをフォークでさし、フライドオニオンとドレッシングを絡めて頬張る。
     ちなみにドレッシングは玉ねぎのドレッシング。

     サラダだけだってバリエーションは無限にあるのだ。


       ○


     だがしかし。
     そこで弟が不意にこう言った。


    「あのさ、植物になるんだったら、サラダ食べるのって共食いじゃね?」

     あたしのフォークが派手な音を立ててテーブルに落ちた……

       ○

     終わり
  • ★★★ Excellent!!!

    昔から色々なシーンやジャンルで「決断と判断」について論じられてきた。辞書を紐解けば色々な解釈が出てくるが、簡単に言えば「マルかバツか」を決めるのが判断で、「数あるサンカクの中から決める」のが決断だと愛宕は思う。決めるべきものが曖昧なものだからこそ、その結果に対して恐れず決めるのが決断であり、仮に結果が悪かったとしても全てを受け入れなければならないのが決断である。

    さて、天使フタヒロが降臨し新たに注いだ聖なる言葉(短編)であるが、ベジタリアンの女子が決断したことに敬意を表する父、母、そして弟ということで、温かい家族愛が溢れた逸作となっており、家族の温かさを知らない愛宕でもグッと心に刺さる素敵な作品だった。特に、弟がラストで呟くシーンが面白い。淡々と流れる家族愛が溢れた会話だけでも十分に良いのだが、ラストにコメディ要素を入れたことで、さらにワンランク上の家族愛を見せつけられたような気持ちになった。そして、主人公が決断したことが、実は「まだ判断の域を出ていない」ことにも気づかされる。短い文字数で、ここまで読み手に考えさせる筆力は天使フタヒロだからこその業であろう。

    『絶賛挫折中』と自嘲している新作も、愛宕は今から待ち遠しい☆

    2019年11月28日
    愛宕 平九郎
  • 愛宕さん、こんばんは!
    そして素敵なレビューをありがとうございます。

    なんというかテーマありきで作った短編でしたので、かなりあっさりとした雰囲気だったと思いますが、そう言っていただけると嬉しいです。
    「決断」人生のなかで何度かしなきゃいけないことですね。というか人生とは決断の連続であり、その結果として伸びている道が現在の立ち位置なんですよね。
    だからこそ決断する力とか判断する知識ってすごく大事だよな、としみじみ思いますね。
    それこそ若い人には一時の感情だとか、考えなしでの決断とかしないように諭してあげたくなりますね。
    ただまぁ若い人には特有の勇気とか突破力があるのも事実ですけどね(笑)
    こういうのもまたテーマとして深みのある話ですよね!

    とにもかくにも嬉しいお言葉とコメントありがとうございます!
  • え……なんかこの短編、とっても風刺が効いてる気がするのですが(汗

    ん~~。私は、感情論も必要だと思うのですよね。特に冷たい今の世の中では、情感に訴えることも必要だと。そうでないと人は動かない。おっしゃるように、若者の勇気ある発言や行動もカンフル剤として必要です(バイトテロみたいのは論外ですけど)
    ただ、もちろん理性論も必要です。知識や方法、シミュレートすること。感情というエンジンを理性でコントロールする必要がありますよね。なので、世代をまたいだ協力が必要だって。大人を動かす若者のパワーと、それをサポートする大人の関係が大事ですよね。

    ……で、自分だったらどう描くか、ですが。うーん。
    私だったら、本人にとことん好きにやらせてあげて、救いようがなくなったとしても、本人は満足の笑みを浮かべている、みたいなラストにしちゃうかもです。メリーバッドエンドっていうのでしょうか……。まわりにとってはいい迷惑ですよね。はは……。だって、リアルでもそういう人いるし……だからそれじゃあ、エンタメに落とし込めてないじゃんっていう……難しいです(>_<)
  • 奈月さん、コメントありがとうございます!

    やはり風刺に見えましたか。
    実はあまりそんなつもりではなかったんです。ノートにも書いたんですが、あまり意見というかモノの見方を表明しない方向で書きたかったんですよね。
    風刺とかブラックユーモアというのはどうしても批判めいた、皮肉めいたテーストになりますからね。そういうのを意図しない方向で書くつもりだったんです。が、良いコメディー的な展開も思いつかなくて。

    まぁ感じとしてはどちらの立場も理解したいんですよね。この場合は家族側と主人公側。そのどちらも知ったうえで妥協点というか、どちらも譲れるような最善策を考えていきたいなと。そういうのが大事ではないかと思うわけですね。

    前に奈月さんのノートにも書きましたが、感情と理性のせめぎ合うような問題。まさに「感情というエンジンを理性でコントロールする必要性」が大事だなと思いますね。

    この短編を冒頭として、彼女が光合成手術をうけ、これからどんな人生を歩んでいくのか、社会とどう戦い調和していくのか、なんてとこまで書いていくとエンタメへの落としどころも見つかるかもしれないな、なんて思いました。
    たぶんにSF要素が入りそうですし、ちゃんとしたシミュレーションも必要になりそうですが……この辺りのハードルも高そうですね。
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